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認知症を恐れないために 社会が変わる必要がある~水野裕医師(後編)

水野裕医師

9月は、国際アルツハイマー病協会(ADI)などが認知症への理解を進めていくために定めた世界アルツハイマー月間。改めて、認知症との向き合い方を考えていくために、『私が学んできた認知症ケアは間違っていました…パーソン・センタード・ケアの本質を知る』の著書がある水野裕先生(まつかげシニアホスピタル副院長、認知症疾患医療センター長)にお話を伺ったインタビューの後編です。認知症になるのを恐れるのはなぜなのか? そういった社会を変えていくために必要なことなどを聞きました。

前編「その人らしさ中心のケアを求めて 検査を信じ過ぎないで~水野裕医師」を読む

――認知症になると多くの場合、記憶が失われていきますが、感情や人格も失われてしまうのでしょうか?

記憶自体もすべてが失われるわけでは、ありません。そういう経験を何度もしてきました。
今日、デイサービスで折り紙をやったことも記憶していない認知症の人が、私と会ったときに「先生ひと月来なかったけど大丈夫でしたか」などとあいさつしてくれるのです。確かに1カ月ほどそこへは行っていなくて、正しく覚えているのです。医学的、学問的には不思議なことです。
また、認知症になっても感情や人格は、維持されているものです。たとえば、認知機能の検査のときに「何でもいいから文章を書いてください」ということをすると、「今日は晴れです」とか「今日は雨です」といったことを書く人が多いのですが、そこに「こんな病気になって悔しい」と書いた人がいたのです。それを見て、私は、非常にショックを受けました。普段は、言葉を発することも難しくなっているような状態でも、ご自身の置かれた環境や周りから無視されていることが分かっていて苦しんでいたということだと思います。これは、私自身、脳のことを勉強してそれなりに分かってきたという感じがしていた20年ほど前の出来事です。それこそ、頭をハンマーで殴られたみたいにガツンとやられたような感じで、「私は間違っていた」と痛感しました。といいますのも、そのころ、医学界では、認知症が中程度以上に進んだ人は、認知症である自覚がない、と教えられてきていたのです。自覚がある人はうつ病だとされていたのです。決して、そんなことはなかった。
その後も、デイサービスで、日常的にはしゃべることもできず、みんなと同じこともできなくなるくらいに認知症が進んだ女性が「デイサービスには行きたくなかったのに、お父さんが行けっていうから無理やり行っていただけだ」と、急に言った瞬間がありました。このように症状が重くなった人でも、みんなに迷惑かけないように我慢して周囲に付き合っていたのです。

――「本人に認知症だという自覚がないから自覚させたい」というご家族の方がしばしばいらっしゃいますが、どのように思いますか?

私もそのような相談はよく受けます。けれど、ご本人に悲しいほどの自覚を持たせてどうするのか、と思います。ご本人はご本人なりに、多分、自分ができなくなっていることが増えていっていることを感じていると思います。
もちろん、診断結果は、ご本人にお伝えします。がんならば、がん細胞を見つければがんですが、認知症の場合は、そうではありません。医師でも100%は分からないと思っています。せいぜい、例えば、MRI(磁気共鳴断層撮影)の検査をしても「この点はアルツハイマー病っぽいです。ただ、アルツハイマー病っぽくないところもあって、総合的に判断すると、今はこのお薬が良いと思います」といった説明しか、私にはできません。
けれど、検査の結果だけで機械的に「もう一人暮らしはできません」「施設に行く必要があります」などと言う医者も多いようです。けれど、診断を受けるまでは、一人暮らしをしていて、お風呂にも入ることができていた人に対して、病院で診察をしただけの医師が、なぜ、そんなことが分かるのでしょうか。例えば、認知機能の検査(高いほど認知機能が維持されている)で、12点でも一人で自宅で生活している人もいるわけです。これが人間の不思議なところですよね。20点でも火の消し忘れがある人はいるけれども、12点でもなぜか火だけはしっかりしているといったこともあります。多くの医者は、この不思議なものを見ていない。知らないのに、なぜ、その人たちが生活できるか、できないかを判断できるのか。誠意のある医者だったら「私はちょっと生活能力のことは、分かりません」というのが、正確な答えだと思います。

――ただ、認知症の人が一人で生活できるのかどうかは、家族にとって大きな問題だと思います。どう対応していけば良いのでしょうか?

現実的には、医師の「もう一人暮らしはできません」というひと言を発端に、無理やり施設に入れられ、ご本人が反発して暴力をふるうようになった、というような話をよく聞きます。
ご本人にしたら、自分では納得していないのに急に施設に入所させられ、反発したくなるのも当然でしょう。先ほども言ったように、医者に生活のことは分かりません。介護保険のケアプランを作成したり、変更したりするときには、ケアマネジャーを中心に、ご本人や家族、医療者、介護職など関わる方々が一堂に会する会議を開くことになっています。病院から退院する際にも、同様の会議を開くことになっています。ですから、こういう会議のときに、ご家族とご本人の思いをしっかりお聞きし、その上で皆で相談することが大切だと思います。

病院内のデイケアで
病院内のデイケアで

――まだまだ、「認知症になるのが怖い」とおっしゃる方は多くいます。そうした意識を変えていくためには、どうすれば良いのでしょうか?

なぜ、認知症になるのが怖いのでしょうか? 老化による病気はいくらでもありますよね。例えば、難聴などは、80歳、90歳になると程度に差はあるでしょうが、ほぼ避けられません。けれど、難聴になることには、それほどみんな恐れていませんよね。認知症の何が怖いのかというと、周囲との関係性が変わることを恐れているのだと思います。もっと言えば、まともに扱われなくなることが分かっているので、なりたくないと思う。例えば、物忘れが進んで、ちょっと日付が分からなくなった。生活していく上では、大したことがないといいますか、生きていけるような状態です。けれど、そのことで「あなたはもう判断力がない人です」と言われて、自分の話を周囲に聞いてもらえなくなってしまう。認知症になったとたんに「一人で住んでいて大丈夫なのか」「何かしでかすのではないか」となってしまう。何かえたいの知れない、恐ろしいものになってしまう。こんな状況では、怖くなっても仕方がないと思います。だから、認知症になることを怖がらないというのは、本人が努力することではなくて、社会が変わっていく必要があることだと思います。
そのためにも、みなさんの身近にいる認知症の方々と、先入観をもたずに付き合って、色々なことを一緒にしてもらいたいなと思います。その日常の姿を知ってもらいたいと思います。
そういう意味では、将来のためにも、子どもたちに認知症に対する変な先入観を植え付けないようにすることは重要だと思っています。今、小学校や中学校で、認知症に関する研修が行われるようになってきていますが、「認知症が進んでいくと、徘徊(はいかい)したり、暴言をはくようになったりする……」といったようには教育しないようにして欲しいと望みます。認知症の方々にもバリエーションが色々とある。認知症が進行したからといって、一律にこうなるというものはありません。
だからこそ、不自由になってきたところだけを上手に支援していくという形のケアができる介護職の人々がいることも大切です。ちょっとここを支援すれば、認知症の人でも今までのような生活が送ることができるというポイントを見つけることができる技能を評価し、賃金も含めた待遇を改善していくことが必要だと思います。
世の中的にも、医者の間でも「認知症予防」「認知症にならない方法」に関心が集まっていますが、私自身は“認知症にとともに幸せに生きていくことができる社会”を追求していくことこそが大切だと思っています。

水野裕医師
水野裕(みずの・ゆたか)医師
まつかげシニアホスピタル副院長、認知症疾患医療センター長
認知症介護研究・研修大府センター客員研究員 兼務
静岡県出身。1987年鳥取大学医学部医学科卒業。2001年認知症介護研究・研修大府センター研究部長。04年一宮市立市民病院今伊勢分院老年精神科部長、07年同病院診療部長を経て、08年から社会医療法人杏嶺会いまいせ心療センター診療部長/認知症センター長、10年からまつかげシニアホスピタル副院長/認知症疾患医療センター長。

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