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認知症と共にある町探訪記

愛知にある沖縄そば店、店員は認知症の人 仕事は生きがい生み出すスイッチ

ちばる食堂店員のNさん(左)、Iさん(右)と市川さん
ちばる食堂店員のNさん(左)、Iさん(右)と市川さん

2025年には認知症の人が約700万人になると予想されています。近所のスーパーやコンビニ、スポーツジムや公園、交通機関にいたるまで、あらゆる場面で認知症の人と地域で生活を共にする社会が訪れます。少しずつではありますが、認知症の人の思いや立場を尊重した独自の取り組みが個人商店や企業、自治体で始まっています。各地に芽吹いた様々な試みをシリーズで紹介します。

人生100年時代と言われていますが、人はいつまでやる気を出して働けるのでしょうか。また、働く意志があったとして高齢でも、それを受け入れてくれる職場はあるのでしょうか。認知症の人が店員として働く沖縄そば店が愛知県岡崎市にあると聞き、訪れました。

名古屋駅から名古屋鉄道に乗り換えて豊橋方面に向かって30分。東岡崎駅で降りて徒歩で10分の住宅街の中に「ちばる食堂(愛知県岡崎市久後崎町)」がありました。外観は黒い板張りの木造平屋建て。店の周囲には雑草が生い茂り、沖縄の雰囲気を醸し出しています。店内は木造でテーブル席や小上がりもあって25席あります。

ちばる食堂
ちばる食堂

食堂を経営するのは介護福祉士でもある42歳の市川貴章さんです。福祉の専門学校を卒業後、介護老人保健施設(老健)で17年間働き、2019年4月に沖縄そばの専門店をオープンさせました。専門学校時代、ラーメン店でアルバイトをしていた時期に調理師免許は取得しました。ちばる食堂の「ちばる」は沖縄の言葉で「頑張る」という意味です。市川さんは2001年に放送されたNHKの連続テレビ小説「ちゅらさん」を見て沖縄に興味を持ち、専門学校時代に初めて石垣島を訪れました。そして沖縄の、ゆったりとしておおらかな魅力にひかれ、それから年に一度は沖縄に旅行しているそうです。

開店前の仕込みをおこなう市川貴章さん
開店前の仕込みをおこなう市川貴章さん

市川さんは老健で働き始めたころから、「将来、独立して何かやってみたい」と考えていました。就職した施設は「地域に根ざした……」という経営理念を掲げていましたが、実際に働いてみると、地域との関わりについて疑問がわいてきました。「結局その地域には(施設は)箱として存在しているけど、老健の利用者たちが地域と交わる時間ってあまりない」ことがわかってきました。一方で、介護の現場で利用者をつぶさに見ていると、まだまだ能力や気力がある人がいっぱいいることに気付きました。「ボクたちは日々のレクリエーションを通して利用者個人の能力や可能性を見て理解しているんですが、世間からは認知症の人は何もできない、迷惑をかける、といったような評価になっている。それって何だろうって思って……。結局、その人のことを知っているか知らないかだけの話だなと思いました」と話しました。

市川さんに転機が訪れたのは、2017年に「注文をまちがえる料理店」のことを知ったことでした。この料理店は認知症の人がホールスタッフを務め、オーダーを取るのも料理を運ぶのも、給仕はすべて認知症の人が担います。注文とは違う料理を配膳したり同じメニューを複数提供したり、普通の飲食店ならクレームになりそうな状況も、この店では「間違っているけど、まあいいか」と、客が認知症の人と実際に交流して認知症のことを知り、また客自身が寛容な姿勢になれる期間限定のイベントです。

これを知って市川さんは、認知症になっても人は能力を存分に発揮できる存在だということを世間に知らしめたいと思い、認知症の人が店員として働く飲食店の開業を決意しました。そして「退路を断つ」覚悟で、2018年には17年間働いてきた老健に辞表を提出。退職後、1年以内に開業することを目標にしたのです。その後は精力的に岡崎市内外の様々な介護のイベントなどに参加して、「認知症への理解を深めたい、認知症の人のやりがいや生きがいを生み出す飲食店をやりたい」という思いを、会う人に伝えていきました。そのとき、必ず履いていたのが金の靴でした。自分を覚えてもらうため、あえて目立つ靴を履いていたといいます。「まるで大道芸人みたいな姿でしたが反響は抜群で、『何してるの?』『実は介護の仕事をしてます』という会話が必ず生まれました」と市川さん。そしてあるデイサービスを運営する会社の社長の目にとまり、岡崎市内の閉鎖したデイサービスを借りられることになりました。

金色の靴を履いてイベントに参加していた市川貴章さん(本人提供)
金色の靴を履いてイベントに参加していた市川貴章さん(本人提供)

※「注文をまちがえる料理店」については、以下の記事をご参照ください。
『世を席巻「注文をまちがえる料理店」は認知症の何を変えたか 代表に聞く1』
『認知症の人が店員 細部のこだわりは「注文をまちがえる料理店」代表の話2』
『法人化で認知症の人にもメリット「注文をまちがえる料理店」代表の話3』

2019年2月には介護施設で働く仲間3人とクラウドファンディングで資金を集めて、愛知県碧南市で「注文をまちがえる日本料理店」を1日だけ開催しました。ちばる食堂の開店を目前に控えていたので、まさに予行演習のつもりでした。店員として参加してくれた認知症の人たちは、一生懸命働いてやりがいを見いだし、喜びました。ところが、イベントが終わればまたそれぞれの施設に戻り、喜びは消えていく……。そう感じたそうです。自身が働いていた施設でも認知症の利用者に昼食のお茶やご飯の準備をお願いするなど、給仕はある程度任せてきたので、そもそも能力的には問題は無いことはわかっていました。「このやりがいや生きがいを継続的に見ていきたい。それが認知症の人主体のケアになっていく」と、ちばる食堂の目標が明確になりました。

店員の募集は地元の地域包括支援センターに協力を依頼しました。地域の認知症の人を一番把握しているのは地域包括支援センターです。採用条件は認知症の人で、時給900円(平成30年度の愛知県の最低賃金は898円。2023年10月の最低賃金は1027円で、ちばる食堂の時給は1030円)。そして開店時には特にアセスメント(評価)も取らずに顔を見ただけで4人の採用を決めました。

「情報ばかり取り入れすぎると先入観が生じます。私はプロの介護職なので基本、対話の中でその人を知っていこうと思いました。ただし、開店してからは日々、トレーニングという感じでした」と笑いながら話していました。現在は女性4人とダウン症の男性1人でシフトを回しています。

鰹だしがきいて三枚肉がのった、ちばるそば(880円)
鰹だしがきいて三枚肉がのった、ちばるそば(880円)

私が食堂を訪れた日、87歳のNさんと77歳のIさんが接客を担っていました。客が来店すると市川さんが大きな声で「いらっしゃいませ!」と言います。それに反応して2人は水を持って注文を聞きにテーブルへ向かいます。そして注文を紙に書き留め、カウンターの市川さんに伝えます。市川さんは節目、節目で2人に「お盆を並べて……」「箸をセットして……」など細かい指示を出していました。会計のときも、釣り銭は市川さんが数字を確認して2人に伝えていました。「注文を間違えることもありますが、お客さんの方がフォローしてくれます」と市川さん。「美味しい沖縄そば店に行くとお婆ちゃんが働いていた。後で聞くとあのお婆ちゃんは認知症だったんだ、という店が理想でしょうか」と言います。

接客するNさん
接客するNさん

店員のNさん、は亡くなった旦那さんと一緒に経営していた岡崎市内の店舗兼住宅で一人暮らしをしています。家業は次男が引き継ぎましたが、別の場所に住んでいて店に通ってきます。Nさんは80歳を超えてからは店には出なくなり、自宅でずっと一人で過ごしているといいます。毎日、日記を3行だけ書いたり、朝夕に1時間は歩いたりしていますが、近くに世間話ができる友人はいません。旦那さんが業界の役員をしていたことや、長男が大学院で博士号を取ったことをインタビューの間に何度も話してくれました。「お客さんと話をするのが一番楽しい。あと手足を動かすのがいいですね。とにかくじっとしていないで体を動かしている方がいい。年を取っても背中だけは曲がりたくないの」と、片足を上げて体をねじってみせてくれました。

体が柔軟なことを見せてくれるNさん
体が柔軟なことを見せてくれるNさん

常連客で週に1回は訪れるという自営業の成瀬ゆうみさんは「店員の中の1人の方が施設にいるときに、その施設でお会いしたことがあるんです。でもここで働いているときは同じ方とは思えないくらい輝いているんです。働くということは、人の心にスイッチを入れるんだなって、すごく思いました」と話していました。

窓際に飾られたシーサー
窓際に飾られたシーサー

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