やりがいや生きがいで孤独を防ぐことが心の幸せにつながる 49歳で官庁から民間へ転職 これからの家族のかたち 三宅邦明さんの「私のproject50s」
インタビュー:岩崎賢一
50s(フィフティーズ)といわれる50代の人たちのインサイトに迫るインタビューシリーズ「私のproject50s」の4回目は、「株式会社ディー・エヌ・エー」(DeNA)のCHO(最高健康責任者)の三宅邦明さん(53)に、アラフィフの生き方、考え方、アクション、そして50代について語ってもらいます。みなさんと一緒に、人生100年時代の折り返しからの50年を「Well-being&Social Good」な人生にすべく、考えていきたいと思います。
- 三宅 邦明(みやけ・くにあき)
- 1970年生まれ。東京都内の大学医学部を卒業し、医師免許取得。厚生省(現厚生労働省)に入省。メタボリックシンドロームなどの生活習慣病対策や新型インフルエンザ室立ち上げ等感染症対策に従事。また、医療情報の適切な提供、医薬品・医療機器の開発支援にも携わる。消防庁、在比日本大使館、石川県健康福祉部にも出向。米国テキサス大学で医療情報学大学院への留学も。49歳のとき、インターネットやAIを活用し、人々が楽しく継続的に健康でいられる仕組みを民間の現場から提供したいという思いから、2019年4月、DeNAに転職。Chief Medical Officer(CMO)及び子会社の「DeSCヘルスケア株式会社」の代表取締役社長に就任。現在は、 CMO に加え、DeNAのChief Health Officer(CHO)、「Allm」 取締役、CMOなど。6人家族(妻、長男、長女、次男、次女)。東京都在住。
楽しく仕事をしたい、ソーシャルグッドなことをしたい
50代からの生き方
――三宅さんは、50歳を前にして、DeNAに転職しました。それはどのような思いからでしたか。
三宅さん:このままだと人生つまらなくならないのかという、50代に対してすごい漠たる不安がありました。40代前半に管理職になり、だんだんその上の管理職の様子が見えてきたころです。人生80年や90年の時代です。70歳ぐらいまで楽しく働きたい、ソーシャルグッドなことが何かできないか、と考えたときに、退官後のことを考えるとこのまま同じところで働き続けることが怖くなりました。
――ソーシャルグッドな働き方、生き方をしたいとは。
三宅さん:自分が役に立ってるなと思える仕事、かつ自分の経験があったからこそできるようないいこと、これを50代以降も職場や地域でやり続けたいという意味です。
――そのとき、三宅さんはどのような行動をしましたか。
三宅さん:一つは、石川県庁に出向していたとき、同僚たちが仕事以外で自治会、お祭り等で住んでいる場所に根差して生活しているのを見て、サードプレイス的な何らかの居場所を作っておこうと思いました。地元のNPOで活動する人や起業家に憧れていたので、東京に戻った後は、地域の人たちと勉強会を開いたり、仕事での付き合いとは違うネットワークを作ったりしました。もう一つはITです。ITと医療とつなげることをやらないといけないと思いました。こういうことを少しずつ、いろいろな人と話をして、今に至ったわけです。
――発火点は、いつ、どのようなことがきっかけですか。
三宅さん:石川県で刺激を受けました。同僚から「日曜日のあいさつを代わってくれ」といわれました。「いいけど、なんで」と尋ねると、「地元で年に1回、地蔵をみんなで洗う会があって、それに参加して飲み会もあるから」という答えでした。すごくうらやましかったですね。仕事をやっていてもやっていなくても、隣近所で一緒に過ごせる人がいるという安定感がいいですよね。それまでの役所勤めのときには、平日は遅くまで働いて、土日は寝ているか家族と過ごすかで、地元に知り合いやネットワークはありませんでした。
――インクルーシブ社会につなげるためには、そこが必要ですか。
三宅さん:福祉=高邁(こうまい)な意志だけでやるのではなく、ソーシャルビジネスとして社会の中に実装されて、経済の中でお金も含めて回っていくことがすごく重要な気がします。そういうことをやりたくなって、地元自治体がやっていた社会起業家塾みたいなところを見つけて通いました。そこで何人か知り合いができて、いくつかのプロジェクトを手伝うようになりました。そういう人たちとつながって遊べるようになったことがよかったです。大学生や30代、40代の人もいるし、自営業の人、町内会の元気なおじいちゃんおばあちゃんもいる。視野が広がりました。
やりがいや生きがいで孤独を防ぐことが心の幸せにつながる
ウェルビーイング
――ウェルビーイングや主観的幸福感は、どのように考えていましたか。
三宅さん:そもそも僕自身は精神科の医師になろうと思っていました。僕にとっては、人の心の幸せの方が大事で、体には興味がありませんでした。やりがいや生きがいがあった方がよっぽど人生が充実するんじゃないか、誰かの役に立つ、頼られる、「ありがとう」といわれることが、すごく生きがいになると思っていました。そのためには、公的な福祉の仕組みだけでなく、周りの人を巻き込みながら、みんなで困ってる人を助けていく仕組みが必要だと思いますし、昔からそれを作りたいと思っていました。
――何かイメージするものがありますか。
三宅さん:海外に目を向けてみると、2018年、イギリスが「孤独は現代の公衆衛生上、最も大きな課題の一つ」として孤独担当大臣を任命しました。「孤独は1日にタバコを15本吸ったのと同等の害を健康に与える」という報告書が出ています。孤独な人、孤立する人同士が近所でつながれるような仕組みを妄想しています。実現出来ていませんが、「ウーバーナース」とかいって、ナースや見守りできる人が、高齢者や障害者と一緒に映画や買い物に行くというような、介護保険外で、シェアリングエコノミーのような形で助け合える仕組みをアプリで実現できないかと考えています。
誰よりも詳しく誰よりも働くみたいなリーダーシップが求められていた
官庁から民間企業
――転職し、立ち位置も変わりました。三宅さんの50代の設計、project50sはどう考えているのですか。
三宅さん:転職後、半年ぐらいはふわふわしていて、旅行気分で、新しい世界が見えてきて本当に楽しかったですが、半年以降は苦しかった。もう辞めようかと思うぐらい一時期は苦しくて。そういうこともありました。
――それはなぜですか。官庁と民間の違いからですか。
三宅さん:はい、一つは管理職の仕事のスタイルの違いです。官庁では、部下に仕事を任せ、管理職は最終的にちょっと方向を付けてあげるという感じでやっていました。若いころに先輩からそういう風に任せてもらって必死に頑張れた自分の経験からですが……。一方、民間、特にDeNAのような比較的新しい企業ではそういう人はあまり必要とされていません。誰よりも詳しく誰よりも働くみたいなリーダーシップが求められています。二つ目は、マネジメントや予算といったことに対して、求められている像と、僕が思っている像に少し齟齬(そご)があったことです。だから、CEOから外れることになりました。
――それまで培ってきた経験はその企業風土が前提であり、転職した際、新しい職場の企業風土とミスマッチがあると経験が力になっていかないということですね。
三宅さん:そうですね。霞が関の役所といっても、さまざまな職種があります。予算の管理や査定、財務省とのやり取りをしている事務官と、政策の方向づけをする医系技官では経験値が違います。だから僕は「それだったらこのアイディアを出して、こういう方向で行こう」とか、「これ、もっとこういう改善をした方がいいよ」というリーダーシップはとれますが、「年間30億円の予算なのだから、どうにかして30億円を達成しろ」とか、「そのためにどういう人を入れて……」といったマネジメントのトレーニングは役所で受けていないし、苦手でした。
――自分の強みと弱みを知るということですね。
三宅さん:はい、そこは弱点かもしれません。三つ目は、役所風を吹かしてはいけないと思って、とりあえず僕が考えていることを押し付けるのではなく、彼らの話を聞こうと意識しすぎてあまり自分自身を出せませんでした。次第にお互いが得手不得手を分かってくる中で、医療ベンチャー企業「Allm」を買収しました。そこで自分の強みである医療政策や人的ネットワーク、経験が活かせる仕事が増えてきました。「居場所ができた」感覚です。社内からも「三宅さんはこういうふうな経験を持っていて、こういう風に使うとすごくバリューを発揮するんだ」ということを、周囲に理解されたきたという感じです。
50代は子育て中 親の介護をするイメージはまだ持てていません
親子や家族との距離
――現在、どのようなライフスタイルですか。
三宅さん:フルリモートで、時々、会社に行く感じです。裁量制です。会食がなければ子どもたちと一緒に夕食が食べられ、その後、仕事もできます。家族との会話がずっと増えましたね。
――夫婦で50代をどう生きようとか、会話をすることはありますか。
三宅さん:我が家は子どもが4人いて、まだまだ子育てまっただ中です。末っ子が中1になり楽になってはきたもののまだまだ生活に追われる家庭という感じで、先のことよりも目の前のことという感じです。子育て後、最後は夫婦2人になるんだけど、今は空いている時間に妻に「2人で外に出てデートしようよ」といっても遊んでくれません。「忙しい」「友だちと行ってらっしゃい」って。僕は仲良し夫婦だと思っていますけどね。晩婚化で50代は子育て中という感覚の家庭も多いと思います。
――「50代は子育て中」ということですが、世間では50代や60代で親の介護が入ってくる人も多くいます。三宅さんはいかがですか。
三宅さん:両親は神奈川県内で暮らしています。この1年か2年でもう認知症かなという感じになってきているので、介護が目前に迫ってきているという感じです。妻の実家は電車で1時間ぐらいのところですが、実家がゴミ屋敷にならないように、いつも片付けに行っています。
――少しずつ始まるわけですね。
三宅さん:父は高齢で頻尿になって、紙パンツの吸水量がいっぱいになっても面倒くさくて変えないので、あちこちで漏れてしまいます。母が一生懸命どうにかしようとしています。
――在宅での介護を推奨する政策が進められています。
三宅さん:要介護2で、週3回デイサービスに行っているので、母はだいぶ精神が安らぐみたいです。もう少し要介護度が上がると、介護施設への入所を考えると思います。こちらから、何度か同居の話を持ちかけたこともあり、妻も「がんばる」といってくれましたが、親の方も「頼りすぎちゃうからいい」と言ってくれているので、距離感を持って生活をしています。母親は地元の人間関係があるので、僕の住んでいる東京に出てくることは考えにくい面があります。
――この先、親の介護と仕事と家庭との両立をどのようにイメージしていますか。
三宅さん:そこは考えるのを逃げているのかな。一馬力で働いている中で、介護をどんどんしていかなければいけないという人生のイメージをまだ持てていません。
――三宅さんはセカンドステージ、サードステージをどうイメージしていますか。
三宅さん:自分の強みであり弱みでもあるけど、僕はおしゃべりで寂しがり屋なところがあるので、ある程度仲良しがいて、自分と楽しく話してくれる人がいれば、なんとなくどうにか生きていける感じがあります。これから未婚や離婚などで単身者が増えていく中で、シェアハウスを通じた「疑似家族」というライフスタイルはいいなと思っています。今後すごくニーズがあると思います。帰ると「お帰りなさい」とか、一言二言話せるような人がいて、でもちゃんと個室があって1人にもなれるし、寂しくなったらキッチンとかシアタールームで話したりお酒を飲んだりすることもできるみたいな。足腰が弱くなると近所に仲間がいることが大事なので意識して、僕は地域のコミュニティに出入りしています。
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