変えていきたい認知症への否定的なイメージ 知って欲しい多様な姿
認知症について知っておきたい基礎知識について、榊原白鳳病院(三重県)で診療情報部長を務める笠間睦医師が、お薦めの本を紹介しながら解説します。
「共生社会の実現を推進するための認知症基本法」が2024年1月1日に施行されました。今年は、認知症の人が尊厳を保ち、希望を持って暮らし続けられる共生社会の実現を目指して、社会全体で大きな一歩を踏み出すことができる年になれば良いなと新年の初めに願っています。
さて、皆さんは認知症の人に対してどのようなイメージを抱いているでしょうか。
2019年、内閣府は世論調査で認知症へのイメージについても調査しました。結果は以下の通りです。
40.0%:身の回りのことができず、介護施設に入る(※)
32.6%:医療介護を利用しながら地域で生活
8.4%:症状が進行し、何もできなくなる(※)
8.0%:暴言・暴力などで周りに迷惑をかける(※)
6.9%:自ら工夫して補い、自立的に生活できる
3.4%:わからない
0.7%:その他
この調査結果によりますと、認知症になった人のイメージについて、本人の人格を否定するようなマイナスのイメージが過半数(※の回答を合計=56.4%)を占めていました。このような認知症に対する否定的な見方がいまも社会の中に根強く残っているのです。その要因の一つとして、1972年に発刊された有吉佐和子さんのベストセラー小説『恍惚の人』において、困った行動をする認知症の人と周囲で対応に苦慮する家族の姿が描かれおり、それが多くの方の脳裏に焼き付いたことが挙げられると思います。
こうした認知症に対する否定的なイメージに、認知症当事者の方々は長年、苦しめられてきました。
豪在住の認知症当事者発信活動の先駆者クリスティーン・ブライデンさんは著書『私は私になっていく』の中で最初に診断されたときの心情をつづっています。
- 私の人生は、診断の事実に直面したショックで、劇的に変わってしまった。
「痴呆症ですよ。治りません」と医師が言った言葉は、まるで呪いのように感じられた。(中略)
痴呆症の人の多くは、診断を受けた時、「標準的な痴呆の人生シナリオ」を言い渡される。「完全に痴呆になるまでに五年、それから三年で亡くなるでしょう」――これでは私たちのような痴呆症を持つ者がうつになったり、嘆いたりするのは当たり前だ! 痴呆症とアルツハイマー病という言葉は、どちらも怖れと不安を引き起こす。
【著/クリスティーン・ブライデン, 訳/馬籠久美子・桧垣陽子,『私は私になっていく―痴呆とダンスを』, クリエイツかもがわ, 2004, p119】
クリスティーンさんがアルツハイマー型認知症と診断されたのは95年、46歳のときのことでした。医師に示された「人生シナリオ」は正しかったのでしょうか?
いいえ、クリスティーンさんは、診断から9年後の2004年、アルツハイマー病協会国際会議(京都)のために来日し、元気な姿を見せるとともに、世の中の認知症に対する偏見を崩す講演をされました。その後も当事者発信活動を続けられています。
私は2017年4月22日にクリスティーンさんが来日講演をされた際に、行動や表情の変化の様子を間近で観察できる機会があり、とても細やかな気遣いのできる方だなぁ~♪と感動したことを覚えています。
最近では2023年10月に来日され、都内で講演するとともに、日本の認知症当事者のみなさんと交流されました。
クリスティーンさんは前述の著書の中で、2003年11月に撮影されたMRI画像を紹介しております(p117)。その画像には、前頭葉と頭頂葉および側頭葉の萎縮がはっきりと映し出されています。
病識を生み出す脳の部分についてはさまざまな議論がありますが、一説には前頭葉の腹内側部が強く関与しているとされています。クリスティーンさんに病識、そして自己があることをいったいどう医学的には説明すれば良いのでしょうか?
中村博武さん(元プール学院短大教授)が書かれた本『認知症の人間学 認知症の人の内面世界を哲学から読み解く』の帯にはこんな文章が書かれております。
クリスティーンは115歳の脳のようだと診断されたとき、「スキャン画像と診断の後ろに、正常な人間としての私がいる」との確信があった。脳が萎縮し、認知の層が剥がれても、その底に健全な「真の自己」があるという彼女の直感は、フランクル(オーストリアの心理学者:編集部注)のいう精神的主体としての人格と呼応している。精神的人格は、分割不可能であり、融合し得ないものであり、代替不可能で個別的な自己性をもつ。
【中村博武,『認知症の人間学 認知症の人の内面世界を哲学から読み解く』, 風媒社, 2023】
日本の認知症ケアの先駆者である小澤 勲先生(故人)も、クリスティーンさんのMRI所見と臨床症状の乖離(かいり)について不思議そうに言及されております。
- 知的「私」の崩れが少ないクリスティーン
- 確かに、彼女の記憶障害、見当識障害はけっして軽度ではない。萎縮がきわめて強い彼女のMRI画像をみても、これは納得できる。しかし、知的な「私」の壊れはほとんど見あたらないのである。テレビでのキャスターとの見事なやりとりをみても、数日ごいっしょして公的な場だけではなく彼女と接する機会があった私がみても、そうなのである。
【小澤勲,『認知症とは何か』 岩波新書, 2005, p143】
クリスティーンさんの知的「私」の崩れが目立たないことをどう考えれば良いのでしょうか?
ヒントとなるのが、認知症介護研究・研修東京センター長の山口晴保先生の以下の指摘です。
- 昔は脳の部位ごとに固有の働きがあるという機能局在論が主流でしたが、今は脳のネットワークが役割を分担しつつ協同して働いているという考え方になっています。
【虫明 元、山口晴保『認知症ケアに活かすコミュニケーションの脳科学20講 ―人のつながりを支える脳のしくみ―』, 協同医書出版社, 2023, p45】
脳がネットワークとして機能を補完しているのかも知れませんね。まだまだ、脳については分かっていないことが多く残っているのです。
けれど、「認知症になると自分のことが分からなくなってしまう」といったイメージが多くの人に根強く残っているため、元気に活動する認知症の人の姿を見ると、これまでに思ってきたイメージと乖離しているため、「認知症らしくない」と言ってしまうといった問題が発生するのです。
周囲の人々だけでなく、当事者の方々も同じように感じ、戸惑われていらっしゃいます。現にレビー小体型認知症の当事者である樋口直美さんも、「じゃあ、認知症っていったい何なんだ~!?」とご自身の本で述べられています。
樋口さんは、自身がレビー小体型認知症ではないかと疑って以来ずっと認知症について調べ続けてきたといいます。専門書も含めて多くの本を読み、深く知れば知るほど、個人差が大きすぎてわからなくなるとの結論に達します。
- 認知症って何なのよ
- 正直に言うと、もう私はギブアップしている。私には認知症がわからない。従来の解説や分類では説明できないことがいくらでもある。アルツハイマー型認知症と診断されていた人を解剖すると半数から3分の1は違う病気だったという調査もある。
そもそも「認知症」って何なんだ? そこからして、てんでんばらばらなのだ。
テレビで以前、よく医師が言っていたのは、「もの忘れをする病気です」
もの忘れが主症状ではないレビー小体型認知症(純粋型)も前頭側頭型認知症もある。若年性アルツハイマー病にも記憶障害が目立たない人たちがいる。
【樋口直美『「できる」と「できない」の間の人――脳は時間をさかのぼる』, 晶文社, 2022, p160-169】
樋口直美さんは、近著『レビー小体型認知症とは何か──患者と医師が語りつくしてわかったこと(ちくま新書, 東京, 2023)』で、認知症専門医である内門大丈(うちかどひろたけ)先生(メモリーケアクリニック湘南院長)と語り合いながらレビー小体型認知症について徹底解説しています。
この本では、樋口直美さんが鋭い質問を投げかけ、内門先生から希望の数々を引き出しているとともに、認知症における症状の多様性についても言及しており、まさに目から鱗の一冊ではないかと思っています。
- 内門:多様な特徴やそういう具体的な症状を知ってさえいれば、レビー小体病の可能性に気づけるようになりますよね。(中略)レビー小体型認知症でも記憶障害や認知症がない患者がいることは、そういう患者を診ている医者はよくわかっています。でも認知症の定義とは異なってしまうので、みんな誤解しますよね。(p26)
内門:平均罹病期間は、三年から七年とも書かれています。でも実際は、初期にきちんと診断できていないだけで、もっとずっと経過が長いだろうと思います。相当高齢になるまで気づかれず、かなり進行した段階でやっと診断された場合は、そういう数字になるのかも知れません。この病気は、うまくコントロールできればそんな短命になるということはないんですよ。(p40-41)
内門:進行しないレビー小体病の患者さんはいますよ。(後略)
樋口:進行しない人がいるなんて、世間ではまったく知られていません。(中略)「この病気は進行が早いんだ。あなたみたいな患者はいない」と面識のない医師から直接言われたこともあります。(p93)
内門:私の外来では、レビー小体型認知症に限らず認知症の人で、がっつり抗精神病薬を使わなきゃいけない人はそんなに多くないです。環境を整える、関わり方を変える、よけいな薬を出さない、体の調子を整える、そんなふうにしていくだけで改善してくるんです。(p104)
認知症基本法では、国民は認知症の人に関する正しい理解を深め、共生社会の実現に寄与するよう努めることが責務とされています。「認知症の人に関する正しい理解」とは、認知症とは多様であるということを理解することから始まるのではないかと思います。
今回で年末年始シリーズは最終回となります。4週間の短い期間でしたが、ご愛読ありがとうございました。またいつの日にか「なかまぁる」でお会いできることを楽しみにしております。