働く意思のある社員を守る 認知症当事者を雇用する社長の話(2)
取材/神 素子 撮影/岡田晃奈
「認知症の人に、仕事なんてできるはずがない」そんな思いこみを払拭するのは、本人の工夫と努力、そして周囲の理解です。それを6年間実践してきた丹野智文さんとネッツトヨタ仙台株式会社(宮城県)ですが、今年の初め丹野さんは「会社を辞めさせてほしい」と三浦勇治社長に伝えました。それはどうして? ※前回の話(1)はこちら
若年性アルツハイマーと診断されて6年、新しい夢ができた
若年性アルツハイマー型認知症と診断されて6年。丹野さんの人生は180度変わりました。会社での立ち場や仕事内容の変化だけでなく、著書の出版、国内外での講演活動、認知症と診断された人の相談窓口「おれんじドア」の開設、認知症家族の会などへの参加、行政機関への助言など、「若年性認知症当事者」としての活動が急激に増えたのです。
できるだけ会社を休みたくない丹野さんは、休みの前日の夜に仙台を出発して、講演会をしてトンボ返りするような生活に。しかし、ハードな生活のせいで、仕事への集中力を落してしまうこともあったそうです。
「ぼくは自動車販売という仕事が好きで、会社の皆さんも大好きなんですが、新しい大きな夢もできました」
それは、認知症の当事者たちの絶望を少しでも軽くすることだと丹野さんは言います。
「ぼくは診断後一年半くらいは、不安で毎晩わんわん泣いていたんです。この気持ちは、みんな同じです。だから、絶望の時間を少しでも短くしたい。『社会を変えよう』なんて大それたことではなく、一人でもいいから認知症当事者を元気にしたい。それが結果として社会を変えることにもつながるのでは、と思うようになったんです」
「トヨタ自動車には、宇野昌磨。ネッツトヨタ仙台には、丹野智文」
大きな夢を抱いた丹野さんは、決断しました。大好きな会社、信頼できる仲間たちと別れることを。
しかし、その思いを聞いた三浦社長の返事は驚くべきものでした。
「会社を辞めることも一つの方法だけれど、ネッツトヨタ仙台に籍を置きながら、その活動を続けるということもできるんじゃないかな」と三浦社長は言ったのです。
三浦社長の前職はトヨタ自動車。ふと、トヨタ自動車に所属するフィギュアスケーターの宇野昌磨選手を思い浮かべたのだそうです。
「スポーツ選手のように、会社に所属しながら別の活動を続け、結果的に会社に貢献している人が多くいます。丹野くんの活動も同じくらい価値がある。トヨタ自動車に宇野昌磨選手がいるように、ネッツトヨタ仙台には丹野智文がいる、ということです」(三浦社長)
三浦社長はさっそく専門家と相談して、今後の丹野さんとの雇用形態や社会保険の扱いなどの課題を検討。給与などもいままのレベルを維持できるよう、今後の活動母体となる医療法人への「出向」という形をとることを決めました。
「これまで通りの給与と賞与をいただきながら、活動させてもらっています。感謝してもしきれないです」(丹野さん)
高齢化社会に向けて、会社が成長を続けるためには
ネッツトヨタ仙台と丹野さんの取り組みは、現在の日本社会の中では異例中の異例といえるでしょう。実際には、認知症とわかった時点で退職を決断する人、あるいは認知症を隠し続けて働く人がほとんどです。
このような英断に踏み切ったのはどうしてでしょう。
三浦社長は、「前提として、『認知症の人だから』ではなく『丹野くんだから』働き続けてほしいと思った、ということがあります」と前置きしたうえで、このように話してくれました。
「日本は今後、少子高齢化がますます進みます。若者は減り、70代まで働く人も増えるでしょう。そうなると、認知症でなくても記憶力が衰えたり、疲れやすくなったりしますよね。それを周囲が認め、本人が工夫して乗り切る方法を見出していかないと、会社が高齢化社会で成長し続けることはできません。その方法を教えてくれる存在のひとつが、認知症当事者の社員だと思うのです」
さらに、三浦社長には別の思いもありました。
「丹野くんが認知症とわかっても働き続けていることは、わが社の社員の安心感にもつながると思うのです。人はいつ何どき、どんな病気になるかわかりません。『それでも、働こうという意思さえあれば、会社はあなたを守ります』というメッセージになります」
実際に丹野さんのもとには、何人かの社員から「がんが見つかったのですが、働き続けられますか?」など、相談のメールが届くことがあるそうです。
「病気があっても、働きたいという思いとやる気さえあれば仕事は必ずあります。それが会社なんです」(三浦社長)
認知症だからこそ、できる発想もあるはず
そしてもう一つ、「認知症当事者ならではの発想」が新しいビジネスのヒントになるとも考えているそうです。
「3年前くらいかな、丹野くんに『認知症にやさしい車社会』を作りましょうと言われたんです。つまり、認知症の人が安全に運転できる自動車の開発などが進めば、高齢者にも安心です。高齢者にとっては、車を運転することが認知症の予防にもつながる可能性があります。高齢化社会の中で、免許の返納だけが本当に正しいことなのか、車にかかわる仕事をする我々も考えなくていけません」
男性も女性も、老いも若きも、障害や病気を持つ人も、皆が幸せに暮らせる社会。それを目指すためには、さまざまな人の発想が必要なのです。
この取材の最中にも、三浦社長と丹野さんは「認知症の人が安全に運転できる車とは?」「そのためのルールとは?」の話に花が咲きました。
「最高速度を抑えた2人乗り自動車なら、認知症の人にも運転できると思う」と三浦社長が言えば、「軽トラにも安全機能が必要です。認知症の人で農業をやりたい人は多いんですが、軽トラが運転できないと農業ができないんです」と丹野さん。
車と認知症が、もっとフレンドリーになる時代も近いのでは、というワクワクした気にさせられました。
余談ですが、実は丹野さん、三浦社長の名前を忘れてしまうこともあるのだそうです。
「それで隣の人に小声で聞いたんですが、社長がすぐ気づいて『三浦でーす!』って自己紹介してくれて(笑)……すみませんでした」と丹野さんが言うと、「いやいや、名前はぼくも忘れるし、みんなよく忘れるんだよ。何回でも聞いてね」と笑う三浦社長。
そう、聞けばいいだけのことを気軽に聞ける風通しのよさ。これこそが日本の会社に不足していることなんだよなぁと改めて感じました。
そこに小さな風穴を開けてくれるのが、丹野さんのような社員なのかもしれません。