その人らしさ中心のケアを求めて 検査を信じ過ぎないで~水野裕医師(前編)
9月は、国際アルツハイマー病協会(ADI)などが認知症への理解を進めていくために定めた世界アルツハイマー月間。改めて、認知症との向き合い方を考えていくために『私が学んできた認知症ケアは間違っていました…パーソン・センタード・ケアの本質を知る』の著書がある水野裕先生(まつかげシニアホスピタル副院長、認知症疾患医療センター長)にお話を伺いました。
――認知症は、認知機能や脳と深く関わります。水野先生は、“記憶”について関心があって、医学部に進学されたということですが、どういうきっかけだったのでしょうか?
高校の入学式で、6歳か7歳の時に転校していった友だちに再会したのです。その時、ちらっと顔を見ただけで「○○ちゃんだ」と思ったのです。でも、幼少期のその子の顔を覚えていたわけではないのです。子どものころの顔は思い出せない。それなのに、数十年ぶりに会って、その人だと分かる。“どうしてだろう”ととても不思議でした。そこから“記憶ってなんだろう”と思うようになったのです。当時は、学生ですから、その答えを見つけるために何から手をつけていいかわからず、“とりあえず人間は、脳で考えているのだろ“と考え、大学の医学部に進学することにしたのです。そして、その後、“やっぱり人間の脳というのは、心と関係するのだろう”と思ったので、精神科を選ぶことになりました。
――そのころは、どのようなことを学んだのですか?
私が大学行き、医者になったころというのは、昭和の終わりころ、ちょうど色んな画像診断の機器が出だしたころでした。すでにMRI(磁気共鳴断層撮影)はあって、PET(陽電子放射断層撮影)検査が大学の研究機関で使われ始めたころでした。すごく画期的なことだと思いました。脳のこういう部分が画像診断で光っていれば、アルツハイマー病で、別の部分ならばレビー小体型で……という風に、画像診断でどのような病気なのかが全部わかるようになるのだろうと思って、“すごいな”と思いました。もう、これで全部解決するのではないかというぐらいに思いました。医者はみんな期待していたと思います。脳の検査をかっこよく思い、僕も最初は、検査に憧れていました。
専門的に学んでいたのは、臨床神経病理学という分野です。“医学の基本は解剖学”とされていましたから、患者さんの死後に脳を解剖し、生前の様子との関連を精査し、原因を探ることに力を入れていました。つまり「生きている時にこういうような行動がありました。そして、亡くなって解剖して脳を調べると、こういう細胞がおかしかった。だから、原因はこうだ」というような論文を書いていました。
――検査や解剖だけでは分からないことがあると思うようになったのは、どのようなことがきっかけだったのでしょうか?
あるパーキンソン病で入院した男性の患者さんでした。記憶障害もあり、精神科の病棟に入院していました。決して暴れるということがあったわけではないのですが、他の精神病の人の暴力から保護するという意味もあり、独房のような部屋に入っていました。
僕は当時、ちょっとかわいそうだと思って毎日、この男性を30分ぐらい散歩に連れ出したのです。正直なところ、医師として、不思議なパーキンソン病で、ちょっと違った病気じゃないのかなと思って、探りたいという思いもありました。検査をすると確かに記憶障害はあるのですが、アルツハイマー病とは違う感じだったのです。
一緒に散歩していたら、当時のテレビでニュースになっていることなどを「あいつらひどいやつらだな」などと具体的にお話するのです。私としては「えっ?! そんなことをテレビを見て覚えているのですか!」と驚きです。
その後、その方のパーキンソン病の進行は早く、筋肉の働きはどんどん悪くなっていき、もうほとんど何の反応もできない状態になりました。そうしたことから、奥さんが面会に来たときには、奥さんだけを呼び入れて面会室で、最近の旦那さんの様子などを説明していたのです。そうしたら、面会室のドアをたたく音が聞こえてきて、開けたら旦那さんだったんです。まず、旦那さんが、立っていることが不思議、ドアをたたけるということにもびっくりでした。さらに、僕に殴りかかってきて、もうしゃべることもできないと思っていたのに、「いくら先生でもヤクザが……」って言うのです。僕が想像するに「いくら仲が良い先生でも女房に何かしたら俺はヤクザになるぞ」というふうに怒っていたようなのです。つまり“嫉妬”だったわけですよ。
医学部では、記憶障害が最重度で何の反応できないような人は、“気持ちなんかなくなる”と教え込まれていたのです。けれど、そうした人も感情はしっかりあったのです。そのとき、奥さんに隣に座ってもらったら、旦那さんはニコニコしていたのです。私自身、パーソン・センタード・ケア、つまりご本人中心のケアというものの必要性を最初に実感したときでした。一番の基本は、ご本人を交えて、真ん中に置いて、話を聞くことが大切だと教訓的に思いました。
――医療の現場で、パーソン・センタード・ケアがなかなか行われていないのはなぜでしょうか?
まだまだ、当時は、私自身も、脳の検査にとらわれていた時期でした。実際には、患者さんの話を聞くよりも、家族に物忘れのエピソードなどを聞いて、あの病気なのではないかと、患者さんの脳の中を想像する。そして、最終的には、解剖して原因を確認するということをしていました。先述のパーキンソン病だと思っていた男性が亡くなった後にも、奥様のご了解を得て解剖させていただき、そのころ少しずつ知られるようになってきていたレビー小体型認知症であったことが分かりました。
典型的な診察と言うのは、認知症の診察の際でも、1時間診察した場合でも、一般的には、半分くらいは一緒に来た家族に対してしゃべっています。ご本人の話を聞くのは十数分。残りで、結果を説明するという感じだと思います。つまり、診察時間が1時間あったとしてもご本人と1時間しゃべっているわけではないことがほとんどです。
また、医学的な論文というのは、画像と細胞と症状を結びつけて結論を導き出すものなのです。ですから、それ以外の、患者さんの性格だとか、その方に対して家族や医療者がどのようなサポートをしたのかということは、除いていくことになります。例えば、薬の効果について検証する際に、ある人は、音楽を流してちょっとリラックスしていたというようなことがあると、数値の変動はそのせいじゃないかって言われてしまうので、わざとのっぺりと、何もしない状態にしないといけない。つまり、患者さんたちを放置した状態にしてきたのです。
さらに、医学の教科書というのは、大体、数十年ぐらい前の事実を書いていることが多いのです。最新のことというのは、なかなか明確に書けませんから。ですから、いまだに、例えば、アルツハイマー型認知症ならば「中期になると、暴力的になって、徘徊(ひとり歩き)して……」という風に医者も勉強するわけです。けれど、その知見というのは、先ほどもお話ししたように、患者さんを“放置”していた時に得られたものです。あくまで、医学的にも介護的にも適切な対応やケアをしていない状態のときのものです。さらには、最大公約数的、ある程度均一化した結果です。個々人で見れば、例外はいくらでもあるのです。
以前、ある奥さんに「かつて医師から『旦那さんの脳はこれくらいの大きさで、認知機能も低下しているのでグループホームに入れた方が良い』と言われて、入所させた。けれど5年過ぎてもあまり進行していないような気がする。入所させたことを後悔している」と言われました。また、別の人からは「認知機能の検査の点差は低いけれど、自分で居酒屋に行って、帰ってきている。それでもデイサービスに行く必要はあるのか」という相談もありました。そういう人は、可能な限り、居酒屋に行っていれば良いと思うのです。みんな、検査を過剰に信じ過ぎていると思います。専門医であっても、脳の画像を見ただけでは、その人がリンゴの皮をむけるのか、自転車に乗れるのか、は分かりません。医療には限界があるということを認識することが大切だと思います。
※後編「認知症を恐れないために 社会が変わる必要がある~水野裕医師」を読む
- 水野裕(みずの・ゆたか)医師
- まつかげシニアホスピタル副院長、認知症疾患医療センター長
認知症介護研究・研修大府センター客員研究員 兼務
静岡県出身。1987年鳥取大学医学部医学科卒業。2001年認知症介護研究・研修大府センター研究部長。04年一宮市立市民病院今伊勢分院老年精神科部長、07年同病院診療部長を経て、08年から社会医療法人杏嶺会いまいせ心療センター診療部長/認知症センター長、10年からまつかげシニアホスピタル副院長/認知症疾患医療センター長。