「認知症を撮る人」後編 若手監督たちが社会に対して思うこと
取材/古谷ゆう子 撮影/上溝恭香 撮影協力/シネマ・ジャック&ベティ
認知症を題材にした映像作品が目に付くようになった昨今。“撮る人”は何をきっかけに、どのような思いで制作しているのでしょう。実際に認知症当事者と関わったり、介護施設で働いたりして知見を得ていったようです。前編に引き続き、若手監督2人に胸の内を語り合っていただきました。
※前編から読む
- 奥田裕介(おくだ・ゆうすけ)
- 1986年、神奈川県横浜市生まれ。日本映画学校(現・日本映画大学)で映画制作を学ぶ。映画やドラマの現場で演出部や制作部を経験し、ドキュメンタリー映画の構成、ミュージックビデオの脚本・監督、舞台でも脚本提供や作・演出など多岐にわたり活動している。劇場公開作品第二作目で、ミニシアタージャック&ベティ(横浜)30周年に向けて企画・製作された『誰かの花』(全国順次公開中)が各方面で話題となっている。
- 佐々木航弥(ささき・こうや)
- 1992年、岩手県宮古市生まれ。大阪芸術大学卒。卒業制作で監督したドキュメンタリー映画『ヘイトスピーチ』(2015年)が「座・高円寺ドキュメンタリーフェスティバル」で入賞、全国で上映された。19年には『僕とケアニンとおばあちゃんたちと。』が全国上映。22年6月11日から『僕とケアニンと島のおばあちゃんたちと。』がシアターセブン(大阪)で公開。「Yahoo! JAPAN クリエイターズプログラム」にて、『365日が宝さがし』『小さなクリニックとプライマリ・ケア』などを配信中。
佐々木航弥監督(以下、佐々木) ドキュメンタリーということもあり、ずっと撮っているんでしょと思われがちなのですが、僕の場合、長い時間カメラを回し続けているわけではないんです。
原一男先生(ドキュメンタリー映画の第一人者であり、大学時代の恩師)には、「狙って撮る」ことを学びました。いまだ!と思うときに狙って撮れ、と。特に原先生の時代は、フィルムが高価で貴重な時代でもあったので。いまはデジタルの時代なので好きなだけ撮れてしまうのですが、撮る前にはいつも「なぜ、これを撮るんだっけ?」と考えてからカメラを回さなければ、と思っています。
奥田裕介監督(以下、奥田) それ、大事ですね。
佐々木 そうでないと、いい映画は撮れないと思うので。よく「カメラがないかのように撮る」と表現されるかたがいますが、僕は逆で、オンとオフをはっきりさせることでカメラを意識してもらい、緊張感を持って撮影したいと思っています。
奥田 面白いですね。作品を見ると、実景というか、たとえば猫が振り返るだけのシーンなども、とても計算されていて作品にはまっているなと感じることがありました。
佐々木 嬉しいです。気づいてくれるかたがあまりいないので(笑)。
奥田 あのシーンはここで使おう、といったことも計算されているのですか?
佐々木 振り向いた位置などは計算していることが多いですね。
奥田 ナレーションの入れ方と猫のカットは、僕は鳥肌が立ちました。
佐々木 僕は、(『アンダーグラウンド』『黒猫・白猫』などで知られる)エミール・クストリッツァ監督の作品が好きで。彼の作品には大して意味もなく動物が出てくるのですが、尊敬する気持ちもあり、僕が撮るからには「動物を出したい」といつも思っているんです。
そうしたシーンは、ちょっとした“休憩”にもなりますし、純粋にいいな、と。それから、食事のシーンもなるべく映し出したいと思っています。認知症当事者であれば、たとえばお箸の握り方でもその時の状態が伝わりますよね。
奥田 僕も茶碗の持ち方などは、どの映画であっても注意して見てしまいます。そうしたシーンからも“家族”が見えてきますよね。茶碗の持ち方を注意していた両親なのか否かといったこともわかる。
佐々木 他にどんなこだわりがありますか?
奥田 僕は、よく観客に「あのシーンは、こちらにボールが投げられた(理解は観客に委ねる)という理解でいいのですか?」といった質問をいただくのですが、“観客にボールを投げる”ということは一度もしていない、と自分では思っていて。僕はどちらかというと、綱引きみたいなイメージでいます。
かつて商業映画の助監督をやっていた頃に、あまりにもセリフで説明しすぎて、観客の想像力を信用していないなと感じることがありました。自分はそうではない映画を目指したいと思いましたし、観客の想像力を信じつつ、自分もちゃんと綱を握っている状態であることはすごく意識しています。
佐々木 キャッチボールではなく、綱引きというのがいいですよね。
奥田 そういえば僕は以前、住んでいたアパートの隣の部屋に暮らす大家さんご夫妻と仲良くなり、月に一度、部屋にお邪魔してお酒を飲むということをしていました。引っ越してしまったので頻度は減りましたが、いまも関係は続いています。
高齢の奥様は認知症が進んでいて、30秒に一回くらい同じことを聞いてくるのですが、とにかく明るいかたなんです。そういえば旦那さんに『ぼけますから、よろしくお願いします。』(認知症の妻を支える夫を追った、実の両親のドキュメンタリー映画)を紹介していただいたこともいま思い出しました。
佐々木 認知症をテーマにした作品は、意外と当事者がご覧になっていますよね。撮っている僕がこの世代だと「テーマと距離があるんじゃないか」と思われることも多いのですが、上映会には介護に関わるかたが多く来てくださいますし、思っている以上に認知症のみなさんも見に来てくださいます。
奥田 僕は『誰かの花』を撮るにあたり取材した介護施設で何日か働かせてもらって、その時の様子や感じたことを、(認知症当事者を演じた)高橋長英さんと共有していました。
自分が自分ではなくなっていくようなことや物事を忘れてしまうことに不安や恐怖があって、冷凍庫に物をいろいろ詰め込むのも不安を埋めるためだとか。ペットボトルのキャップのような不要な物を集めてしまうのも同じ理由なんですよね。
介護業界はどこも人手不足なので、取材とはいえ30代の僕が訪れると「就職したら?」って皆さんから言われました(笑)。
佐々木 僕もよく言われました(笑)。色々な介護施設を回りましたが、どこでも言われましたね。
僕は田舎の出身で、人と人との距離が近い環境の中で育ってきたので、いまはコミュニケーションが少なくなっているのが寂しいなと感じます。近くに住んでいる人とのコミュニケーションがもっとあればもっといいのにな、と。奥田さんの映画でも同じマンションに住む人たちの交流が描かれていましたが、いま社会では地域共生とか地域の見守りが盛んに叫ばれていますよね。
たとえば、僕が別の作品で撮影したトカラ列島の宝島は、小さな島ということもあり、認知症のかたが道に迷って歩いていても昼間であれば誰かに見つけてもらえます。それは人が生きていくうえでの理想とも言えますよね。優しい社会であってほしいです。いずれ自分も認知症になるかもしれないし。僕、おじいちゃんになったとき怒られたくないから優しくしようと思うのかも(笑)。
認知症や高齢者の生活を「知るチャンス」を社会全体でももっと作るべきだと思いますし、僕ら若者も、もう少し積極的に「話す」ことをするといいのかな、と思います。なので、先ほど奥田さんが仰っていた大家さんと定期的に飲んでいるというエピソード、とてもいいなと思いました。
奥田 僕も、あいさつってものすごく大事だと思うので、『誰かの花』の中では登場人物たちに「こんにちは」や「さようなら」といった言葉をきちんと言ってもらうようにしていました。
「あいさつ」ってそれだけのことなのに、その日のその人の状態がわかることもある。職場で毎日、顔を合わせている人なら尚更だと思います。近所の人と話すきっかけにもなるのに、それをしていないだけで、人を簡単に線引きしてしまう。それは、あまりにももったいないことだなと思います。