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コマタエの 仕事も介護もなんとかならないかな?

母を支える三日月クッション 紆余曲折、完成までの長い道のり

駒村多恵さん

タレント、アナウンサーとして活躍する“コマタエ”こと駒村多恵さんが、要介護5の実母との2人暮らしをつづります。ポジティブで明るいその考え方が、本人は無意識であるところに暮らしのヒントがあるようです。

深い! 福祉用具の世界(前編)

「すみません、そのクッション、どこで売ってるんですか?」

病院で母とエレベーターを待っていると、声をかけられました。白衣を着た女性で、どうやら職員のよう。

母は体幹保持が難しくなり、座っているうちに上半身が傾いてしまい、そのままでは倒れてイスから落ちてしまう危険性がありました。そこで、カスタマイズした三日月型のクッションを、落下防止の役割を担えるものにしていたのです。腕はリラックスした状態でクッションの上に置きつつ、体が倒れるのを防ぐように工夫していました。
女性は続けて、「私の母が車椅子なんですけど、これ、ちょうどいいなと思って」と。困っている方、やっぱりいらっしゃるんだな……。

職員さんらしき女性の目にとまった三日月型クッション。カスタマイズの秘訣は見えない部分に。紆余曲折を紹介します
職員さんらしき女性の目にとまった三日月型クッション。カスタマイズの秘訣は見えない部分に。紆余曲折を紹介します

私たちもこれにたどり着くまで紆余曲折がありました。

母は体が右に傾くことが増えて、車椅子での移動中に何度も姿勢を正す必要がありました。車椅子には自動車のようなシートベルトはついていません。ベビーカーのようなセーフティーバーもありません。体がひじ掛けよりもはみ出ると歩道ですれ違う人とぶつかりそうになるので、都度止まって姿勢を直します。その回数が増え、このままでは危ないと思っていたところ、病院でリハビリテーション科の受診を勧められました。

そこには、医師や理学療法士(PT)が障害のある人に必要な装具を検討する「装具外来」という専門外来がありました。失われた機能を補う手段の「装具療法」――初めて聞く言葉でした。

母は歩行が困難になり、ケアマネジャーさんから紹介してもらった福祉用品レンタル会社を通して、車椅子をレンタル利用していました。カタログの範囲内で母の体に合わせた車椅子を検討してはいたものの、限られた選択肢の中から選ぶことを当然とし、そこから先の利用しやすさや快適さを最大限模索するという発想がありませんでした。それまではカタログの福祉用具に合わせていてもそんなに支障はなかったけれど、母の症状が進み、合わせきれなくなったことで初めて気付きました。

PTさんが切り出した状態のスポンジ
PTさんが切り出した状態のスポンジ

受診の結果、母の場合は右に倒れるので、右腰から少し上のあたりまで壁を作ればよいのではないかと見当をつけ、身体と椅子の隙間にクッションを入れることになりました。まず、PTさんがサイズに合わせてその場でスポンジを切り、隙間に入れてみます。スポンジは堅めの素材なのでたわむことなく、母の体をしっかり支えていました。

その状態を教授が診て助言し、診察に立ち会っている福祉用具製作業の方がお尻の丸みや腰のくびれなどを反映して、体に沿うピッタリサイズのスポンジを簡易的に作ります。医師のOKが出たら、それを参考に工房で作り直し、専用カバーも製作して完成。カバーはサンプル生地の中から選ぶことができます。母はその頃クリーム色の水玉模様の靴を履いていたので、それに合わせてクッションもベージュの水玉模様にしました。

出来上がったとの連絡を受け、3週間ほどして再び装具外来へ。実際にクッションを入れてみると、安定感が増し、見事に傾きが減りました。これは劇的な変化です。頻繁に姿勢を直す必要がなくなり、母も楽そうです。

左側にはそこまで大きく倒れないので、右よりも小さなサイズです。ヘルパーさんがひと目で左右を見分けられるよう、あえて色を変えました
左側にはそこまで大きく倒れないので、右よりも小さなサイズです。ヘルパーさんがひと目で左右を見分けられるよう、あえて色を変えました

しかし半年後、母の病状が進むと左にも傾きはじめ、左側にもクッションを作ることに。そして、また月日が経ち、今度は大きく前に倒れるようになりました。一難去ってまた一難。病気の進行にさらなる課題を突きつけられ、母の姿勢をどう支えると良いのか、我々はみたび思案に暮れるのです。

※次の回「完成した三日月型クッション 福祉用具と、固定概念の先に思うこと」を読む

※前の回「本好きだから歌手デビュー? コマタエ誕生秘話 今になって知る母の思い」を読む

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