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義母の「ポックリ逝きたい」発言はどう答えるのが正解? もめない介護125

海に降り注ぐ薄明光線
コスガ聡一 撮影

「早く“お迎え”が来てほしい」
「このまま弱って、ポックリ逝きたい」

老親からこうした言葉が発せられるのは、決して珍しいことではありません。これらのセリフ、なんと答えたらいいか分からず、戸惑っているという悩みを耳にします。なかには、介護を頑張っている自分を真っ正面から否定されたようで空しくなるといった声も。

以前、この連載でも紹介しましたが、うちの義母は認知症介護が始まったころ、口癖のように「早くお迎えが来てほしい」と言っていました。いま思えば、どこがどうとハッキリ分かるわけではないけれど、これまでと同じようには生活できなくなりつつあることへの不安、家族も含む“他人の世話”への抵抗感や申し訳なさなど、さまざまな思いに駆られての“お迎え”リクエストだったように思います。

一方、義父は記憶している限り、一度も「お迎えが来てほしい」という発言はありませんでした。

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「男は80歳の壁を越えられるかどうかが、ひとつの山です」
「90歳を生きるというのは、なかなか骨が折れるものですな」
「90歳を超えると、1年1年が勝負のようなものです」

義父の溺愛に守られてきた義母

無口で我慢強い義父でしたが、“長生きするのもラクではない”と苦笑いしながら語る瞬間はたびたびありました。それでも「早くお迎えが来てほしい」とまでは口にしなかったのは、「妻を残して、逝くわけにはいかない」という気持ちが強かったせいかもしれません。

通所リハビリ(デイケア)の通い先を選ぶのも、ガスコンロ交換も、お弁当のチョイスも「家内がどう思うか、聞いてみてから決めたいと思います」と、義母の意向を大切にしていた義父。ところが、肝っ玉かあさんの“かかあ天下”の夫婦かというとまったく逆で、義母に聞くと「お父さまに従います」としずしずと答えます。ただし、義母が本当に従うかというと、そうでもなく、気に入らないことがあると「私は別にいいんだけれど、お父さまがイヤがるんじゃないかしら」と遠回しに異を唱えるので話がややこしくなることもしばしば。

そんな義父の溺愛に守られながら、好き放題に“お迎え”リクエストを連発していた義母ですが、介護体制が整うにつれて「早くお迎えが来てほしい」と口にする機会は減っていきました。認知症だと診断されてから4年が経ったいま、ほとんど聞く機会がありません。

義母がしょっちゅう、“お迎え”リクエストを口にしていたころは「どうしてそう思うの?」と尋ね、ひとしきり愚痴を聞いた後、「でも、おとうさんが寂しがるんじゃない?」で締めくくるという作戦で対応していました。

義父が亡くなったあと

でも、義母の気持ちを変えるのに格好の口実になってくれた義父は、昨年6月、亡くなりました。

「だって、お父さまはもう、この世にはいらっしゃらないもの」と義母にツッコまれたら返す言葉もないのですが、義父が亡くなって以来、義母は義父のことを口にしなくなりました。たまに、「あの方(義父のこと)はお元気?」と聞かれる程度です。

もの忘れ外来の医師からは「認知症の方にはよくあること」と説明されています。配偶者の死は少なからずショッキングなできごとで、忘れたいものでもある。完全に忘れ去っているとも言い切れず、記憶がぼんやりとあいまいになっていきながら、ゆっくり受け入れていっているので心配はいらない、と。

「まだまだ長生きしてくださいね」

医師にそう声をかけられると、義母は「ありがとうございます」と答えることもあれば、「それはお約束できません!」と答えて、クスクスと笑っていたりもします。

「明るくてけっこうなことです。ご主人が亡くなられて、若返られたようにも見えますね」

医師が小声で家族に伝えるのも、目ざとく見つけて、「内緒話?」とツッコむ義母。「早くお迎えに来てほしい」と繰り返し言っていたころに比べると、いまの生活は少なくとも日々、不安に駆られている暮らしではないのかなと思ったりもします。

Zoomで集まる家族会では

一方、最近もっぱら、「スーッと自然に逝きたい」願望を口にするようになったのは、76歳になる私の実の父です。夫婦ふたり暮らしですが近所には弟一家が住んでいて、小学生になった孫娘の塾や児童館の送り迎えをはじめ、子育てサポートに励んでいます。

一見すると、介護やその後の心配をするのはまだもう少し先のようにも思えますが、ふとした瞬間、なんとも言えない不安に駆られるものなのかもしれません。

コロナ禍で帰省が難しくなったことをきっかけに、週に1回、オンライン会議ツール「Zoom」を使って“家族会”を開催しています。両親と私の3人でとりとめもなく雑談をしているだけの会ですが、父の「ポックリ逝きたい」話は月に1~2回登場します。

「いろいろ考えたんだけれど、やっぱり年をとっても施設には入らず、ポックリ逝きたいと思う」
「デイサービスには行きたくない。年をとったのに無理に運動をするなんて不自然だから、そのまま自然に死ぬまで放っておいてほしい」
といった具合です。

「ポックリ逝きたい」は、夫婦の大事なコミュニケーション!?

長年、看護師をしてきた母は「そんなに簡単に死ねるわけないでしょ」とバッサリ。母がクールに突き放すぶん、父が「お母さんはすぐそうやって、施設に放り込もうとする……!」と嘆きたくなるのかもしれませんし、これも両親にとっては、夫婦のコミュニケーションなのかもしれません。

「放っておいてあげたいのは山々だけど、そんなに簡単に死ぬこともできないんだよねえ。向こうのお父さん(義父のこと)も晩年はお尻がかぶれとか、いろいろあって大変だったのよ」

そう伝えると、父から「俺もお尻がかぶれてるよ!」と思わぬ告白をされて、驚くことも。

「お尻のかぶれはかゆくてつらいねえ。軟膏とか塗ってるの?」とねぎらう横から、母が「ちゃんとお尻拭いてるの?」とツッコみ、父が「塗ってるよ! 拭いてるよ!!」と、ぶぜんとする。こんなやりとりができるのも、まだ「持病以上介護未満」の段階にいるおかげなのだろうと思います。

「早く“お迎え”が来てほしい」「ポックリ逝きたい」といった親のセリフは、子どもからするとギョッとするし、早々に話を終わらせたくもなります。でも、あえてそこから話題を広げてみることで、知らなかった親の本音に触れるきっかけにできるかもしれません。

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