記憶障害がないと「認知症らしくない?」 実は、他にもさまざまある症状
認知症について知っておきたい基礎知識について、榊原白鳳病院(三重県)で診療情報部長を務める笠間睦医師が、お薦めの本を紹介しながら解説します。
若年性認知症を題材にして夫婦や家族、地域のつながりについて描いた映画「オレンジ・ランプ」の主人公である只野晃一(ただのこういち)さんのモデルとなったのが仙台の丹野智文さんであることは、この連載第5回でお伝えしました。
丹野智文さんは、各地で講演活動をするなど、若年性認知症の本人発信活動を積極的にされています。そうした活動の中で、これまで幾度となく「認知症らしくない」と言われてきたそうです。著書のその部分の記述を以下に抜粋してご紹介しますね。
- 「認知症らしくない」と言われても
- 時には強い口調で「携帯電話が使えるのだから認知症ではない、俺でさえ使えないのに」と言われたり、「何を根拠に認知症と言っているのだ」と言われたり、「話が普通の人よりもうまいのはおかしい」とも言われました。認知症の人を何だと思っているのでしょうか?
私は二カ所の病院で合計一カ月半検査入院をしてアルツハイマー病と確定され、診断書にアルツハイマー型認知症と書いてあるから「認知症」と言っているのです。「話がうまい」のは、もともと営業マンで人と接する仕事をしてきたからです。講演も三〇〇回以上すれば誰だってうまくなると思うのです。
それなのに、噓つきのような言い方で怒られるのは意味がわかりません。認知症になりたくてなったわけでもないし、噓を言って活動するメリットは何もないのです。
【丹野智文『認知症の私から見える社会』 講談社, 2021, pp57-60】
さて、本日のクイズです。アルツハイマー型認知症の代表的な症状は記憶障害です。
一方で、若年性アルツハイマー型認知症では、記憶障害以外の症状がどの程度の割合で目立つのでしょうか?
丹野智文さんの主たる症状の一つに「顔がわからない」という症状があります。丹野智文さんの別の著書からその一節をご紹介しましょう。
- 社員の顔がわからない
- 時々社長の顔も忘れてしまうことがあるので困ったものです。「この人、えらい人だな」という感覚はあるのですが、だれだかわからなくて、そばにいる人に「あの人、だれ?」って聞くと、「社長だよ」って笑っているんです。社長の顔を忘れるなんて、本当なら怒られても当然なのですが、今の会社は笑っていられる環境だからいいんだと思います。
【丹野智文:『丹野智文笑顔で生きる 認知症とともに』 文藝春秋, 2017, pp100-103】
丹野智文さんは「顔を忘れた」と書いています。忘れたのなら記憶障害ということになります。
しかし、顔の識別ができない場合にも「顔を忘れた」という表現になります。顔が認識できない症状は「相貌失認」と言われています。
さて、ここでちょっと専門的な話をさせて下さい。
後部皮質萎縮症(Posterior cortical atrophy:PCA)という病態があります。PCAは記憶や遂行機能(計画を立てたり、計画通りに行動したりすること)が比較的保たれる一方で、顕著な視空間認知障害がみられる神経変性疾患の総称で、頭頂葉、後頭葉、および後頭側頭皮質の機能が少しずつ低下していきます。その原因となる病気は様々であるものの、アルツハイマー病が多くの割合を占めることが知られており、若年性アルツハイマー型認知症の約5~13%がPCAであることが報告されています。病状の初期には視空間認知障害を主症状としますが、徐々に記憶障害や言語障害など全般的な認知機能障害を示すようになるとされています。相貌失認がみられるケースがあることも報告されております。
若年性認知症の方が、「認知症らしくない」と言われてしまう問題に関しては、若年性アルツハイマー型認知症のうち、記憶障害以外の症状が目立つタイプがあることが、社会にあまり知られていないことに起因するのだろうと思います。
それではクイズの正解をご紹介します。
65歳未満で発症する若年性アルツハイマー型認知症では、3分の1が健忘以外の症状が目立つ非典型アルツハイマー型認知症といわれています。非典型例の主症状としては、失行/視空間認知障害が38%、失語が29%、失語/失行/失認が25%とされており、失語がみられる症例は少なくありません。
【鈴木匡子「失語を主症状とする若年性認知症の症候学」『 医学のあゆみ Vol.278 No.12 1034-1038』、 2021】
多くの方が、「認知症=記憶障害」という先入観を持っていますので、記憶障害が目立たないと認知症とは思われないのです。
これは、アルツハイマー型認知症の場合に限りません。
この連載第6回『知っていますか?レビー小体型認知症 前触れとなる症状や薬剤過敏』で紹介しましたレビー小体病当事者の樋口直美さんも著書の中でこの問題について言及されています。
- 2014年3月17日 テレビの撮影
- 今日、午前中、民放テレビの撮影が終了。ディレクターは、私が、レビー小体型認 知症だということが、どうしても信じられない様子だった。レビーの症状が、一般の人のイメージする「認知症」とは全く違うということを繰り返し説明したが、納得できないようだった。(中略)「認知症には、全然見えないですよね?」とディレクターは言う。スタッフ全員が、深くうなずく。私は、強い違和感を覚えた。見えようと見えまいと、その病気であることに変わりはない。いつか進行すれば、そう見えるようになる日が必ず来るだろう。しかし、「あなたは認知症に見えないから映像は使えないかも知れません」と言う。【樋口直美 『私の脳で起こったこと レビー小体型認知症からの復活』(ブックマン社, 2015 ,p168-169)】
レビー小体型認知症の臨床診断基準(2017 年改訂版)には、以下のような但し書きがあります。
- ※顕著で持続的な記憶障害は病初期には必ずしも起こらない場合がある
この但し書きについて、残念ながら、医療者の中でもあまり知られていないようです。世間の人となるといわんやです。こうしたこともあり、レビー小体型認知症の人も認知症らしくないと思われがちなのです。
最後に、前述した後部皮質萎縮症(PCA)に関する書籍を一冊ご紹介しますね。
『ケアのたましい』の著者アーサー・クラインマンさんは、ハーバード大学の著名な精神科医です。妻のジョーンさんが目の不調を訴え始めたのは50代の後半です。6人もの神経眼科の専門医の診察を受けようやく診断がつきました。壮絶なカプグラ症候群(同じ姿をした偽物であると訴える症候)の兆候とケアの魂が書かれたお勧めの一冊です。