嗅覚障害は認知症の前兆? においがわからなくなる影響と対策を紹介
取材/中寺暁子
においがわからなくなる嗅覚(きゅうかく)障害は、認知症と深く関わることが明らかになっています。特にアルツハイマー型認知症やレビー小体型認知症では、発症初期、あるいは発症前から嗅覚に異変が起きていることがあり、嗅覚障害が認知症の早期発見につながる可能性があると言われています。嗅覚障害と認知症の関連や嗅覚障害が引き起こすリスク、日常生活での対策などについて、国立長寿医療研究センターで嗅覚味覚外来を担当する鈴木宏和医師に解説していただきました。
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嗅覚障害は認知症の前兆とも言われている
嗅覚障害は、認知症と深い関わりがあることがわかっています。特にアルツハイマー型認知症やレビー小体型認知症は、発症早期あるいは発症前から嗅覚障害が起こる場合があることが知られています。
認知症を根本的に治す方法は、現在のところありませんが、治療によって進行を緩やかにすることはできます。このため、認知症を早期に発見し、治療することが大事です。また、認知症の前段階である軽度認知障害(MCI)であれば、予防に取り組むことで認知症へと進行するのを遅らせることが期待されます。
しかし、認知症は進行してから診断されるケースが少なくありません。嗅覚障害の有無をチェックすることで、認知症を早期に発見し、治療につなげることが期待できるのです。
認知症の原因と嗅覚障害の関係
認知症は、原因となる病気によってさまざまな種類がありますが、嗅覚障害との関連が指摘されているのが、アルツハイマー型認知症とレビー小体型認知症です。それぞれ嗅覚障害と関連する仕組みや特徴について紹介します。また、認知症の前段階であるMCIとの関連についても説明します。
アルツハイマー型認知症
認知症の中で最も多いアルツハイマー型認知症。認知症全体の50~60%を占めると言われています。アルツハイマー型認知症は、「アミロイドβ」というたんぱく質が、脳の神経細胞の外側に蓄積するほか、神経細胞内で神経原線維が変性することが原因となり、認知機能が低下すると考えられています。こうした変化は、脳の側頭葉から始まり、ゆっくりとほかの領域にも広がっていきます。側頭葉内側には記憶の形成や蓄積に関わる「海馬」、情動的な記憶をつかさどる「扁桃体」、海馬との信号のやりとりを行うゲートの役割がある「嗅内皮質」があります。アルツハイマー型認知症の人に記憶障害が起こるのは、記憶に関わるこうした部位が変化するためです。
実は、海馬、嗅内皮質、扁桃体はにおいの記憶に深く関わっている部位でもあります。キャッチされたにおいの信号は、脳への入り口である嗅球に送られ、嗅索を通過して、嗅結節、梨状皮質、扁桃体、嗅内皮質と呼ばれる領域に伝達され、さらに海馬や眼窩前頭皮質へとリレーされ、最終的にどのようなにおいを感じたのかが認識されます。つまり、脳の中でにおいを認識する部位とアルツハイマー型認知症の初期に変化が起きる部位は重複するため、アルツハイマー型認知症の人は、初期から嗅覚障害が起こると考えられているのです。アルツハイマー型認知症の人は、ほぼ100%嗅覚障害があるという報告もあります。
※アルツハイマー型認知症については、以下の記事をご参照ください。
「どんな症状?アルツハイマー型認知症 MCIとの違いや薬、検査法を名医が解説」
レビー小体型認知症
『認知症疾患診療ガイドライン2017』(日本神経学会)によると、レビー小体型認知症の診断基準に「嗅覚鈍麻」があります。レビー小体型認知症は、脳の神経細胞に「レビー小体」というたんぱく質のかたまりができることが原因となり、発症します。レビー小体のかたまりは初期には嗅球などに出現し、海馬や扁桃体、嗅内皮質にも認められたという報告があることから、嗅覚障害と関連すると考えられ、認知機能の低下や運動障害よりも早く嗅覚障害を発症することが知られています。レビー小体型認知症では、パーキンソン病と同様の症状が出現しますが、嗅覚障害はパーキンソン病の代表的な症状の1つでもあります。パーキンソン病と嗅覚障害についての研究論文は多く、発症早期あるいは発症の数年前から嗅覚障害があると言われ、パーキンソン病の約9割に嗅覚障害が起きるという報告もあります。また、嗅覚障害が強いパーキンソン病の人は、認知症を伴うリスクが高いという指摘もあります。
※レビー小体型認知症については、以下の記事をご参照ください。
「レビー小体型認知症を専門医が解説 原因や前兆、なりやすい人など」
軽度認知障害(MCI)
海外の複数の研究報告では、嗅覚障害はアルツハイマー型認知症を発症してから起こるのではなく、MCIの状態やさらにその前から起きていると指摘されています。認知症を発症していない高齢者のうち、嗅覚が低下している人は低下していない人よりも5年後のMCIの発症率が50%高かったという報告もあります。さらにMCIの人のうち、嗅覚機能が低下しているにも関わらず、それを自覚していない人は、より早く認知症へと進行したというデータもあります。嗅覚障害は加齢に伴って起こりやすいものですが、嗅覚の低下を自覚していない人は、自覚している人よりもMCIや認知症を発症するリスクが高いと考えられるのです。
国立長寿医療研究センターでは、MCIの人に嗅覚検査を実施したところ、約7割の人が嗅覚障害を起こしていたことがわかっています。
こうしたことから、嗅覚検査を実施することは、認知症やMCIの早期発見、さらには認知症のリスクを知ることにつながる可能性があるのです。
ただし、嗅覚障害は加齢によっても起きやすく、60~70代にかけて嗅覚は大幅に低下していきます。米国の統計調査では、60代で約17%、70代で約30%、80歳以上では約60%の人に何らかの嗅覚障害があると推定されています。嗅覚障害が加齢によるものなのか、認知症によるものなのかを判断する方法は現状では確立されていませんが、認知症による嗅覚障害のほうがより重症化しやすい、といった傾向があるようです。認知機能の低下が進むと、「においはしているが、何のにおいかがわからない」、「嗅覚が低下していることに気づかない、もしくは気にしていない」といった特徴がより顕著になります。
※軽度認知障害(MCI)については、以下の記事をご参照ください。
「【基本編】軽度認知障害(MCI)と診断されたら治療は?治る?専門家が解説」
「【対策編】軽度認知障害(MCI)について専門家が徹底解説」
嗅覚障害による生活への影響
嗅覚障害があると、日常生活にはどのような支障が出るのでしょうか。嗅覚障害による日常生活への影響について、金沢医科大学・耳鼻咽喉科学 主任教授の三輪高喜先生の研究を引用しながら説明します。
安全機能の喪失
嗅覚は、体に備わっている命を守るための安全機能の1つでもあります。嗅覚障害があると、異常なにおいに気づかないので、ガス漏れや火事の煙に気づきにくくなる、腐敗した食品を判別しにくくなるなど、安全機能が低下するリスクがあります。ガス漏れや火災の検知器を設置する、安全性の高い暖房器具やオール電化を検討する、食品は開封日を記載して廃棄日を決めておく、レシピ通りに料理する、といった対策によって、安全を確保する必要があります。
衛生管理の問題
口臭や体臭がわからなくなる、ペットの管理やおむつ交換が行き届かなくなる、洗剤や香水の使用量がわからなくなるなど、衛生関連の問題が起きやすくなります。においによる管理が難しくなるため、厳格に衛生を習慣づける、身近な人ににおいの評価をしてもらう、といったことが大事です。
食事の楽しみが減少する
嗅覚障害があると、食べ物の風味がわからなくなって、食事をおいしく感じにくくなります。このため、食事に対する楽しみが減る、食欲低下によって食事量が減る、辛(から)いものや味が濃いものを好む、新鮮な食品の摂取が減る、料理に多くの調味料を使うなど、栄養や調理の面で問題が起きる可能性があります。嗅覚障害が、栄養失調や体重減少を引き起こし、死亡率を増加させると指摘している論文もあります。におい以外でも食事を楽しめるように、味覚、彩り、食感などを工夫することが大事です。
精神的なダメージ
嗅覚障害があると、孤独になりやすい、うつ症状を起こしやすいという報告もあります。嗅覚が低下すると食事を通した人との交流が減少する傾向があり、また、体臭など衛生管理の問題が社会生活への参加を妨げる可能性が考えられます。さらに、においを感じられないことで日々の食事の楽しみがなくなって気分が落ち込むといった場合もあります。孤独やうつは認知症のリスクでもあり、「嗅覚障害」「孤独」「うつ」「認知機能低下」はそれぞれ双方向に関連しあっていると考えられます。
仕事に支障が出る
調理師、ソムリエ、調香師など、直接的ににおいに関わる仕事だけではなく、看護師、消防士、電気技師、車の整備士などの職業も、嗅覚障害によって仕事に影響が出る可能性があります。
嗅覚と認知症対策の関係
嗅覚障害は周囲から気づかれにくく、本人の自覚もないことが少なくありません。嗅覚障害に気づき、認知症の早期発見につなげるのは、どのような対策ができるでしょうか。
生活の中で意識的ににおいをかぐ
日ごろから、生活の中でにおいを意識することが大事です。特に意識しやすいのが食事の場面です。肉や魚が焼けたにおいは判別しやすいのですが、米が炊けたにおい、味噌汁のにおいは意識していない人も少なくありません。こうしたにおいも意識してかぐことが大切です。においをかぐ際には、漂ってくるにおいをただ感じるのではなく、鼻の奥に届かせるようなつもりでしっかりと吸い上げるようにしましょう。においの信号をとらえる嗅粘膜の神経細胞は、鼻の中の天井部にある嗅裂部にのみ存在しているからです。しっかり吸い上げてにおいを意識することは、嗅覚の低下を防ぐトレーニング方法としても推奨されています。
風邪の後の嗅覚障害は治療で改善する場合が多い
嗅覚が低下して耳鼻科を受診する人のうち、一般的に多いのは副鼻腔炎や風邪をひいた後の嗅覚障害です。副鼻腔炎やアレルギー性鼻炎による嗅覚障害は、服薬や手術による治療で、嗅覚の改善が期待されます。
新型コロナウイルスの感染によって嗅覚障害が起きることが話題になりましたが、インフルエンザウイルスの感染後などでも嗅覚障害が起こることは珍しくありません。鼻詰まりがあるとにおいは感じにくくなるものですが、鼻詰まりが治った後も嗅覚だけが戻らない場合があるのです。この場合、漢方薬の当帰芍薬散による治療や嗅覚刺激療法などが推奨されています。嗅覚刺激療法は、レモン、バラ、ユーカリ、クローブのにおいを1日2回、1~2分かぐという方法です。この方法はドイツで開発されたものですが、日本人になじみのあるにおいを使用した方法についても研究が進められています。
高齢者の嗅覚障害については、確立された治療法がありませんが、嗅覚刺激療法が取り入れられることもあります。
嗅覚状態のセルフチェックをする
日本人は特にカレーのにおいを判別しやすいと言われています。カレーのにおいがわからなくなったら、嗅覚が低下している可能性が高いので、耳鼻科を受診することをおすすめします。トイレの大便のにおい、生ゴミのにおいがわからなくなった場合も、嗅覚がかなり落ちている可能性があります。『嗅覚障害診療ガイドライン』(2017年、日本鼻科学会)が推奨している「日常のにおいアンケート」は、日本人が判別しやすいにおいが20種類挙げられているので、嗅覚をチェックする方法として活用してみるといいでしょう。
しかしながら、認知機能が低下すればするほど、においの自己申告はあてにならなくなってきます。認知症の早期発見のためには、健診などで簡易的にできる他覚的な嗅覚検査が開発、実施されることが望まれます。
まとめ
視覚や聴覚に比べて、嗅覚の低下は自分では気づきにくいものです。日ごろからにおいを意識してかぐことは、嗅覚障害の早期発見につながるほか、予防にもなる可能性があります。認知機能の低下に早く気づくためにも、においを意識した生活を送るようにしましょう。
嗅覚障害と認知症について解説してくれたのは……
- 鈴木宏和(すずき・ひろかず)
- 国立長寿医療研究センター耳鼻咽喉科医長
2004年名古屋大学医学部卒業。11年に同大学医学部大学院課程卒業後、米ワシントン大学(セントルイス)耳鼻咽喉科へ留学。名古屋大学耳鼻咽喉科などを経て15年から国立長寿医療研究センター耳鼻咽喉科へ。17年より現職。専門は嗅覚味覚、補聴器。日本耳鼻咽喉科頭頸部外科学会専門医、補聴器相談医、補聴器適合判定医。