上野千鶴子×小島美里対談(前編)~在宅ひとり死は可能か?
取材/なかまぁる編集部 撮影/伊ケ崎忍
今の日本で、在宅ひとり死は可能なのか? この問いをめぐって、ベストセラー「おひとりさまの老後」や「在宅ひとり死のススメ」の著書がある社会学者の上野千鶴子・東大名誉教授と、約20年にわたり介護サービスを運営し、「あなたはどこで死にたいですか?」を今年出版した小島美里・NPO法人「暮らしネット・えん」代表理事が対談しました。3回にわたってお伝えするシリーズの初回は、制度・政策と現場の両面からみた現状と課題を語り合います。
――この対談は、小島さんが是非、上野先生とお話ししたいと要望されたのがきっかけで実現しました。まずは、その経緯から語っていただきました。
小島 去年(2021年)、上野先生が「在宅ひとり死のススメ」(文春新書)という本を出版されました。私も、実は在宅ひとり死派なんです、なんですけれども、それが出来ない状況に介護現場がなってきているというのが、特に私のように介護事業を運営する立場では、分かり過ぎてしまい、「在宅ひとり死を勧めても良いのかな?」という疑問がわきました。そして、在宅死をしたくても出来ない状況になっているということを、私の立場から書かなければならないと思うようになりました。それでできたのが「あなたはどこで死にたいですか」という本なのです。そうしたら、ツイッターで上野さんが、私の本を褒めてくださっているのを見つけたのです。
上野 絶賛しました。
小島 実は驚いたのです。腐(くさ)されるとは思っていなかったのですが、褒めてくださるとは全く思っていなくて……。どこが良かったのか、上野さんに聞きたいと思ったのです。
上野 小島さんのように介護事業を運営するキャリアを重ねている人にちゃんと現場からの情報発信をやってほしいと前から思っていたのです。そもそも介護職からの発信が少ない。一方で、医療職は、カリスマドクターやナースがどんどん本を書いていますよね。医療界は、発信力がすごく大きい。ツイートにこう書きました。「介護保険の後退と危機がミクロレベルの現場、メソレベルの事業者、マクロレベルの制度にわたって周到に赤裸々に暴かれる。介護現場からの声を伝えるこんな本が欲しかった」というもの。介護をはじめ社会福祉系の研究者には、制度論や政策論を論じる人たちはいっぱいいます。また、介護現場の感動的な話を書く専門職もいっぱいいます。ところが制度と運用の間にギャップがあるというのは当たり前で、みんなそれを知っているはずなのに、現場の感動話を書く人たちは自分たちの実践がどういう制度によって支えられているのかといったことは書かないのです。逆に、制度・政策論の人はあんまり現場を知らない。本当に、制度・政策と現場をつなぐ本というのは、意外とないんです。そういう意味では、待ち望んでいた本が出たと感じました。これまでの介護保険制度の改悪が現場にどのような影響を与えたのかを、ここまで克明に描いてくださった本は、ありません。やっぱり現場で制度をよく知っていて、その限界に振り回され、つらい思いをし、事例をよく知っている小島さんのような方じゃないと書けない。だから「よくぞ書いてくださいました」と思いました。それが私の最初の感想です。
小島 ありがとうございます。
上野 それだけでなく、読んでいて、私の本「在宅ひとり死のススメ」への反発が、小島さんの執筆の肩を押したということがわかりました。私は、あちこちの介護現場を見てまわってきた結果として「施設と病院が好きな年寄りはいない」と確信しています。けれど、小島さんは本の前書きで「進んだ認知症のある人が自宅で暮らして自宅で死ぬのは、制約の多い今の介護保険制度では、ほぼ不可能と言わざるを得ません」と断言されています。現場を1番よく知っている方が「在宅ひとり死はできない」とおっしゃっている。それはどういうことなのかを、小島さんとちゃんと会って話をしたいと思いました。
――ここで、上野さんから3つの問いが出されました。
上野 そこで、対談するにあたって、3つの大きな問いを立ててきました。
上野 まず、私の認識からお話しします。寝たきりになっても、それなりに自身の意思がはっきり分かっていて自己決定権を行使できるような方たちの在宅ひとり死はほぼ可能だと、私は答えを出しています。小島さんの実感はどうでしょうか。
小島 私は、グループホームの運営を始めて約20年になるのですけれども、最初のうちは看取(みと)りをするとなると、「絶対に嫌だ。入院するべきだ」と言う職員もいたのです。それが、今では全然いなくなっています。もちろん、若い職員の中には、最初は怖がってしまう人もいますが、そこを先輩職員たちがちゃんとフォローをしていて、落ち着いてケアをして、看取っていくというのができるようになっています。
看取りの経験を重ねていく中で、わかってきたことがあります。最初の頃は、看取りの時期には、喀痰吸引(かくたんきゅういん:吸引装置を使って口や鼻の中などのたんを吸引すること)しなきゃならないだろうと思っていたのですが、実際にそうした場面に立ち会って見ると、たんがすごく出るのは、それまでにいろいろ点滴したり、経管栄養(口から食べられなくなった人に、鼻や口から挿入されたチューブなどを通じて栄養を与えること)などで体を水分漬けにしたりしていたからなのです。過剰な水分が入っている場合のたんは、実は医者であってもうまく引けない。最期に点滴や経管栄養などを選ばないようになると、たんもそんなにでないとうことが分かってきました。
上野 在宅医療も進化しました。在宅を担う医師や看護師らにも経験値が積み重なってきています。昔は、本人や家族が「経管栄養や点滴をやらない」と言うと、「餓死させるつもりか」などと脅かすような在宅医もいたようですが、最近は、そういうことをやると、かえって患者さんが苦しむことがわかってきています。医療の常識も変わってきていますよね。
小島 結構、点滴を入れなくても、口を湿らせてあげるぐらいの水分補給で10日間ぐらい最期までの日々を過ごされる人もいらっしゃいます。とても穏やかな、たいていとても良い看取りになるので、ご家族も安心されてお別れができるということが多いです。そういうことが分かるのは、研修よりも、やはり経験ですね。
上野 そうですよね。訪問介護・訪問看護・訪問医療の3点セットがそろっていて、ご本人の意思がはっきりしていれば、寝たきりでも、排便が自分でできなくても、在宅ひとり死はできる。現時点で、そういう結論は出ているというのが私の立場です。これは認めていただいてもよいですか。
小島 (行政や医療・介護関係者が)その気になればできると思います。実際に在宅看取りは訪問介護や小規模多機能型介護で私たちも経験しています。けれど、どんどん、それができなくなるようにされていっているという実感をもっているのです。
上野 そこをおっしゃってください。
小島 例えば、在宅でのターミナル期(終末期)になると、一人暮らしだと最低一日に3回以上、訪問介護ヘルパーを派遣するといったことが必要になってくることが多いのです。けれど、現実には、そういうケアプランを組むこと自体が非常に厳しくなってきているのです。介護人材不足の問題も大きいですし。
上野 介護保険サービスのメニューも増えて、定期巡回・随時対応型訪問介護看護(※)や小規模多機能型居宅介護といった仕組みもできています。一日3回、ヘルパーさんに来てもらえる体制も、ある所にはありますよね。もちろん、そういう医療・介護・看護資源のあるところとないところで、地域に差があることは大きな問題です。でもその気になれば、在宅ひとり死はできるということは答えが出ていると、私は思っています。
※定期巡回・随時対応型訪問介護看護:定期的な巡回または随時の通報で利用者の居宅を訪問し、24時間365日、必要な介護・看護サービスを必要なタイミングで提供する制度。
小島 体制があるところにはあります。ないところにはないのです。あるところでは在宅ひとり死はできますけれども、それが一般化されていないと言えばよいのでしょうか……。介護保険制度の下で、全国どこでも、だれでも、望めば在宅ひとり死ができるというようにするのが本来の国家の役割ではないかと思うのです。そうはなっていません。
上野 サービスの均霑化(どこでも等しくサービスを受けられるようにすること)の問題ですね。志がある医療・介護関係者がいるところでにしか、在宅ひとり死を支えることが出来ない状態であるのは事実です。徐々に広がってはいるものの、すべてのニーズに対応できるほどには増えていないというのが現実でしょう。そうなっているのは、どうしてだとお考えですか?
小島 例えば、先ほども言いましたが、訪問介護の生活援助(掃除や洗濯、調理などの生活支援)が規定回数以上(例えば、要介護5の場合では月31回以上)を超すと、行政のチェックを受けなければならない(自治体にケアプランを届け出る)というように介護保険の仕組みが変わってから、そのようなケアプランはほぼ消えました。その結果、有料老人ホームやサービス付き高齢者向け住宅などに入所する高齢者が増えたように感じています。
上野 2015年に特別養護老人ホーム(特養)の入居条件が要介護3以上に厳格化されてから、待機高齢者が減りました。一時、特養や介護老人保健施設(老健)の待機者が多くなり、なかなか入れなくなったので、次善の策として、サービス付き高齢者住宅(サ高住)が次々にできました。当初、サ高住は、経済的な負担能力がある人限定の選択肢としてできたようですが、近年は、価格帯がだんだん下がってきていて、供給過剰になって市場飽和状態が起きています。空きが出ているところもあるようです。
「在宅ひとり死はできる」という選択肢が生まれてから、最期に高齢者施設のようなところへ行かなくていいのだと判断をする人々が、これからは増えてくると思います。私たち団塊世代のように権利意識が強い人々が年寄りになってくると「デイサービスは嫌」「高齢者施設も嫌」。「独居でOK」という人も増えてくるのではないかと予測します。これまでのように、家族の言うことをおとなしく聞くような高齢者だけではなくなるでしょう。
小島 確かに、権利意識という点から言うと、教育を戦前に受けたか、戦後に受けたかで、明確な境目があるように思います。
上野 どういう違いでしょうか?
小島 やっぱり権利っていう言葉が出てくるのは戦後に教育を受けた方々ですよね。戦前に女学校にいた人たちに「これからどうしたいですか?」とお尋ねしても、「皆様の良きように」「家族の良きように」という返答が多いです。
上野 世代の違いですね。これまでのお年寄り、特に女性は、家族のために生きてきた人たち。だから、「家族のために施設に入る」と判断する人も多かった。だけど、これからは、変わってくるでしょう。
なんで年寄りになったからといって年寄りだけで1カ所にかたまって住まないといけないのか、私はまったく理解できません。自分が住まいを決めるときには、いろんなファクター(要素)を考慮して決めます。そうして住み、なじんだ住まいから、心身ともに弱った時になって、なんで引っ越しをしなければならないのか、納得できません。
私は、介護保険制度がスタートして22年の間に、制度ができる前には不可能だったことが可能になったという現場を見てきました。おひとりさまの在宅看取りは、22年前には不可能でしたが、今では可能になりました。
介護保険を制度と運用という面から見ると、制度は後退したかもしれないけれど、現場は確実に進化しました。それを、この対談で、ちゃんとメッセージとしてみなさんに伝えたいと思いました。介護保険22年の歴史は決して無駄ではありませんでした。
小島 介護に携わる身としてとてもうれしい発言ですね。それは私も実感しています。だから、私もギリギリまで自宅で過ごしたいと思っている人間です。
上野 その“ギリギリ”とはいつですか?
小島 ギリギリというのは主に認知症の重い状態になったらということなんですが……。
※次回「認知症でも在宅ひとり死は可能か?」に続きます。
- 上野千鶴子(うえの・ちづこ)
- 1948年、富山県生まれ。京都大学大学院社会学博士課程修了。社会学者、東京大学名誉教授、認定NPO法人ウィメンズアクションネットワーク(WAN)理事長。女性学、ジェンダー研究のパイオニアであり、指導的な理論家のひとりとして活躍する。高齢者の介護とケアも研究テーマとして取り組む。「近代家族の成立と終焉」(岩波書店)など著書多数。
最新刊に「最期まで在宅おひとりさまで機嫌よく」(中央公論新社)がある。
- 小島美里(こじま・みさと)
- 1952年、長野県生まれ。1990年ごろ全身性障がい者の介助ボランティアグループを結成したのをきかっけに、介護事業に関わるようになる。2003年、NPO法人「暮らしネット・えん」設立。代表理事を務める。訪問介護、居宅介護支援、小規模多機能型介護、グループホームなどの介護保険事業や障害者支援事業を中心に、高齢者グループリビング、認知症カフェなど様々な事業を運営する。