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認知症の母が描いた絵の中に「母」がいた 安藤優子さんに聞く・中編

安藤優子さん

ジャーナリストの安藤優子さんの母・みどりさんは、70代で認知症と診断されました。高齢者施設に入居したみどりさんが出会ったのは、「臨床美術」という芸術療法でした。みどりさんが描いた絵を見たとき、攻撃的になっていた母の“怒り”の正体に気付いた安藤さん。2023年の国際アルツハイマー病協会の標語“Never too early, never too late”(「早すぎるということもなければ、遅すぎるということもない」)に関連し、認知症の母と向き合う中で、ターニングポイントとなった出来事を振り返りました。

前編『社交的な母が一変 「現実から目を背けてしまった」 』を読む

2023年の国際アルツハイマー病協会の標語“Never too early, never too late”に関連した特集「認知症のリスク因子を知る」はこちら

高齢者施設から「連れて帰ってくれ!」

二人暮らしをしていた父と死別後、母は一人では暮らせなくなっていきました。身内だけの介護に限界を感じた私たち3きょうだいは、母にクリニック併設の民間の高齢者施設に入ってもらうことを決めました。

けれども、母はものすごく抵抗をしました。苦肉の策として、「自宅の水道を工事するから」と伝えて何とか家から出てもらいました。

文句を言いながらも、ひとまずホームまで来た母ですが、私たちがうそをついたことにすぐに気付くんですよね。「こんなところに何で連れてきたんだ!」と声を上げ、誇張でもなく“荒れ狂った”ので、初日は家族が泊まり込んだくらいでした。

ホームの職員の方からは、「ここにいれば、毎日娘さんや息子さんに会える“良い場所”ということをお母様の中に刷り込むようにしてください」と言ってもらったので、翌日からは、私たちきょうだいが交代で様子を見に行くことにしました。でも、訪問の度に、母は逃亡する勢いで「連れて帰ってくれ!」って。

そうして、今度は職員の方から、「お母様は精神的に興奮してしまうので、ご家族の方は心配だと思うのですが、慣れていただくには2週間くらい来訪を控えていただけたら」との言葉をかけてもらいました。その方針に了承はしたものの、やはり母が心配で、毎朝8時に電話し、「すいません、どうですか?」と尋ねてしまいました。今思うと、さぞかし迷惑だったと思います。

そうこうしているうちに2週間が過ぎたのですが、母は相変わらず「帰りたい!」の言葉ばかり。それでも、“日にち薬”という言葉の通り、母は時間とともに、本当に少しずつですが、新しい環境に慣れていきました。職員の方が、皆さん本当にやさしく母に接してくださったおかげです。

施設の職員の言葉に救われた

入居後、併設のクリニックの先生から正式に認知症と診断されました。ホームに入居して良かったことの一つが、健康管理面です。自宅では手厚いヘルパーさんの助けを借りたとしても、カロリー計算までして食事を作ってもらうことは難しいですよね。

でも、もっと早く、母の異常に私たちが向き合うことができていれば、もう少し何かできたかなと少し後悔が残っています。「母は別におかしくない」という“悪魔の声”が聞こえてきて、母の病気と向き合うのが遅くなってしまったなと。父の心臓病が発覚する前に、おそらく既に母は認知症になっていた訳ですから。

結果的に、母は亡くなるまでの7年以上、そのホームで過ごしました。晩年こそ穏やかでしたが、入居してからの1年は、本当に職員の方は大変だったと思います。そのホームでは、母の言動をうそ偽りなく克明に日誌に記録していて、その内容を家族にも隠すことなく見せてくれました。

その内容を見ると、本当に、冷や汗が出るほどの言動を母がしていて……。謝りに行ったことは1度や2度ではありません。でも、職員の方は「謝っていただく必要は全くありません。私たちはこれが仕事なので」と言ってくださり、本当に頭が下がる思いでした。

皆さんが共通して言われるのが「自分の肉親だったら絶対できません。私たちは第三者であり、仕事だからこそ、できるんですよ」という内容でした。その言葉を聞いて、母に対して感情が先立ってしまうのは、無理もないことなのだと思うことができました。

安藤優子さん

「臨床美術」との出会いで母が一変

ホームの皆さんが母の昔話を聞いてくださり、母という人間をとても尊重してくださったおかげで、母が本来持っている人好きの側面が、もう1度開いていきました。その中で、決定打になったのは「臨床美術」(※)との出会いでした。

※臨床美術……絵画やオブジェなどを楽しみながら制作することで、高齢者や子どもなどの脳の活性化を目指す芸術療法の一つ。

臨床美術は日本発祥で、回想法(高齢者に対する心理療法の一つ)のような要素があります。きっかけは、臨床美術士の資格を取った知人に、私の母に試して良いかと言われたことでした。「もう、望むところよ!」と、即答(笑)。そこで、知人を含む2人の臨床美術士の方に週1回、交互にホームに来てもらうことになったんです。

安藤優子さん
回想法については、以下の記事をご参照ください。
心の安定や意欲の向上も 昔の思い出を語ってもらう回想法 実践方法や留意点は

セッションは、まず母の話を聞き、次に10分ほどの時間で手や足のマッサージをして指の動きをほぐして、最後の10分ぐらいで絵を描く流れでした。

最初、母はあまりやる気がなく……パステルという画材を使って、単に丸をぐるぐる描いているという感じだったそうです。そんな母の態度に手を焼き始めていた臨床美術士さんから、「優子さん、何の話がいいと思う?」と聞かれました。そのとき、何気なく「ハワイとかいいかも」と答えたんです。

母はハワイが大好きで、ハワイ旅行にもよく行っていました。そしてある日、臨床美術士さんがハワイを象徴する花の一つ、アンスリウムを持ってこられました。その日は、アルバム内のハワイ旅行の写真を見ながら、母のハワイの思い出を聞いたり、音楽はハワイアン音楽を流して、窓を開けて風を入れて、キルトやハワイの砂を見たり……。そうして最後の10分で母が一気に描き上げたのが、アンスリウムの絵だったんです。

臨床美術と出会いによって生まれた安藤みどりさんの作品「アンスリウム」(25×21cm、アクリル・オイルパステル)=安藤優子さん提供
臨床美術と出会いによって生まれた安藤みどりさんの作品「アンスリウム」(25×21cm、アクリル・オイルパステル)=安藤優子さん提供

やっとわかった母の“怒り”の正体

翌週には、臨床美術士さんは少し形が違う横長のアンスリウムを持ってきてくれました。そうして2週連続でアンスリムを描いたのですが、全く違う2つの作品が出来上がりました。絵の中には黒い線が入っているのですが、これは「安藤みどり」というサインなんです。このとき、母はもう字が書けなくなっていたのですが、作品の全てにサインを入れていて、もう完全な画家気取りですよね(笑)。

そして、母は描き上げたとき、「よ・く・で・き・た」と、本当に言葉を絞り出して言ったそうです。私はその場にいなかったのですが、「今日、お母さんが初めて、自分で描いたアンスリウムを見て、『よ・く・で・き・た』とおっしゃったんですよ」と、臨床美術士さんが泣きながら報告してくださいました。

母が、なぜあんなにも「怒りの塊」だったのか。それは、旅行も、買い物も、おしゃべりも友達も大好きだったのに、どこにも歩いていかれなくなり、人にも会えなくなって、うまく話すことすらできなくなった。つまり、母にはもう「できないこと」ばかりだったんですよ。

今まで自分が当たり前にできていたこと、人生において楽しいと思っていたこと、大切だったことが全部できなくなった。それが彼女の怒りの正体だったんです。そして、その怒りの正体は自己否定だったんですね。

その結果、表現の方法が“怒り”になっていたのだと思います。誰に怒っていたのでもなく、自分に怒っていたんですよね。でも、母は「よ・く・で・き・た」と言って、自己肯定したんです。そのとき、すっと、彼女の中の怒りが氷解したのだと思っています。

私たちは最初、認知症が彼女を怒らせているんだと思っていました。でも、そうじゃないということに気付いたのは、アンスリウムの絵を見たときでした。

安藤優子さん

気付けば“母”はここにいた

そのほか、自画像の絵なども描いたのですが、たくさんの色を組み合わせた、とっても明るい絵なんです。その絵を見たとき、「母は認知症になって表現ができなくなっただけで、その根幹にあるのは何一つ変わってない。人格は、認知症によってどこかに行ってしまったのではない」と、実感できたんです。

これまでのような表現はできなくても、ちゃんと「“母”はここにいるんだ」と、この絵を見て、私は心から思えたんですね。それまで私は、表現ができない母は“母”じゃないと思っていたんですよ。でも、変わっていなかった。今までのようにおしゃべりしたり、明るく笑ったり、お出かけしたり、人の世話をしたりはできないかもしれないけど、ちゃんとそこに母は存在しているんです。

臨床美術士さんが、「認知症と言われている人が、こうした絵を描いて自己表現することを、もっと世に知ってもらうべき」とおっしゃってくださり、私もぜひそうしてみたいと思いました。そして、ギャラリーの方との交渉を重ね、東京・代官山という場所で個展を開けることになったんです。

2011年11月に開催された安藤みどりさん初の個展の案内/「安藤みどり展 よく、デ・キ・タ!」
2011年11月に開催された安藤みどりさん初の個展の案内

期間中、予想以上の多くの方々がお見えになり、絵を見て泣かれることも少なからずあって。涙を誘うような絵は1枚もないので不思議だったのですが、もしかしたら、うまく描こう、人様に褒めていただこうなどの作為がない、“正直な絵”だからなのかなと思います。

個展の始まった11月8日は、母の誕生日です。最終日には母をホームから連れてきて、個展会場で誕生パーティーを開いたのですが、改めて社交的な人なのだなと思いましたね。

そして2年後には「パート2」として開催しました。3回目は「90歳になったらやろう」と言っていたのですが、残念ながら2014年に89歳で亡くなりました。今ごろ母は、あの世でも絵を描いているかもしれませんね。

安藤優子さん

※「安藤優子さんに聞く・後編 」に続く(11月16日公開)

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