「秋だねぇ」 正しい日付がわからない私に そっと教えてくれたあなた
《介護福祉士でイラストレーターの、高橋恵子さんの絵とことば。じんわり、あなたの心を温めます。》
「母さん、見てごらん」
あなたに声をかけられて、
見上げる、公園の紅葉。
きっとあなたは、この前のことをなぐさめるために、
私を誘ってくれたのね。
この前、私は、
とある集まりから返却されたプリントを見て、落ちこんでいた。
日付のうえに、訂正の赤字。
認知症がある私は、
最近、時間の流れをとらえづらい。
赤字は、私に日付を理解してほしいからなのだろうけど、
私自身にバツをつけられたようで、つらい。
そして、今日。
「秋だねぇ」とあなたは笑う。
今年も鮮やかな色あいに、どこか切なさがにじむ紅葉。
正確な日付はわからなくても、
私はこの秋を、確かに味わっている。
認知症や脳に障害があって、
季節や日付を正確に認識できない方々は、
私の周りにもちらほらいらっしゃいます。
その状況は、日付を忘れてしまう、という単一的なものではありません。
3年前と1カ月前、昨日のできごとを時系列に並べられない。
感覚的に、時間の長さ・短さがつかめない。
カレンダーの数字の羅列を見ていると混乱してしまう、等々。
個人によって様々です。
このように時間のとらえかたが個々にある人たちに、
「物忘れがすすむと大変だ」と、テストをするかのように、
日付を書かせるとりくみを見かけることがあります。
もちろん、時間の流れや季節を共有する意図で、
日付を確認しあうのは必要なことだと思います。
けれど、知人のプリントの日付に、
大きく訂正の赤字が書かれているのを見つけたとき、
本人も、私も落ち込んでしまいました。
ひとりひとり、独特の時間感覚。
そこを、マルバツだけで判断してほしくない、と思うのは私のワガママでしょうか。
なぜならその行為は、一歩間違えれば、
日付ぐらい答えられたほうがいい、という、
価値観の押し付けになりかねないからです。
正確な日付を理解してもらうことより大切なことは、
もっと他にあるはずです。
たとえば、
季節を味わうために、できることを探してみる。
そこに気持ちを向けたほうが、
お互い、色濃い人生の時を味わえるような気がします。
《高橋恵子さんの体験をもとにした作品ですが、個人情報への配慮から、登場人物の名前などは変えてあります。》