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コマタエの 仕事も介護もなんとかならないかな?

“食”がつなぐ家族愛 母の「食べられへんわ」から生まれた介護食作り

駒村多恵さん

タレント、アナウンサーとして活躍する“コマタエ”こと駒村多恵さんが、要介護5の実母との2人暮らしをつづります。ポジティブで明るいその考え方が、本人は無意識であるところに暮らしのヒントがあるようです。

母の背中、父の背中

大学2年生の時、短期留学先のアメリカで、父のがんを知りました。
帰国すると、母は体に良さそうなものを作って父の病室に持参するという生活をしていました。すりこぎで山芋をすって、出汁でのばしたとろろ汁。キャベツやセロリ、にんじんなど、何種類もの野菜を1時間半煮込んで濾した野菜スープ。スープを搾った残りは自分が食べるので、2~3日に1度のペースで繊維ばった野菜をせっせと食べていました。
父の好物もよく持参していました。めじまぐろが出回るシーズンは、病院に行く前に魚屋さんに立ち寄り、見つけると柵で買い、病室のカーテンをシャッと閉め、切り分けたものを3人でしょうゆをつけて食べました(病院関係者の皆さん、ごめんなさい)。闘病中ながらも、それは、楽しく豊かな時間として記憶に残っています。今、私が母のために介護食を作るようになったのも、そんな母の背中を見ていたからかもしれません。

今も見るとつい買ってしまうメジマグロ。今は母が食べやすいように刻んでしょうゆ漬けにしています
今も見るとつい買ってしまうメジマグロ。今は母が食べやすいように刻んでしょうゆ漬けにしています

NHK「あさイチ」で料理コーナーを担当することが決まり、初めてスタジオに見学に行った時、私は息をのみました。放送中、映っていないところで鍋などの出し入れをしている人々の動きが、的確で素早く、流れるようで美しいと感じたからです。と同時に、これは大変だと思いました。チームワークで成しえている息の合ったコンビネーション。この流れを私が入ることで止めるわけにはいかないと。
そこで私は、翌日放送するレシピを前日に家で作ってみて本番の動きを頭に入れる、1人リハーサルをすることにしました。すると動き以前に、台本通りに作っているつもりの料理が失敗ばかり。何かが違います。どうしてだろう?

ある日の番組でのレシピ「牛飯」
ある日の番組でのレシピ「牛飯」

本番前に、出演される料理の先生に失敗した箇所を伝えると、先生にとっては常識で殊更言う必要もないと思っていた些細なことが、実は成否を分けるコツだったということが多数。素人感覚の疑問を本番でさりげなく入れていくことが私なりの伝え方だと気づき、積極的に予習することにしました。
作ったものは母と一緒に試食。母にも感想を聞いていました。ところがある日――。
「美味しいねんけどな……食べられへんわ」
嚙み切ることが難しくなり、一度口に入れたお肉を吐き出していました。悲しそうに私を見る目が忘れられません。

それから私は、どのメニューなら母が食べられて、食べられそうにない場合は原因は何で、どう工夫すると食べられる可能性があるのかを考えるようになりました。
まずは残しがちなものをチェック。野菜の繊維、お肉の筋。お肉は加熱して固くなると筋のあるなしにかかわらず難しい……など。放送前日の予習でも、母も食べられる食形態を模索しながら作るようになりました。
放送後の雑談では、介護食に応用できそうな調理方法について先生と話すことが増えました。介護経験のある方、栄養士、色々な得意ジャンルの先生から伺ったアイデアを日々の調理に取り入れ、今はもう随分難しくなりましたが、何とかほぼ同じものが食べられていました。
一方、こういった会話は、先生とのコミュニケーションの円滑化に寄与していた気もします。限られた時間で仕事をしながら介護をするためには、いかに自分のテリトリーに介護という事柄を引き寄せるかが重要と感じていますが、介護食は私なりに仕事との両立を成立させるファクターだったように思います。

実は、私の父は食品会社に勤務していたため、新商品が開発されると3人で試食をし、他社製品と比較したり感想を述べあったりしていました。母は前述のように、父に体に良さそうなもの、好きなものを作っていました。試食に介護食。
「何だか私、2人とおんなじようなことしてるな」
1日が終わるころ、洗い物をしている最中にふと気づき、夜、1人で苦笑しました。

※次の回「本好きだから歌手デビュー? コマタエ誕生秘話 今になって知る母の思い」を読む

※前の回「歯磨きは金儲け?父の名言と2段の階段 母の月イチ歯科通い」を読む

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