「胃ろう」という選択 延命治療をめぐる死生観は第三者にどう映る?
《介護士でマンガ家の、高橋恵子さんの絵とことば。じんわり、あなたの心を温めます。》
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私は決めた。
口から物を食べられずとも
医療に頼り、
チューブを体に挿し入れ、
栄養をとることを。
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食べる楽しみを失おうとも、生きよう。
ほとんどベッドの上でも、生きよう。
その覚悟をしのぐ、強い気持ちを
あなたは
持ったことがあるだろうか。
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私は決めた。
私を看取(みと)る人たちと決めた。
最期まで、生ききる。
お世話になった方が、
胃ろうをすることになりました。
胃ろうとは、
体にチューブを通し、胃に栄養をいれる措置のことです。
ご家族も高齢のご本人も、大変に迷われた末の決断でした。
が、
「周りは、いい顔をしないのがつらい」
——そんなご家族の声に、苦しくなりました。
私も若いときは、
「高齢で体にチューブをつけてまで、
生きながらえるのは自然ではない」と
思っていました。
しかし、延命治療をはっきり拒否していた祖父が寝たきりとなり、
「医療に頼り、もっと生きたい」と
本人の心が変わったときのことでした。
イメージ上にしかなかった、
私の自然死への考えは、あやふやになりました。
あやふや。
私たちは命について、
そんなふうに揺れてもいいのではないでしょうか。
「なぜにあなたは生きる?」と問われ、
明確に語れる人は多くないと思います。
ましてや、他者の命の在り方へ、
簡単に決断をくだしていいわけがありません。
胃ろうをするか、しないか。
その決断を迫られたとき、
当事者たちは大きな痛みを感じずにはいられません。
長引く治療への遠慮や、それまでの疲労にただ流されて、
したくない決断をしてしまう場合もあります。
だからこそ、
生きるという目的を最優先にして、
話しあっていく必要があるのではないかと思います。
胃ろうという選択を聞いたとき、
あなたなら、
どんな顔をしますか?
《高橋恵子さんの体験をもとにした作品ですが、個人情報への配慮から、登場人物の名前などは変えてあります。》
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