MCIロンドン旅行体験記(後編)重要なのは伝えること 後の人のために
「そういえば」振り返れば思い出す記憶のあれこれ
ロンドンの街で
ロンドン到着後、体験したことのない変な下痢症状が出てきた。ガス交じりの下痢だ。これは帰国日まで続いた。同行した1人にも同じ症状があり、硬水に含まれる成分が原因ではないかとの見立てだった。帰国後に調べると、やはり水に含まれるマグネシウムのせいらしかった。
ここで、フロリダに行った3年前にも同じ症状があったことを思い出した。それ以前の海外旅行ではその記憶がないので、ここ数年で体質が変わった? そして「もう海外旅行はできない?」「いや次はオムツ持参で行こう。いずれ使うのだから、今のうちに慣れておこう」と思い直した。
そういえば数年前、歩行中でも排泄物の吸引が可能なオムツ案をオムツ会社に提案したが、返事はいまだにない。
スマホに表示した静止地図を数分おきに確認しながら、待ち合わせ場所に向かった。が、迷子になり、インターネットを利用したリアルタイムの現在地表示とナビに切り替えて到着できた。静止地図を視覚的に一定時間記憶し、目的地に到着する能力がすでにないと悟った。
迷子につながる頭頂葉の視空間認知の機能低下もある。7年前に行ったカナダでも同様のことがあった、と思い出した。地図を読むのは得意で、一度見れば大体目的地に行けた。なのに見ながらでも行けなくなった。地元の人に「地図が間違っている」と言ったら「あんたが間違っている」と言われた。MCI的症状だった。
問題点は、同じ失敗を繰り返すことにある。カナダでの出来事の後、ナビに慣れる努力を怠っていた。同行の仲間は、躊躇なくナビ表示を使用。彼らには静止地図を使って目的地を探すという選択肢は初めからなかった。
待ち合わせ場所に着き、元トロント大学の先生と近くのカフェで話すことに。すると、スマホを取り出して音声で「Cafe」と入力し、表示された近くのカフェに向かってさっさと歩きだした。私より年長(?)だが、さすがAT(Assistive Technology:障害を助けてくれる道具や適応法のことで、眼鏡や杖なども含む)研究で有名な人だと感心した。
学会のさなかに
学会の夜の食事会で、その日の昼間に出会った人と再会したが、職業や話した内容を忘れていた。そこで、自作の「MCIカード」を提示して納得してもらった。これは初対面の人にも見せるようにしている。裏側には「次に会った時は忘れています」と書いてある。記憶の障害は目に見えない。積極的に開示し、理解と協力を求める方法も広まるべきだ。
このMCIカードはイギリスの研究者が気に入ったため、帰国後、英語版を送った。
ところで帰国後、街でとある人から声を掛けられた。しかし、誰かわからない。「伊藤です」と言われても思い出せない。「〇〇病院の伊藤です」でようやく分かった。この数年、月に数回会っていた人だった! 先方も、さらに自分も驚いた。そのうち、MCIカードの裏側は「何度会っても忘れています」に直そう。最後は「どなたかは存じませんが、よしなにお取り計らいを」と書けば良いか。
学会の合間に大英博物館に行った。展示室を回っていると迷子に。何度も同じ場所に舞い戻り、係員に数回、出口を聞いた。5、6年前にも来たが、迷子にはならなかった。GPSによる屋外誘導システムは広く普及している。今後はスマホと屋内各所の接近センサーなどによる屋内誘導システムが必要だ。
ある日は、立ち寄った店にジャケットを置き忘れてきてしまった。脱いだ時は絶対に忘れないようにと念じていたが。近時「エピソード記憶」の障害だ。すでに、荷物を持ち忘れた時にアラーム音で知らせてくれる市販品がある。患者には紹介してきたが、自分で使うとは思い至らなかった。特に海外旅行では必要だ。
帰国の途~まとめ
空港での手荷物検査が終わった後、安心したのか、すぐそばの扉に入ろうとしたら、係員に「もっと向こうだ。なんでここから入るんだ!」と叱られた。
視覚的注意の範囲が狭くなり、目についた扉に入りたがる、いわゆる「駐車場症候群」だ。一部の似通った形状に反応してしまい、目的の場所や物と思い込む一方で、その場の広い範囲の状況が見渡せなくなっている。風呂とトイレを間違えるなどの認知症の症状に繋がる。前の人が正しい扉に入るのを見ていたが、自分が入るときには忘れていた。近時「エピソード記憶」の障害も重なる。
この原文を飛行機待ちの時間に入力していたが、気付くと搭乗ゲートには長い列が。あと30分遅れたら乗り過ごしていた。1つの作業に夢中になると、その作業の時間経過を忘れてしまう。というか、時間経過の把握が困難になっている。スマホでアラーム設定をしておくべきだった。最近、テレビ番組の内容を理解しながら行うPC作業なども困難になった。2つのタスクを同時に保持して処理する能力、すなわちWorking memoryが低下してきた。
ほかにもまだまだあったと思うが、忘れてしまった。
今回、この体験記を書くにあたり、同行した3人に私の行動の気になったところをたずねた。自分では気付かないもの忘れなどを知りたかった。しかし、他人のもの忘れなど時間が経つと思い出しにくいようだ。遠慮もあるだろう。出来事をすぐに入力できるアプリと共に、事前に依頼しておくべきだ。
拙著『MCIと認知症のリハビリテーション:Assistive Technologyによる生活支援』の付録には、「もの忘れ・認知症相互見守り助けあい協定書案」がある。実際に書面で締結することも大事だが、要はあらかじめ伝えておいたほうがお互いに気が楽になり、指摘しやすくなる。友人らによる多面的な評価と記憶支援の体制が作れればいい。この先10年もすれば、こういった環境が一般的になるのではないか。
私がこれらの体験を書けるのは、記録が素早くとれる拙著の「スマートメモ帳」に記していたからだ。一方で、現在の身体や心理、行動を、スマホやPCに即座に入力できる「メイちゃん」システムを神戸大学の中村研究室と開発中である。リマインダーや過去の記録の検索も強力だ。例えば、過去4年間のもの忘れ回数の図示が即座に見られる。次回の海外旅行時には効果を発揮しよう(見るのを忘れなければ)。
まとめ
現能力への自己認識と実際との間に、乖離があったことに気付かされた旅行だった。以前から兆候はあったがそれを忘れ、補ってくれるATの使用を怠っていた。
以前、認知症研究の大家が認知症になり「やっと認知症のことがわかった」と話しているドキュメント番組を見た。MCIや認知症になる前から様々な症状が出るが、専門家も含め多くは「まだ出来ることは多いから大丈夫」と言う。そのとおりだ。しかし「わかった」上で出来なくなったことも直視し、対処法を試行し、その結果を後に続く人に向けて公開することが大事である。現在、対処の可能性のあるATが増えてきた。友人たちも慰めの言葉ではなく、ATの活用を促してほしい。今後、より良い方法を皆で考える風潮やコミュティーができれば幸いである。
※ 前編から読む