生活の中の甘えや弱さも受け止める ヘルパーの重要性を知って欲しい
《介護士でマンガ家の、高橋恵子さんの絵とことば。じんわり、あなたの心を温めます。》
訪問介護ヘルパーの私は、
掃除、洗濯、調理、
そんな生活援助を主に行っている。
けれど、
「それは訪問介護というより、ただの家事手伝い」
と思う人の多さに、ため息が出る。
同僚と話をしても、溝は埋まらない。
身体介護と生活援助。
体に触れ、介助することと、
その人が培ってきた生活に踏み入ることは、
訳が違うのだから。
自宅は、
その人が積み重ねてきた、人生の城。
私は、そこに表れる素顔を、
その人の生きざまごと支えている。
介助する人、される人。
介助する人は言わずもがな、
上の立場に立ちやすくなります。
もし、
平等な関係に近いケア、
というものがあるならば、
私は訪問介護の「生活援助」にこそ、
そのきっかけがあると思っています。
タオルはたたんだら輪を奥に向け、しまう。
卵だけはA店で、買い物の最後に買う。
トイレのドアは2センチ、開けておく。
その人が作りあげてきた、
暮らしのルールをのみ込み、
訪問介護ヘルパーが生活援助を行うのは、
ある意味、立場の逆転かもしれません。
また、経験上、
生活援助では、訪問介護ヘルパーに
多くの忍耐が必要となる気がします。
人は誰もが未熟で、
生活の中には、どうしても
甘えや弱さが表れやすいからです。
それを同じ目線で受け止めながら行う、
生活援助サービスにこそ、
人の全体性をケアする、
プロセスがあるのではないでしょうか。
ただ残念なことに、生活援助は
「誰でも提供できる介護サービス」
として周囲から見られがちです。
ケア、という整えられた言葉では、
収まりきらない人の息遣い。
それを支える人の心労に、
思いを馳せずにはいられません。
《高橋恵子さんの体験をもとにした作品ですが、個人情報への配慮から、登場人物の名前などは変えてあります。》