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今ある幸せな状態がずっと続かないと考えて行動 自分を俯瞰できる瞬間が大切 古屋絢子さんの「私のproject50s」

浅草をよく訪れる古屋絢子さん

50s(フィフティーズ)といわれる50代の人たちのインサイトに迫るインタビューシリーズ「私のproject50s」の2回目は、全国通訳案内士(英語)の古屋絢子さん(46)に、アラフィフの生き方、考え方、アクション、そして50代について語ってもらいます。みなさんと一緒に、人生100年時代の折り返しからの50年を「Well-being&Social Good」な人生にすべく、考えていきたいと思います。

古屋 絢子(ふるや・あやこ)
合同会社「観光ラボ」代表、全国通訳案内士(英語)、文教大学国際学部講師。横浜市在住。2004年お茶の水女子大学大学院修了後、日本科学未来館の科学コミュニケーターとして勤務。その後、東京大学特任研究員を経て2013年に全国通訳案内士試験に合格。コロナ禍の2021年には、米国セントラル・フロリダ大学大学院にて観光経営学を履修。フリーランスの英語通訳ガイドとして、観光分野の教育者として日本のインバウンド観光業界のプレイングマネージャーを目指している。夫と2人暮らし。

学生時代の就職活動は惨敗/たどり着いた通訳ガイドは定年に関係なく仕事ができるところが魅力

紆余曲折を経てたどり着いた仕事

古屋さんは、2022年6月、合同会社「観光ラボ」を立ち上げました。また、文教大学国際学部の非常勤講師として「観光英語」という科目を担当しています。これらのベースとなっているのが、2013年3月から始めた全国通訳案内士(英語)です。世界各地から日本を訪れるお客様に英語で観光案内をする通訳ガイドを仕事にすることをいつごろから考え始めたのでしょうか。

古屋さん:小さいころからの夢っていうわけではなくて、20代のころ、日本科学未来館で仕事をしていたときに、たまたま通訳ガイドの人がツアーで来館されて、お客様を案内している姿を見て憧れたのが始まりです。

――通訳案内士の資格はどのような部分が魅力的ですか。

古屋さん:1つはプロのライセンスがあれば、定年に関係なく仕事ができるところが魅力です。20代のころは、日本科学未来館で展示解説をしていたんですが、どうしても科学技術の分野だけとか、館内の話だけというように活動するエリアが制限されてしまいますけど、通訳ガイドだったらお客様と一緒にいろいろな場所に移動して、旅していけますよね。加えて、いろいろな分野の案内ができるところに、すごく魅力を感じました。そもそも旅が好きだったのも大きな動機かなと思います。

――古屋さんが就活した時代はすでに男女雇用均等法時代ですよね。

古屋さん:正直なところ、私は大学院を出るときの就職活動は惨敗でした。だから、日本科学未来館で有期雇用職員として働いているときは、常に頭の片隅で「この先どうしよう」っていうことを考え続けていました。

――帰国子女だったり、英語が得意だったりしたから通訳ガイドの仕事を始めたわけではないのですね。

古屋さん:同業者の中には、海外生活経験があったり、帰国子女だったりする人も多いんです。ですので、私は異色だと思います。ただ、このバックグラウンドが活きることもあります。それは教えに行くとき、「私は日本でしか英語を勉強してないんですが、今、仕事としてどうにかやっていますよ」と胸を張っていえるんですよ。自分が英語を身に着けたプロセスも紹介できます。

――通訳ガイドとしてどのような仕事をしているのですか。

古屋さん:プライベートツアーが8割ですので、お客様とすごく密着します。自分と違うバックグラウンドの人たちの人生に触れることができて、その人たちがどういう目線で日本を楽しむのかっていうことが見えてきます。また、お客様と自分の生活や価値観をよく比較するので、違いや共通点もよく見えます。そういう経験はなかなか自分から進んでできるものではないと思っています。

――起業した「観光ラボ」は何をする会社ですか。

古屋さん:女性2人でやっています。共同代表は大阪に住んでいる30代の中小企業診断士をしている人です。「日本のインバウンド観光を盛り上げたいよね」という話になり、経営面のアドバイスとインバウンド観光の人材育成を包括的に提供できると思い始めました。ビジョンが重なり、2人とも違う得意分野があったのが大きいですね。

夫婦で選択した子どもがいないことを前提にした人生/別の形の社会貢献をやりたい

アラフィフからの人生のデザイン

――古屋さんはアラフィフってどんなイメージですか。

古屋さん:20代のころは、いろいろなものが完成されていて、落ち着いているイメージがありました。ところが、自分がアラフィフになると、まだまだ未熟な部分もあって、伸びしろもあると感じています。若いころに想像していたよりも、自由で楽しい時期かもと思っています。

――アラフィフからの人生をどうデザインしていますか。

古屋さん:私たち夫婦は話し合ったうえで子どもを持たないという選択をしました。そうなると、子どもがいないことを前提にずっと人生を歩んでいくわけですが、自分たちができることをできる範囲でずっとやっていこうということになります。あとは、自分たちの人生を人に迷惑をかけない範囲で楽しもうっていうことをすごく大事にしているかなと思います。また、弟の家族のように、子どもを育てることをしない分、余力があるので、別の形の社会貢献をお互いやりたいねって夫と話しています。

――どのようなことですか。

古屋さん:夫のケースが分かりやすいと思います。会社には勤めているんですが、コロナ禍の前から、毎年1度、難病を抱えたお子さんとその家族のサマーキャンプのボランティアに行っているんです。サマーキャンプのボランティアが夫のサードプレイスになっているみたいです。ボランティア同士のつながりがあるようで、そういう仲間に年に1回会えるっていうことが楽しみになっています。

――古屋さんは日常的に人と会っていますね。

古屋さん:はい、常にお会いする方からたくさんの刺激をいただいています。出会いといえば、ガイドでご縁のできた地域の活動をサポートすることはこれからますます増えると思っています。その地域でインバウンド観光興味を持ってくれる人を増やす種まきもできると考えています。

撮影スポットを理解するのも仕事だ

コロナ禍で自分の存在価値ゼロぐらいに感じる日々/どこかで自分を俯瞰できるような瞬間が大切

私とウェルビーイング

――アラフィフや50代になると、女性も男性もホルモンのバランスが崩れたり、体調を崩したりする人がいます。古屋さんはどうですか。

古屋さん:コロナ禍の3年間は落ち込むときがありました。1つは仕事がなくなったこと、しかも自分が天職と信じていてすごく楽しくてやりがいのある仕事ができませんでした。収入がなくなり、先の見通しが立たない。こんなに自分を支えていたものって脆かったんだって、自分の存在価値ゼロぐらいに感じる日々がありました。

――どう乗り越えたのですか。

古屋さん:できることを必死で探しました。それが非常に大きかったですね。収入と生きる目的を得るためにいろいろなアルバイトをしました。

――どんなアルバイトをしましたか。

古屋さん:例えば演芸場でのアルバイトです。落語のチケットのもぎりだったり、チケット販売だったり。コロナ禍にYouTubeで落語などの演芸を見るようになって、演芸場にも足を運び始めたんです。そこでアルバイト募集しているのを知り、1年半ほどアルバイトをしました。何かをやってないと、どんどん自分の内側に意識がいって、ますます落ち込むなって思いました。そのような状況で半年ほど米国の大学院への留学プログラムに参加したこと(日本からのオンライン受講)は大きな挑戦でした。

――そこは重要ですよね。

古屋さん:どこかで自分を俯瞰できる瞬間とか、「辛い」とか「しんどい」とか「悲しい」みたいな感情と距離がおける瞬間がないと、きついと思うんですよね。演芸場のアルバイトをしていたとき、一緒に入った人がいました。60代の女性で、ずっと専業主婦をしていた人です。子ども3人が独立して、介護していたお母様が亡くなり、心にぽっかり穴があいてしまったと話していました。そんなとき、以前から落語が好きだったので家族から「アルバイトをしてみたら」と勧められて応募した人です。私と状況は違いますが、悲しみに浸りすぎないようにするっていうこととか、何かをしていたほうが前向きになるだろうっていうところは私も一緒だったと思うんですよね。

家族について語る古屋さん

20代から親とどう付き合っていくかを考えながら暮らす/今ある幸せな状態がずっと続かない

親の介護と私の人生

――親の介護をどう考えていますか。

古屋さん:3歳年上の夫と二人暮らしで子どもはいません。それぞれの両親は、まだ生きています。私の父親は、20年前に脳出血を発症して、後遺症のため右半身不随で車いすでの生活をしていたんですけど、昨年、骨折して入院しました。退院をして自宅に戻ったらほぼ寝たきりの状態でした。今、通所リハビリサービスを週2回利用しています。母親が父親の介助をしてきましたが、母親の体力の限界が来たら、介護施設に入所してもらうことを考えないといけない状況です。弟の妻が看護師のため、介護で困ったときに誰に相談すればいいのか、的確にアドバイスをしてくれるので助かります。

――母親がギブアップしたり、病気になってしまったりしたときはどうするか相談していますか。

古屋さん:そうなったら弟と話をします。「(それぞれが)できることはやりましょう」ってことになると思います。私は自営業なので、週何日か実家に行って介護をすることはできると思います。弟夫妻と私たち夫妻の4人のうち、勤めていないのは私だけです。恐らく週何日かは私が担当で、それ以外の日に仕事するという感じに変えていくと思います。

――家族で介護の分担を話し合える関係性っていいですね。

古屋さん:私の実家の場合は、ちょうど弟も私も社会人になるタイミングで父親が倒れたので、20代から仕事をしながら、自分の家族を持ちながら、どう親と付き合っていくかを考えながら暮らしてきました。他の人より早い段階で、家族で介護を分担しあうことや介護サービスを利用することの大切さを理解していたのかもしれません。

――「自分の人生はどうなっちゃうの」と葛藤がある人も少なくないと思います。葛藤はありませんか。

古屋さん:できるときに、できることをしなきゃいけないとすごく思います。私の仕事の関係ですと、宿泊を伴う長いツアーはいろいろな条件がそろっているときでなければ引き受けられないと思いました。だから、コロナ禍の前、2年間ほどは長期ツアーをたくさん行いました。いつか「出たいけど、出られない」ときが絶対くると思っていたので。

――少し先を読んだ上で、さまざまなことに取り組むことが大切ということですね。

古屋さん:計画までは立てられないですけれども、今ある幸せな状態がずっと続かないっていうのはいつも考えています。それは通訳ガイドとして順調にデビューしていても、コロナ禍のために3年間まったく仕事ができなかったっていうことからもいえます。

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