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介護施設で、あるある探検隊♪

7年で家出2340回 介護奮闘記を家で学ぶ あるある探検隊の活動報告48

「あるある探検隊」のリズムネタで一世風靡したお笑いコンビ・レギュラーの松本くんと西川くんは、いま全国の介護施設をまわって、お年寄りたちを笑顔にする活動をしています。ところがここ数カ月、世界的に蔓延する新型コロナウィルスの影響で、思うように活動ができません。再び施設のおじいさん、おばあさんたちを楽しませる日がくるまで、いまは自分たちの介護レクリエーションに磨きをかけるため、勉強あるのみ! そこで今回は、認知症の母親との介護奮闘記をユーモアたっぷりに描いた『認知症がやってきた! ママリンとおひとりさまの私の12年』(産業編集センター)の著者・酒井章子さんと、オンラインで結んでインタビュー。その模様を実況中継します。

酒井章子さんとレギュラーのお二人
酒井章子さん(左上)とレギュラーのお二人

大阪随一のビジネス街、中央区北浜。スーツ姿のサラリーマンが行きかうなか、歩き疲れてベンチに座り込むおばあさんに、フラリと登場した娘が声をかける。

「あれ、ママリンなにやってんの?」
「あんた、どこから出てきはった?」
「タバコを買いに来てママを見つけたから、何してんのと思って」
「家に帰ろうと思って……」
「あたしの家やったら近所やよ。一緒に帰ろうか」
「さき帰って。ここは緑もあるし、私は(もうちょっと)座っていくわ」
「OK。じゃあ、バイバーイ」
「気いつけてね〜」

これは、2015年に公開されたドキュメンタリー映画「徘徊 ママリン87歳の夏」(田中幸夫監督)の1コマだ。徘徊を繰り返す87歳の「ママリン」と、娘の酒井章子さんの日々を追ったドキュメンタリー。実は、道ばたでの母娘の出会いは偶然のものではない。酒井さんはママリンの激しい徘徊を無理にとめるのではなく、“公認”している。その代わり、その都度こっそりと付かず離れずの距離から見守る、というユニークな介護が紹介されている。

ただただ厳しいだけの両親の家から18歳で家出し、30年以上、独立した自由な暮らしをしていた娘。そんな2人が、母の認知症発症をきっかけに、大阪・北浜にある娘の自宅で同居生活を始めたのは2008年11月のこと。当時、ママリン80歳、酒井さん48歳。趣味や仕事に気ままに暮らしてきた酒井さんの生活は一変した。

暴言・暴力、多弁・多動、焦燥・興奮・幻想・妄想……次々とあらわれる認知症の症状。穏やかに会話を楽しんでいたかと思えば、次の瞬間、鬼の形相でわめきちらす。ほどなく始まったママリンの激しい徘徊は7年間続き、実に「家出回数2340回、徘徊総距離3千キロ、助けてくれた通行人1万人」に及んだという。

「天使」と「悪魔」が同居するママリンと向き合いながらも、ときにはブラックなツッコミで笑い飛ばす酒井さんの“素のまま”の介護は話題となり、2018年には『認知症がやってきた! ママリンとおひとりさまの私の12年』を出版。そんな“酒井流”介護に感銘を受けたレギュラーの2人たっての願いで、今回のオンライン・インタビューが実現した。

西川くん ママリンはかわいらしい少女のようなときもあれば、ドアをガンガン叩いて暴れたり、汚い言葉で悪態をついたりするときもある。認知症の日常をリアルな映像として見たのは初めてだったので、まずはそれが衝撃でした。

酒井さん 映画のなかは、まだいいほうです。もっとえげつないときもあるんですよ。椅子を振り上げて暴れたり、なんてことも。

西川くん 手が付けられないときはどうするんですか?

酒井さん 私のスタイルは、とにかく放置です。初めて体験したときは私も衝撃を受けましたが、認知症の人をいくら止めても、やりたいことは絶対にする。本人は夢中ですから、なにを言っても聞いていない。映画でも、ドアを叩くすぐ脇で監督がカメラを構えていても、まったく反応しないほどですから。

松本くん 映像は、ものすごい形相でしたもんね。

酒井さん 最初のころは、ママリンがおかしなことを言ったら一生懸命、事実を伝えたり、「あれしちゃいかん」「これしちゃあかんよ」と諭そうとしていました。でも、こちらが言えば言うほど興奮して、ドアをドンドンと殴って暴れ、罵倒がエスカレートするばかり。こんな日常が何時間も続くと、こっちの気持ちが折れてしまう。だから、基本的にスルーすることに決めました。
健常者の脳で相手になると、無駄なエネルギーを消耗してこっちがソンしますんで。

認知機能が低下するということは、その人独特の世界で生きているわけです。ならば、私がママリンの世界に合わせるしかない。そこにやっと気がついたのは、5年くらいしてからでした。

松本くん 見ている側からすると、認知症の母親との距離感が絶妙というか、ほんとに受け流しが上手いなと感じました。徘徊を追跡する場面なんてユーモアすら感じて、ちょっとしたコントみたいです。徘徊を追いかけるようになったきっかけは、なんですか?

酒井さん 毎日毎日、罵倒とワケのわからないこと言われるのを何年もやってると、こっちも頭が麻痺してくるんですよ。そこで、これは作戦を変えなイカンと思った。その作戦のひとつが、閉じ込めるんじゃなくて歩かせて疲れさせることでした。外に出ようとしたら、気が済むまで歩かせることにして、自分はとにかくついていく。そう決めたら、気持ちがラクになりました。

西川くん それにしても、ちょっと尋常じゃないレベルで歩き続けます。

酒井さん ママリンの徘徊の「目的地」は、だいたい決まっています。認知症になるまで長く住んでいた奈良か、むかし住んでいた大阪・此花区か、自分が生まれ育った北九州市の門司か。途切れた記憶のなかで、“自分の家”を探しているのです。

映画「徘徊 ママリン87歳の夏」

もちろんケースバイケースだと思いますが、うちの場合は、そうやってどんどんママリンを外の世界に行かせたことで、お互いが家の密室から解放され、いろんなことがうまくいった。いまで言う三密を避ける。まあ、良くも悪くも、私がええ加減で、不真面目で、横着で——という性格のせいだと思いますが(笑)。

松本くん それでも毎日の徘徊を、ひたすら追いかけるわけですよね。しんどくなかったですか?

酒井さん しんどいですよ。なんでこんな不毛な尾行をせなあかんのやって。ただ、家におってもドアを叩いたり、「私のカネをとったやろ、この盗人!」みたいに延々と罵倒される。もう別の人格が乗り移った“悪魔”なんですよ(笑)。だから、ドアを開けて「悪魔出て行けー」って。町を歩くことで、新しい刺激もあるんで、怒りも収まり、そのうち自分もしんどくなって、「そろそろ休もうか」と座り込む。ここがチャンスと声をかけると、「あー、よう見つけてくれた。しんどかったわ」とウソのように素直になって帰ってくるんです。

西川くん 1日の最長徘徊距離は12キロ、最長徘徊時間は15時間だったとか。どんなことを考えながらママリンの後ろを追いかけていたんですか?

酒井さん それは「観察」ですね。どういうときに喜怒哀楽のスイッチが入るのかとか、何時間歩いたら疲れて休憩するのかとか、データを集めて傾向を見つけ、解決案を導こうとしていました。ところが、認知症のステージが変わると、データから編み出した解決案もぜんぶ変わってしまう。悪魔がアップデートするんですよ(笑)。最初は1時間で疲れたのが、そのうち2時間、3時間になって……。

松本くん あれだけ歩けば脚力もつきますからね(笑)。しかし、いつか自分の親が認知症になったときに、僕が同じことをできるかというと……自信がない。

酒井さん いやいや、徘徊を何時間も追跡するのはアホですよ(笑)。あれは、私の意地。本当はあんなことしたらあかんと思います。

西川くん でも、ママリンと酒井さんの間に「愛」があったから成立したんやと思うんです。

酒井さん うーん、愛というか……これもやはり、認知症の高齢者がどういうものなのか好奇心から「観察」していた、という感覚が近いですね。ママリンにしても、普通に生活していたところに認知症がやってきた。いわば「天災」と同じやないかなと思うんです。だから、戦うべきは認知症という病。優しさを込めても裏切られ、かえって自分が傷つくので、これは作戦だと割り切って、いろいろ試しながら「成功!」「失敗!」と考えられるようになったのがよかったですね。大切なお母さんが壊れていくと悲観していては、やっていけません。必要なのは愛情や優しさや思いやりではなく、「知恵とアイデアと作戦」です。

西川くん やはり距離感が“独特”です(笑)。映画や本には、地域の人たちがママリンの介護をあたたかく見守っている様子が出てきて、そこもいいなと思いました。

酒井さん まわりの人たちに「うちの母は認知症で」とか、「よろしくお願いします」とか伝えたわけではありません。だけどご近所さんは、早足で歩くおばあちゃん(ママリン)を私が追いかけるという“トムとジェリー”みたいな光景を、毎日のように見ていたので、察してくれたんでしょうね(笑)。目を離したスキに出て行ってしまったママリンを「あっち行ったで」と教えてもらったり、店に招き入れて引き留めてもらったり、いろいろ助けてもらいました。

『認知症がやってきた! ママリンとおひとりさまの私の12年』(産業編集センター)

松本くん 徘徊が終わって家に帰る途中で、2人で近所のお店に寄って食事したり、一杯やったりするシーンも、よく出てきました。ママリンの“行きつけ”がいっぱいある。

酒井さん それは、私にとっての“楽しみ”でもありますからね。とにかく、みんながママリンを腫れ物ではなくて、普通の人として接してくれたのがありがたかった。都会は、もともといろいろな人がいるんで、ママリンのキャラクターもすんなり受け入れられたんでしょう。飲み屋に行っても、酔っ払いのオッサンとか面倒くさい人はいくらでもいますから、そのなかでママリンはそれほどでもないかなという(笑)。

松本くん 大阪の街は、やっぱりあたたかいんですねえ。

酒井さん ママリンは徘徊中にいろいろな人に声をかけていて、その数は7年間でざっと1万人になります。これは本当に申し訳ないですし、ありがたいことなんですが、みなさん、優しくしていただいて。困ったおばあちゃんがいたら、助けるのは当たり前と思っているんですよね。
此花区まで行ったときは、いまや街並みはすっかり変わってしまっているけれど、道行く人に「お久しぶりー」とか声をかけていました。もちろん知り合いじゃないですけど、相手も「おばあちゃん、元気ですか?」などと上手に話を合わせてくれて。そういう優しさに、ずいぶん助けられたものです。

<オンライン・インタビューを終えて>

西川くん 酒井さんとママリンのユニークなやりとりは、愛がある親子やからできるんだろうと思っていたけど、実際はそんな甘いもんじゃなかった。介護において、愛情が深すぎるとかえってうまくいかないというのは、ほんま、なるほど〜と思ったで。

松本くん なんだか恋愛にも似てるよな。恋人同士の愛情絡みの事件て、よくあるやんか。こわいで、愛っていうのは。

西川くん ほんま、酒井さんとママリンの絶妙な距離感には、そういう意味もあったってことや。

松本くん 観察者となって徹底してデータと向き合った、というスタイルも目からウロコやったわ。そうすることで感情に振り回されずに、作戦の成功・失敗で冷静に判断していく、みたいな。

西川くん ほんま、いろいろ勉強になった。もうひとつ僕が印象深かったのは、ママリンならではの世界があって、酒井さんがそれを尊重していたことやね。ママリンの世界では、ママリンだけが正義。酒井さんが、なんとか変えようと思っても無理な話や。

松本くん しかし、酒井さんのように観察者の境地に至るまでは……いや、至ってからも、大変やと思うで。僕らが介護施設に行っても、さすがにあんなに罵倒されることはないからな。

西川くん でも僕らも、利用者さんから怒られたことがあったやないか。介護レクリエーションのときに1人の利用者さんにかまいすぎていたら、ほかから「それはいいから、おもしろいこと言ってや」とブーイング。酒井さんも言っていたけど、ママリンは自分が常に中心じゃないと気がすまなかったらしいやん。僕らの介護レクでも、そうした性質を意識しながらやらないとイカンな。

松本くん あと、街の人たちが、ママリンを当たり前のように受け入れてくれたという話も印象的だった。たしかに、街にはもっとやばいヤツがいっぱいいるもんな。

西川くん そうや、そうや。認知症の人だけが人と違うわけじゃない。ステージでも、たまに怖いヤジを飛ばしてくる人がいるやん。

松本くん あー、いるな……。そういう時こそ、「観察者モード」や!

西川くん 松本くん、それはたしかにアルな!

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