ひとりに合わせて、みんなが集まる「パーソナル認知症カフェ」の育て方
取材/コスガ聡一
「認知症カフェこれから会議」の第7回オンラインシンポジウムが2月28日(日)に開催されました。今回のテーマは「小さなカフェ」。ひとりの人物を中心に立ち上がった2つのカフェの関係者と、地域において住民同士の支え合いをサポートする生活支援コーディネーターをお招きして「小さなカフェ」の大きな可能性について語り合いました。
パネリスト
村尾・メリー・香織さん(「ホームパーティ」主催、東京都三鷹市)
平井正明さん(「まほろば倶楽部」代表、奈良県天理市)
柴田康弘さん(「ナミ・ニケーション」代表、神奈川県鎌倉市)
上薗和子さん(第2層生活支援コーディネーター、京都府南丹市)
ホームパーティとサーフィン
パネリストの自己紹介を要約すると次のとおりです。
村尾・メリー・香織さんの母親・スーザンさんはアメリカ出身。62歳で認知症の診断を受けた頃から徐々に、日本語でのコミュニケーションが難しくなってきたそうです。そこで香織さんはスーザンさんの母語である英語の得意な人や留学生らを奈良県天理市の実家に招いて、お茶やお菓子をふるまう「ホームパーティ」という認知症カフェを始めました。
その「ホームパーティ」に初回から参加してきたのが同じく天理市在住の平井正明さん。エンジニアとしてメーカー在職中に認知症を発症したのち、重度知的障害の子どもを持つ親としての経験をベースに、認知症当事者サポート団体「まほろば倶楽部」を立ち上げ、現在は奈良県のピアサポーターとして活動しています。
もう一人の「小さなカフェ」主催者は柴田康弘さん。神奈川県鎌倉市と葉山町で介護事業所を経営する柴田さんは、2016年ごろ医療・介護職に就くサーファー仲間と「ナミ・ニケーション」というグループを立ち上げました。翌年、元サーファーで若年性認知症当事者の川名賢次さんと出会うと、一緒にサーフィンに行くようになり、その輪を大きくしてきました。
そして4人目は京都府南丹市で第2層生活支援コーディネーターを務める上薗和子さん。市の社会福祉協議会所属でこれまで地域包括支援センターの職員や認知症地域支援推進員などを経験してきました。数多くのカフェや地域の集まりに関わってきた専門職エキスパートです。
「パーソナル認知症カフェ」の強み
「ホームパーティ」と「ナミ・ニケーション」はそれぞれ、スーザンさんと川名賢次さんというひとりの人物を中心に立ち上がり、続けられてきたという共通項があります。
私(本稿著者・コスガ聡一)は2020年に出版した著書の中で、このようなカフェを「パーソナル認知症カフェ」と名付けました。はじめにカフェありきではなく、その人物のパーソナルな事情があり、その事情を中心に仲間が集まるインフォーマルな取り組みのことです。専門職が関わらないことも多いため調査や統計には表れにくいものの、全国を取材していると同様の取り組みが数多く存在することが分かってきました。
なお日本で最も早く始まった認知症カフェのひとつ「オレンジサロン石蔵カフェ」(栃木県)も、はじめは一人の若年性認知症の男性の希望を叶えようと仲間たちが集まった「パーソナル認知症カフェ」でした。
「ホームパーティ」はたまたま参加者が香織さんとスーザンさんと平井さんの3人だけだったことがあるそうです。そのことについて「ホームパーティだからそれでもいい。自分たちがやっているところに専門職や行政の人も、よかったら来てくださいという姿勢でいられる。だから続けてこられた」と平井さん。最小限の人数でも成立するというのは、感染症対策が求められる現在の状況において「小さなカフェ」の強みともいえるでしょう。
スーザンさんは認知症の進行に伴って英語でも発話がうまくできなくなり、「ホームパーティでも、辛そうにしていることが増えていた」という香織さん。そんななか参加者の一人が「日本の古い歌のなかにはアメリカの民謡がもとになったものがある」といってフルートを吹いてくれるようになりました。カフェにおける音楽の始まり方としてとても自然な展開です。これもまたひとりの人物を中心としたカフェならではのエピソードといえます。
「パーソナル認知症カフェ」は必ずしも小さいままとは限りません。実際に大きく発展したのが「ナミ・ニケーション」です。もともと7,8人のサーファー仲間に、川名さんと家族が加わったグループでしたが、今では50人規模にまでメンバーを増やしました。そのなかには川名さんと出会って、新たにサーフィンを始めた人や認知症以外の障がいを持つ人などもいます。
また2019年の夏には三重県で行われたサーフィンイベントに、みんなで神奈川から参加するなど全国に活動が広がりはじめています。「9年ぶりにサーフィンを再開した川名さんの笑顔をSNSなどで発信した結果、自分も関わりたいという気持ちが広がった」と柴田さんは語りました。
生活支援コーディネーターのクリエイティブな活躍
生活支援コーディネーターは、まだ新しい職種で、地域でどんな役割を担うのか、広く知られていないのが現状です。上薗さん自身は、介護保険制度における地域支援事業を担当する立場ですが、今回の「小さなカフェ」の実例になぞらえて、「『ホームパーティ』を生活支援コーディネーターが支援するとしたら、歌をうたえる人や英語でお話できる人を紹介できたらいいと思う。海のない南丹市ではサーフィンはできないけれど、スポーツをしたい人には地域のスポーツ教室を探して一緒に行きませんかと誘えるでしょう」と、解説してくれました。
スーザンさんは2020年に、香織さんが暮らす東京に転居。香織さんはここでもスーザンさんを囲んだ「ホームパーティ」を開催するつもりです。上園さんは、そんな香織さんに、「生活支援コーディネーターに相談すれば地域に密着したアイデアを提案してくれるのでは」とアドバイスしました。「地域包括支援センターの職員だった頃より、現職の方が地域の人とつながれるようになった」という上薗さん。全国の生活支援コーディネーターの方にはぜひ、それぞれの地域にもっと、認知症のある人も参加できる場所を作り出すようなクリエイティブな活躍を期待したいところです。
リスクがある方が楽しい
今回もFacebookには多くの意見が書き込まれました。なかでも、なかまぁる特別プロデューサーの丹野智文さんは「当事者の話をきちんと聞いてくれている」と2つの「小さなカフェ」に賛意を示し、「ナミ・ニケーション」でサーフィンの最中に川名さんが頭部にけがをして、メンバーの医師がその場で処置をしたというエピソードについて「楽しいことにはリスクがある。リスクがある方が楽しいんだよな」とコメントを投稿しました。
これまで1年弱にわたる「これから会議」において、私たちは認知症のある本人が楽しめることが認知症カフェの原点であるということを再確認してきました。いわば「カフェに人を合わせるのではなく、人にカフェを合わせる」という「パーソナル認知症カフェ」のアプローチは、今後の認知症カフェや地域の集まりの始め方・続け方という点で参考にできるはずです。
8回目のフィナーレは「全員集合」
2020年6月に始まった「認知症カフェこれから会議」オンラインシンポジウムは、8回目となる3月28日(日)がフィナーレです。最後はこれまで登壇したパネリスト全員で「これから会議」の成果を振り返り、あらためてコロナ後の「これから」について語り合いました。この様子も、近いうちにレポートします。
そして、これまで開催されたオンラインシンポジウムは下記Facebookグループに参加(無料)するとすべて録画視聴することができます。どうぞいつでも、何度でもご覧ください。
またコメント欄には、認知症カフェはどこを目指すべきか、みなさんのご意見もぜひ、お寄せください。
フェイスブック「【認知症カフェ】これから会議withなかまぁる」グループページ