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39歳で認知症と診断、働き盛りの男性が選んだ道 当事者サミット1

2018年12月、丹野智文さんの講演などをプログラムにした「eまちサミット~認知症になっても、みんなが笑顔になるまち~」が八王子ケアラーズカフェ「わたぼうし」と八王子市の共催で開かれました。その様子を2回に渡ってお伝えします。

切々と思いを語る丹野智文さんの講演に、来場者は聴き入っているようでした
切々と思いを語る丹野智文さんの講演に、来場者は聴き入っているようでした

若年性アルツハイマー型認知症と診断された丹野智文さんが語ったこと

サミットには認知症の当事者と家族、介護スタッフなど200人以上が来場し、「昨秋、認知症と診断された」という八王子市在住の大川和良さんの司会のもと、当事者による熱のこもった講演やディスカッションに耳を傾けました。参加者がいくつかのグループに分かれ、登壇した当事者とともに車座になって思いのたけを語り合うセッションが設けられていたことも、特徴の一つです。
ここからは、39歳で「若年性アルツハイマー型認知症」と診断され、仕事を続けながら、もの忘れ総合相談窓口「おれんじドア」実行委員会代表を務める丹野智文さんの基調講演の模様です。

親孝行しなくちゃいけない両親に心配をかけつづけるのか

仙台市内の自動車ディーラーで営業マンとして働いていた丹野さんが、「異変」に気づいたのは10年ほど前、30歳代半ばのことでした。
もの覚えが悪くなったと感じ、それまで手帳にメモしていた仕事の予定や手順を大判のノートに詳しく記すようにしました。やがてノートを何度も確認するようになり、書き込む内容も増えていったといいます。次第に、来店したどの人が自分のお客さまなのかわからなることが多くなり、ついには毎日顔を合わせている同僚の名前も出てこなくなったそうです。
病院に行くことを決意した丹野さんは、最初に受診した脳神経外科医に大きな病院の「もの忘れ外来」を紹介され、そこで「アルツハイマーの可能性がありますが、この若さで診断したことはありません。大学病院に行ってください」といわれました。
大学病院に検査入院した丹野さんの脳裏をよぎったのは、「認知症=終わり」ということでした。「これからどうなるのだろう」と不安がつのる一方で、「こんなに元気だし、何かほかの軽い病気ではないか」と思いたい気持ちもあったといいます。
それまでに受診した病院で受けたのと同様の、いささかうんざりするような検査が終わり、丹野さんは奥さんと2人で主治医から結果を聞きました。告げられた病名は「若年性アルツハイマー型認知症」、39歳のときのことでした。
「妻には心配をかけたくないと思い、平然とした顔で先生のお話を聞いていましたが、ふと隣を見ると妻が泣いています。その姿を見て『認知症=終わり』を思い出しました。妻が帰り、1人になると涙がこぼれてきました。病気になって一番つらいのは病気になったことではなく、妻や子どもたち、両親に心配をかけることです。本来なら親孝行しなければならないのに、これからも心配をかけつづけるのかと思うと、とてもつらいです」

ほぼ満員の会場の様子
会場はほぼ満員。司会進行を担当する大川和良さんの隣には、手話の同時通訳も

だいじょうぶ、おまえが忘れてもオレたちが覚えているから

丹野さんは診断の翌日から進行を遅らせる薬を飲み、副作用対策のため数日間入院しました。日中は毎日病室を訪ねてくる主治医に相談することで少し気分が落ち着くものの、夜になるとやはり不安で眠れなくなりました。何とか地元で症状の進行を遅らせる手段はないかと期待を込めてスマホで検索し、「認知症の人と家族の会」の存在を知りました。
退院後、この会に参加した丹野さんは、「私より先に不安を乗り超えた、笑顔で元気な同志たちとの出会いにより少しずつ不安が解消され、『認知症=終わり』ではないことに気づきました」といいます。
丹野さんが選んだのは、認知症になったことを悔やむのではなく、認知症とともに生きるという道です。そのため、自分が認知症であることを公表し、できないことをサポートしてもらいながらできることをしていきたいと望みました。
そのことで子どもたちがイジメにあったりしないかと心配でしたが、「パパはいいことをしようとしているんだから、いいじゃない」と言ってくれ、決意が固まったといいます。
「高校時代の仲間と会う機会があり、『次に会うときにみんなのことを忘れていたらごめんね』というと、『だいじょうぶ、おまえが忘れてもオレたちが覚えているから』『忘れないように定期的に会おうよ』と言ってくれました」

当事者を「要介護者」ときめつけ、できることを奪わないで

丹野さんは勤務先のはからいで営業職から事務職に移り、休日は、不安を抱えながら仕事を続けている認知症当事者のための総合相談窓口での活動や講演活動などに力を入れています。
こうした活動を通じて痛感したことの1つは、当事者の多くが周囲の人々から「要介護者」と見なされ、日常生活のすべてにわたって世話をやかれることが本人の自信を失わせているという現実です。
たとえば、丹野さんが当事者や家族と一緒に昼食をとったとき、「ご家族がお弁当のふたを開けてあげ、わりばしを割ってあげ、『はい、食べなさい』などと言っている姿を見て、まだ自分でできるのに何をやってるんだろう、善意の支配ではないか」と感じたといいます。
丹野さんが、家族や周囲の人々の対応で大切なこととして挙げたのは「当事者が失敗したとき、怒られない環境をつくる」ということです。
「当事者は自分が失敗したことはわかっていますが、なぜ失敗したのかがわからないのです。失敗して悪かったと思っているときにどなられたりすると、どうしようもない怒りに変わります。失敗ばかりして迷惑をかけていると思い、何もしたくなくなって落ち込んだりうつになったりする人も多いのです」
丹野さんは、「当事者を介護が必要な人と決めつけ、できることを奪わないでください。時間はかかるかもしれませんが、待ってあげてください。1回できなくても、次にできるかもしれないと信じてあげてください」と訴えます。
もう1つ強調したのは「病名から人を見ないで、目の前の人をきちんと見てください」ということです。
「認知症にはさまざまなタイプがあり、症状も軽度から重度までいろいろな段階があります。本当に介護が必要になるのは重度になってからのことです。すべての当事者に対して介護が必要な人として接することは、目が悪くなるのも近視や遠視などいろいろな原因があり、それぞれ度も違うのに、1つの眼鏡を押し付けるようなものなのです」
丹野さんの基調講演は、数時間にわたるeまちサミットで、それぞれに異なる問題を抱えた参加者が解決への道を探る入口になりました。

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