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「忘れたっていいじゃない」認知症の母との15年 安藤優子さんに聞く・後編

安藤優子さん

認知症により表現ができなくなっても、人格は奪われない——。約15年間、認知症の母・みどりさんを介護してきたジャーナリストの安藤優子さんは、「認知症について過度に恐れなくても良いのでは」と投げかけます。2023年の国際アルツハイマー病協会の標語“Never too early, never too late”(「早すぎるということもなければ、遅すぎるということもない」)に関連して、安藤さん自身の介護経験から認知症と向き合ううえで「早くしたほうが良かったこと」「諦める必要はないこと」を伺いました。

前編『社交的な母が一変 「現実から目を背けてしまった」 』を読む
中編『認知症の母が描いた絵の中に「母」がいた 』を読む

2023年の国際アルツハイマー病協会の標語“Never too early, never too late”に関連した特集「認知症のリスク因子を知る」はこちら

介護は「絶対に」第三者の介入が必要

今年6月に、認知症の人が希望を持って暮らせる共生社会の実現を目指した「認知症基本法」(正式名称:共生社会の実現を推進するための認知症基本法)が成立しました。介護サービスやバリアフリーなどの観点からは有意義だと思う一方、意識に関しては、法律で変えることは難しいと思います。

介護は、家の中で完結できる簡単な問題ではなく、あえて「絶対」と言いますが、第三者が介入しなければ絶対にうまくいかないんです。

母はヘルパーさんを何人も辞めさせてしまうので、ホームに入るまでは私自身「ビジネスケアラー」(働きながら親などの介護をする人)でした。もう「意地」と「気力」で乗り切ったとしか言いようがありません。父が入院中、母にホームに入ってもらう話をしていたのですが、結局、ヘルパーさんと私たち3きょうだいで何とかしていました。そして、父が亡くなってから2年後にホームに入ったのですが、今考えると4年ほど時間をロスしてしまったのでは、もっと早く第三者の手に母を委ねていたら……と思うのです。

安藤優子さん

母の場合、高齢者施設に入居をし、介護士さんというプロに介護してもらったことで健康管理もできて肉体的に楽になり、そして臨床美術士さんが介入してくれたことで、生活も飛躍的に改善されたという実体験があります。同時に、私たちにも余裕が生まれました。

安藤みどりさんと臨床美術の出会いについては、「安藤優子さんに聞く・中編『認知症の母が描いた絵の中に「母」がいた』」をご参照ください。

肉親の介護をすると、どうしても感情的になるんですよね。頭では「これは病気や症状のなせる技だ」と理解していても、いざ向かい合うといら立ってしまい、つい邪険にしてしまう……。例えきょうだいがいたとしても、それぞれの立ち位置や置かれている生活環境があるので、介護の関わり具合に濃淡が出てくると思います。3きょうだいだからと言って、3等分に割り振るのは不可能です。家族や親戚だけで解決しようとすると、大なり小なり様々な問題に行き詰まることは目に見えています。

介護現場の「善意」に頼りすぎてはいけない

母がホームでの入居を拒み続けたとき、私が引き取って面倒を見ようとしたことがありました。その話を、来てもらっているお手伝いさんに話したところ、「そんなことをしたら優子さんが潰れる。海外出張のときはどうするんですか? 一時的な感情でそういうことを言うのは、やめた方がいい」と強く言われました。

そういった各場面で、たくさんの方が手を差し伸べてくれました。でもそれは、私だからではありません。誰でも、声を上げれば色々なところで手を差し伸べてくれるシステムが整いつつあります。ドアを叩いてみると意外に色んな返事が返ってくる、ということはあるので、しまい込まないでほしいと思います。

仕事柄、アメリカの高齢者施設を訪問したことがありますが、開発されたコミュニティー全体が1つの介護施設というところもあるものの、それは“裕福な人のみ”に与えられた選択肢なんですよね。アメリカは日本とは違って、国民皆保険制度がありません。一部の本当に限られた人たちしかそういう恩恵にあずかれないんですよ。だから、日本の介護制度は、とてもよく整備されていると思います。

ただ、介護士や看護師の方たちの報酬についてはもう少し考えるべきだと思います。終末や死を看取る仕事は、精神的にもしんどいことですよね。それを仕事として選ばれている看護師や介護士の方に対して、敬意を持った報酬制度を作ることはとても大切なことだと思います。

介護施設に行くとわかると思うのですが、介護士や看護師の方の「善意」に依存しすぎているんです。時間いっぱいでも、「もうちょっと頑張ろう」といった善意に、すごく頼ってしまっている感じがします。そこはもう少し考えていかないと、いつまで経っても状況は変わらないと思います。

安藤優子さん

不安を最小限に、社会の仕組みを活用して

今の世の中は「認知症になったら最後」といった印象づけがされていますよね。でも、認知症になっても人格が奪われるわけではありません。反面教師になるのですが、私たちも「母が認知症と診断されたらどうしよう」という恐怖心がありました。でも、実際に認知症の母を見ていると、「認知症になったから終わり」ではないと感じました。

今ではSNS上で情報交換もできるので、同じような悩みを抱えた人たち同士のコミュニティーもできています。そういう部分では、私たちが介護に向き合っていたときから状況が相当進歩してきていると思うので、「認知症になったら」とか「父や母が認知症と認定されたら」という不安を最小限にしてほしい。認知症について過度に恐れないでもいいと思うんです。ぜひ社会の仕組みを活用していただきたい。

“never too late(遅すぎるということもない)”で言えば、なんやかんや母は結構明るく生きていたわけなんですよ。だから、やっぱり「認知症になったから終わり」ということは絶対にない。そもそも「終わり」というのは、認知症の当事者が思っているんじゃなくて、周囲が思っていることだと思うんです。周囲が、その事実を受け止めかねている。でも、そうじゃない。認知症になってもいいし、忘れてくれてもいい。表現の方法が変わっただけで、人格はちゃんと残っているのだから。

安藤優子さん(左)ら家族に囲まれるみどりさん(左から2人目)=安藤優子さん提供
安藤優子さん(左)ら家族に囲まれるみどりさん(左から2人目)=安藤優子さん提供

忘れたって、いいじゃない

母は晩年、私と姉の名前を反対に呼んでいましたし、娘たちのことすらわからなくなっていましたが、それでも良いと思っていました。そこまで命をつないで必死に生きて頑張ってきて、今ご褒美の時間を過ごしている。今日が何月何日でも、私が「優子」でなくても、もういいじゃない。大したことある?って。

私たちはもう少し「忘れること」に対して寛容になった方が良いと思うんです。寂しさはもちろんありますが、母にとって、今が幸せだったら、周りがそれ以上のことを望む必要はないと思うんです。私が母の認知症と向き合って学んだのは、「忘れたっていいじゃない」という言葉なんですね。

認知症の“負の側面”ばかりが強調されたら、「認知症にだけはなりたくない」と恐怖を抱いてしまうのは当然ですよね。だって、自分が何者でもなくなってしまうかもしれないという恐れがあるわけじゃないですか。

何が何でも全てを全部クリアに、意識して覚えていて、最後の最後まで自分の足で立って、誰の世話にもならない人生が花丸で、最後の最後は何も覚えてなくて、何一つ自分でできない人生がゼロだったとは、私は思わないんですよ。受け止める側の意識の問題になりますが、そういう採点方式には、賛成できなくて。

安藤優子さん

介護は「できなくなった」を受け入れること

最後になりますが、対極にある「育児と介護の違い」についても、ちゃんとお伝えしたいと思っています。育児は手をかけただけの未来があるかもしれませんが、介護は手をかけすぎない方がいい。“見守る作業”だと思うんですね。

その人ができることまでを取り上げず、人生を閉じていくその過程に付き合う。言葉を失っていく、歩行能力がなくなっていく過程を受け入れるのが、介護の仕事だと思うんです。おそらく、肉親にとって1番しんどいことは、「できなくなったことを受け入れること」なんですよ。「何でこんな簡単なことがわかんないの?」「何で忘れちゃうの?」と受け入れられない。でも、1番つらい思いをしているのは、できなくなっている本人のはずです。

私は認知症にまだなっていないので、認知症当事者の方の苦しみを発信することはできません。その代わり、母の介護を通じて、認知症をどう私が考え、受け止めたかということは伝えることができます。

私が母と向き合う中で学んだのは、介護とは「人生が穏やかに閉じていくことを見届けること」。できなくなっていくことが1つずつ増えることを受け入れる作業、そして、その人の人格を尊重することが介護の本質なのではと思います。

こうして偉そうなこと言っていますが、今はその渦中にいないから言えるわけで、介護中はジャーナリストではなく普通の「母と娘」でした。それを踏まえて伝えたい私の教訓は、やはり「忘れてもいいじゃないか」という言葉に尽きます。でもそれは認知症であることに目をつぶることとは全く違うんです。

元々のその人格や“その人自身”はちゃんとあるのだから、受け止める側の意識の寛容さを、私たちは持つべきだと思います。

安藤優子さん

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