突然の別れ 足がすくむ死の存在と、患者としての幸せ まぶたに浮かぶ……
タレント、アナウンサーとして活躍する“コマタエ”こと駒村多恵さんが、要介護5の実母との2人暮らしをつづります。ポジティブで明るいその考え方が、本人は無意識であるところに暮らしのヒントがあるようです。それでもやっぱり、時には悲しいことも……。
突然の別れ
母の主治医の携帯番号から届いたメッセージを開き、私は言葉を失いました。
「天国に旅立ちました。ご丁寧な連絡と温かいお見舞いの御言葉を心より感謝申し上げます」
先生の妻によって送信されたメッセージ。
母の主治医の逝去を報せるものでした。
3年ほど前、母を12年間、大学病院で診てくださった教授が退任しました。教授が開業するクリニックで診てもらうことも考えましたが、「お母さんは何かあった時にすぐ入院できるほうが良いから」と引き続き大学病院での受診を勧められ、「この先生なら安心」と推挙してくださったのが前出の先生でした。
それはそれは優しい先生で、いつも母を気遣い、付き添う私にも「忙しい中、いつもご苦労様」と労いの言葉をかけてくださるのです。車いすの母が出入りしやすいように自席から立ち上がってドアを開こうとしたり、「僕も遠距離で母の介護をしてるんだけど、このあいだ行ったらさ~」など体験談を交えて、患者だけでなく患者家族も支えないと介護は崩壊するという考えのもと、相談しやすい雰囲気を作ってくださる先生でした。
ある日、私が「最近MCTオイルとプロテインをあわせて摂るとフレイル予防になると聞いて、お昼にデイサービスに持参してヨーグルトと混ぜて食べるようにしてるんですが、どう思いますか?」と伺うと、「いいと思うよ。それ、僕、研究してるから」と上目遣いのいたずらっぽい表情でニヤリ。解説を加えてくださったこともありました。
仕事と介護の両立でつらいのは、勤務中、自由に連絡が出来ないこと。たとえば、新しい薬を服用し始めたものの、明らかに様子がおかしくなって減薬、あるいは中止の相談を早急にしたいと思っても、先生と連絡を取るのは容易ではありません。まず診療科の受付に電話をして相談内容を伝えて、先生の診察の手が空くであろう時間以降にかけなおすよう指示されるのですが、かけなおしても保留になっている間に私の次の打ち合わせの時間がきてしまったり、先生の診察がずれ込んでまた聞いてもらえない状況だったり、なかなか上手くいかないのです。
前任の教授に「メールでもいいですよ」と言ってもらってからは、本当に困ったときはメールで問い合わせていました。教授から引き継いだ先生もそれを踏襲し、裁量内でメール対応をしてくださいました。連絡事項のついでに私のSNSで枯れかけの植物の写真を見たと言っては、「駒村さんより僕の多肉植物の方が元気、勝ち!」と先生の育てている植物の写真を送ってくださったこともありました。
ある日、別の先生の代診が続いていたので、いつごろ診察を再開されるのかご機嫌伺いを兼ねたメッセージを送信しました。すると、「入院中なのでしばらく代診でお願いしたい」との予想外の返信。大変な状況下に返信させてしまったことをお詫びしつつ、コロナ禍で外出を控えるようになったけれど母の薬は訪問診療で処方できるようにしてもらっていたので、病状が安定している間はそちらで対応してもらう旨をお伝えして、以降の連絡は控えることにしました。
しかし、半年が経っても復帰されないので、お見舞いと母の病状をご報告するメッセージを送信したところ、予想だにしなかった冒頭の返信が届いたのです。
迫りくる死の気配を遠ざけようと懸命にもがいている母を先導してくださっていた先生が先にいなくなるなんて……。あっという間に飲み込まれてしまう死の存在があらわになり、足がすくみました。
あれから一年。柔和な笑顔が瞼に浮かび、やっぱり涙があふれます。
先生が他界され、14年間診ていただいた大学病院に通うことはなくなってしまいましたが、診察のたびに温かい人柄に触れ、先生の患者だったことは母にとって幸せでした。
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