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口から食べられなくなったらどうする?きちんと考えておきたい最期の医療

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認知症について知っておきたい基礎知識について、榊原白鳳病院(三重県)で診療情報部長を務める笠間睦医師が、お薦めの本を紹介しながら解説します。
今回は、終末期の医療のあり方についてです

2017年6月のことでした。私は、ある認知症に関するフォーラムで講演し、その中で、終末期医療に関することも話しました。
質疑応答の時間になると、司会者が、私が一瞬返答に詰まってしまうような質問をしてこられました。
その質問とは、「笠間先生自身は事前指示書を書いておられますか?」というものでした。
「事前指示書」というのは、将来自らが病気や認知機能の低下で判断能力を失った際に、自らに行われる医療行為に対する自身の意向を、前もって意思表示するために記した文書のことです。
終末期医療に関する講演をしながら自分自身は終末期医療に対して明確な希望を持っていないということではお粗末だと感じ一瞬返答に困ったのです。
しかし、正直に、「いえ、まだ書いておりません。迷う部分もあるからです」とお返事しました。

実は、私の父の最期の医療を決める際にも、迷いに迷いました。その時の様子は、朝日新聞の連載『患者を生きる』の「命のともしび・事前指示書」(2011年1月18日~23日掲載)というシリーズで報道されたこともありました。
少し長くなるのですが、その内容の一部を紹介させていただきます。

「睦(あつし)、これ読んどいて」
2009年7月、津市の笠間(かさま)睦さん(52)は、実家の居間で86歳の父一男(かずお)さんから、細長い封筒を手渡された。
表に「事前指示書」とプリンターで印刷してあった。中からA4判1枚の紙を取り出し、文面に目をやった。
「私の病気が不治の状態であり、死期が迫っていると診断された場合、ただ死期を延ばすだけの延命措置は一切お断り致します」
「2週間以上にわたり、いわゆる植物状態になったときは、一切の生命維持措置を取りやめてください」
(中略)
一男さんが指示書を作ろうと思った直接のきっかけは、09年7月、妻と一緒に青森県の友人夫妻を訪ねたときだった。同年代のその男性は、脳梗塞(こうそく)の後遺症で2年以上寝たきりだった。呼びかけても反応はなく、鼻から管を通して栄養を送り込まれていた。
一男さんはこの旅を終えてすぐ、インターネットで調べ、指示書を書いた。自分にとっての最期を強く意識したようだった。
睦さんは、一男さんが口から食べることができなくなっても、退院して家で療養できるよう、胃に穴を開けて栄養を送る「胃ろう」を検討していた。一男さんの状態に合わせ、介護保険の変更申請もした。「最期は自宅で」が、一男さんの願いだった。

父(一男さん)は、青森県の友人夫妻を訪ねた翌年の2010年10月、老衰と認知機能障害から食欲不振となり、脱水状態で入院することとなりました。私が胃ろうを検討したのは、そういう状況の中でした。

父の一男さんから託された事前指示書
父の一男さんから託された事前指示書

私自身は、本当に「終末期」と納得できたのならば、事前指示書に従うべきだと思います。しかし、終末期医療を希望しない旨を記した事前指示書の存在があるが故に安易に可能性を放棄することがないよう留意する必要があるとも思っています。

近年、医療や介護をするご家族の間で大きな課題となっているのが、患者が口から食べられなくなったときの対応です。様々な対応が考えられますが、消化管(腸)の機能が十分ある場合と、そうでない場合とで対応が異なります。

消化管の機能が十分あれば、主に「経管栄養」という手法になり、鼻から胃や腸まで届くチューブを挿入したり、胃に穴をあけて(胃ろう)専用のチューブを挿入して栄養を届けたりします。
消化管が使えない状態のときあるいは本人・家族が経管栄養を希望しないときには、四肢の末梢(まっしょう)静脈から栄養を投与する「末梢静脈栄養」や、心臓に近い太い血管である中心静脈から栄養を投与する「中心静脈栄養」を用いることになります。

このように様々な方法があるのですが、それらが一般のみなさんにはきちんと区別されずに、一緒くたにされて「胃ろう」と捉えられているように、私には感じられてなりません。近年は、口から食べられなくなり、意思表示なども難しくなった高齢者の方々がチューブにつながれて長期間入院する状況に対して、自然な最期を希望する声が高まっています。
こうしたことから、「胃ろう=悪」と考える人もいるようです。私自身の診療経験でも、胃ろうを希望する患者さんは減り、鼻からの経鼻経管栄養が増えています。

けれど、経鼻経管栄養では、患者さん自身がチューブを自ら抜いてしまう心配から、身体を拘束するという対応を取らざるを得ないこともしばしばです。それでは、患者さんの意思を尊重したものにはならないのではないかと感じております。
口から食べられなくなったときには、様々な対応方法があり、それぞれにメリットとデメリットがあります。それを理解した上で、人工的な水分・栄養補給をするかしないかについて、患者さん本人とご家族、医師らでしっかりと話し合い、〝最期の医療〟を決めていただければと思います。

さて、ではここで今回のクイズです。
経管栄養を実施することでどれくらいの延命(生命維持効果)が期待できると思いますか?
私は終末期に差し掛かった方のご家族には、経管栄養・中心静脈栄養・末梢静脈栄養ごとの平均的な生命維持期間について記載された文書をお渡しし、分かりやすい説明になるよう心掛けています。

では早速、解答をお伝えします。2004~2005年にかけて行われた「高齢者終末期における人工栄養に関する調査(宮岸隆司, 他:日本老年医学会雑誌 2007 年 44 巻 2 号, 2007)」があります。死亡時の栄養摂取方法と平均余命の比較では、経管栄養を選んだ人は平均827日、末梢静脈栄養では平均60日の生命維持効果があったことが報告されています。

ただ、実際には、延命の長さについてはかなりの幅があります。
私が看取ったアルツハイマー型認知症の患者さんは、丸10年にも及ぶ長い期間を経鼻経管栄養の状況で過ごし、2020年5月に息を引き取られました。
70歳代の後半になって嚥下(えんげ)障害から肺炎を併発し、入院してこられた方でした。娘さんは、「お母さんには長く生きていて欲しい」と延命治療を希望されました。口から食事を摂取することは困難な状況であり、胃ろうは希望されなかったため経鼻経管栄養を選択しました。娘さんは最期の最期になっても「母にはもっと生きていて欲しい」と話されていたのがとても強く印象に残っています。

終末期医療で最後まで課題として残るのは、認知症の人の意思をどう確認するのかという難題だと思います。
その難題に対して、私自身は、認知症診療において、早期診断したうえで全ての患者さんにマイルドな告知を実施し、早い段階で(意思を表示できるうちに)終末期に対する意向を伺っておくという方針で臨んでいます。

2018年には、厚生労働省が「人生の最終段階における医療・ケアの決定プロセスに関するガイドライン」を11年ぶりに改訂しました。そこでは、本人の意思は変わりうるもので、繰り返し話し合うことが強調されています。

『在宅ひとり死のススメ』上野千鶴子、文春新書
文春新書

上野千鶴子さんも、著書『在宅ひとり死のススメ』の中で「最期まで迷い抜けばよい」って言われていますね。

最期まで迷い抜けばよい
わたしの尊敬する介護職のカリスマ、髙口光子さんが責任者を務めていた老健施設を訪れたときのことです。(中略)最近では老健でも特養でも看取りがあたりまえになったからか、入所時に家族から終末期についての「同意書」をとるのが慣行となっています。(中略)各種の延命措置をするかしないか、イエス/ノーで選択させるのは、事前指示書と同じ。本人の同意ではなく家族の同意なのは、施設入居者の大半に認知症があるからです。
「髙口さんとこ、家族に同意書とってるの?」と質問したときのこと。「いいや」と彼女は答えました。「え、なら、いったいどうするの?」と聞き返したときの、彼女の答えが感動的でした。
「生き死に正解はない。家族と職員が共になって最期の最期まで迷いぬけばよい」【上野千鶴子:在宅ひとり死のススメ. 文春新書, 2021, pp161-162】

『上野千鶴子×小島美里対談(前編)~在宅ひとり死は可能か?』もご参照ください。

ちょっと話が脇道にそれますが、上野千鶴子さんの著書に名前が出てくる髙口光子さんが書かれました著書『認知症の人の心に届く、声のかけ方・接し方』(中央法規, 2023)は、認知症ケアについての学びを深めるためにとても良い本だと思います。

『認知症の人の“困りごと”、解決ブック』稲田秀樹、中央法規

認知症ケアについて学びを深めるという観点からしますと、2023年8月に発行されました『認知症の人の“困りごと”解決ブック 本人・家族・支援者の気持ちがラクになる90のヒント』(中央法規, 2023)では認知症ケアの場面において出てくる数々の“困りごと”を解決するためのヒントが網羅されておりとても有益な本だと思います。
認知症が進行し話したり文字を書くことが難しくなったYさんという女性に、それまで絵を描いた経験はなかったのですが絵を勧めてみると、不思議な風合いの作品を何枚も描き、それを公募展に出してみたところ入選したという素敵なエピソードなどが紹介されています。

最後に〝最期の医療〟について勉強される際にお勧めの本を3冊ご紹介したいと思います。
会田薫子先生(東京大学大学院人文社会系研究科 死生学・応用倫理センター 上廣死生学・応用倫理講座 特任教授)の書かれました『延命医療と臨床現場 人工呼吸器と胃ろうの医療倫理学』(東京大学出版会, 2011)では延命医療全般における諸問題点を知ることができます。
箕岡真子先生の『認知症ケアの倫理』(ワールドプランニング, 2010)では、終末期ケアにおける意思決定について詳細に解説されております。
『欧米に寝たきり老人はいない 増補版―コロナ時代の高齢者終末期医療』(中央公論新社, 2021)では、スウェーデンに寝たきり老人がいない理由がズバリと書いてあります。それは、高齢者が終末期を迎えると食べられなくなるのは当たり前で、経管栄養や点滴などの人工栄養で延命を図ることは非倫理的であると、多くの国民が認識しているからとのことです。死生観は多様で、それぞれの人が考えるものですが、一つの参考になるかもしれません。

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