介護施設で「あるある探検隊♪」。きっかけは次長課長・河本の冴えた直感
取材/福光恵 写真/伊ケ崎忍
「あるある探検隊♪ あるある探検隊♪」そんなフレーズが人々の頭のなかで、寝ても覚めてもリフレインしたのは10数年前のこと。お笑いコンビ・レギュラーの一世を風靡したリズムネタだ。そのレギュラーの2人は、2014年に介護職員初任者研修(※1)の資格を取得。現在は、ボランティアで介護施設を巡ったり、介護イベントで講演したりするなど、「介護業界」という新境地での活躍が注目を集めている。そんな2人の活動のそもそものきっかけを作ったお笑いコンビ・次長課長の河本準一さん、そしてレギュラーの松本康太さん、西川晃啓さんの3人が、「お笑い」と「介護」の出会いを語る。
■リズムネタは向いている
――最初に介護施設などの慰問ボランティアを始めたのは、河本さんだったとか。
次長課長・河本準一さん(以下、河本): きっかけは2012年でした。当時、母親の生活保護の受給問題で、みなさんから厳しいご指摘をいただきました。「(給付した)市役所は何をやってるんだ」と、なんの落ち度もなかった地元岡山の市役所まで、僕のせいで非難を受けてしまった。
それまで市役所には母親のケアなどで大変なお世話になっていたのに、ご迷惑をおかけして、今度は僕が岡山に貢献できることはないかと考えたのです。まもなく岡山の幼稚園とか老人ホーム、介護施設、児童養護施設などの慰問ボランティアをやらせてもらうようになりました。
レギュラー・松本康太さん(以下、松本): 河本さんが施設巡りをするなかで、デビュー直後に河本さんの家に居候させてもらったこともある後輩の僕に「(時間が)空いてたら、一緒にどう?」と声をかけてくれまして。それで岡山に行って、河本さんと一緒に1日かけて介護施設など5、6カ所を回らせてもらったのが始まりです。認知症の人と触れ合ったのは、そのときが初めてでしたね。
――なぜレギュラーの松本さんに声をかけたんですか?
河本: 実は、ほかの後輩芸人にも声をかけて、代わる代わる来てもらっていたんです。そのなかでも松本くんの「あるある探検隊!」のようなリズムネタは、利用者さんも手拍子をしやすかったり、運動になったりするから、向いてるなという印象がありました。
松本: その後、1〜2カ月に1回とかそんなペースでしたけど、何度か通ううちに河本さんから「時間あるんやったら(介護施設での活動を)本格的に勉強してみたら?」と言われまして。「せっかくだから相方の西川くんと2人でコンビのほうが、レギュラーっぽくていいんちゃう?」というアドバイスももらったんです。
■お笑いと介護のちょうど真ん中
レギュラー・西川晃啓さん(以下、西川): 松本くんに遅れること1〜2年、河本さんのアドバイスで、僕もボランティアに同行するようになりました。で、どうせやるんだったらと、ついには2人で資格を取ることにしました。
松本: 認知症の人の前でネタをするときに、言葉使いなどがデリケートになってくるから、何が失礼で、何が失礼じゃないかというのを学びたいなという思いがあったんですよね。資格を取るのは大変でしたが、時間もたっぷりあったんで(笑)。
西川: ですけど、その資格が僕らのやってる漫才とはなかなか結びつかなくて。それで、2017年に今度は「レクリエーション介護士」(※2)という資格を取って、河本さんの言ってることとようやくリンクしたんです。
松本: ざっくり言うと、施設の利用者さんたちの前に立ってみんなで楽しめることをする、という資格です。そうやって勉強を重ねていま、お笑いと介護のちょうど真ん中みたいな活動ができるようになってきたところですね。
※1【介護職員初任者研修】厚生労働省認定の公的資格で、「介護職として働く上で基本となる知識・技術を習得する研修」のこと。資格を取得するためには、講義と演習で構成される約130時間の研修受講と、全課程修了後の修了試験に合格することが必要。
※2【レクリエーション介護士】趣味や特技を生かしながら、高齢者に喜ばれるレクリエーションを提供できる人材に与えられる資格。一般社団法人「日本アクティブコミュニティ協会」が運営。
■施設で輝く“特別”な存在
――レギュラーの2人をコンビで”スカウト”したのは、どんな意図があったんですか?
河本: とにかく肌感覚。直感ですね。レギュラーの2人なら、いつも通りに笑顔でやっていれば、じいちゃん・ばあちゃん専門のキャラで絶対にうまくいくだろう、と。人気絶頂時、レギュラーのファンの中心は女子中高生でしたけど、それより本当のターゲットはこっちだろうと確信しましたよ。
西川: いえいえ、当時からライブに女子高生も来てくれましたけど、よくよく聞くと「家のお母さんがファンです」とか言われてましたから。
河本 だいたいいまどき、丸刈りと角刈りのコンビって……(笑)。『仁義なき戦い』(終戦直後の広島のヤクザの抗争を描いた深作欣二監督の映画)くらいでしか見たことないでー。
西川: え、そうですか?(笑)
河本: とにかくレギュラーの雰囲気って、昭和のあの時代なんですよ。そんなコンビが女子高生にウケるわけがない。その代わり、介護施設や老人ホームに行くと、もう特別な存在ですよ。芸人としてのレギュラーを前から知っていたという利用者さんはそれほどいない。それでも、利用者さんたちの笑顔がダントツに多かったですから。
――――レギュラーのお2人に迷いはなかったんですか?
西川: 僕らも1年間、テレビ番組で沖縄の宮古島に移住したことがあったんですが、確かにオジイ、オバアに、やたらとかわいがってもらった思い出があります。孫みたいな感じで、サーターアンダギー(沖縄の揚げ菓子)をもらったり。松本くんから介護施設での活動の話を聞いて、どこまでできるかわからなかったけど、とにかくやらしてもらおうとなりました。
松本: 僕の場合は、物忘れがひどくなったおばあちゃんや父親を、家で介護していたことがあったんです。でも、当時はすべて母に任せっきり。そんなとき、テレビで介護の番組を見ることがありまして。介護っていうのは鬱になる人もいるほど、大変なことなんやと知った。あまりにも意識が低い自分を悔いていたところだったので、河本さんに声をかけてもらったのをいい機会に、いまから勉強して挽回しようと、心に決めました。
河本: そうはいっても、最初は大変だったと思いますよ。僕だって自分で「やらせて」と懇願しておきながら、初めて施設で利用者さんたちの前に立った日は1〜2分で帰りたくなりましたもん。
松本: 河本さんからそんな話は聞いていたけど、僕も最初に行ったときは、ここまで大変なのかと驚きました。
■「ご苦労様です!」と敬礼
――介護施設での初舞台の手応えはどうでした?
河本: 手応え……まるでないです(笑)。僕はすぐに、重大なことに気づくことになりました。まず通常、自分たちがお笑いライブなどで話すスピードでは、絶対に理解されない。耳も遠い。僕のこともぜんぜん知らない。いつもの調子でネタをやったら、絶対ダメなんですよ。それよりも、大きな動きと、あとはとにかく歌。だから鼻笛(鼻息で演奏する笛)とか音の出る楽器を多めにして、歌も増やしました。もちろんプロの歌手じゃないですが、ネタに織り交ぜて喜んでもらっています。
――ネタより歌が受けるんですね。たとえば、どんな歌ですか?
河本: 利用者さんからのリクエストが基本ですが、そのリクエスト曲をやると、涙してくれる人もいます。
そうそう、昔の歌を聴いて、戦争中、ご自分が兵隊だったときのことを思い出されたんでしょう。急に立ち上がって、「第3兵団の誰々であります」と敬礼したおじいちゃんとかもいましたね。
松本: あ、僕もその場にいました。河本さんもびっくりして、最初は声も上ずったりしてはったんですけど、最後は「ご苦労様です!」って敬礼を返して、その人には座っていただいた。もちろん会場は大爆笑でした。
河本: その人は、僕らがなにを言っても反応ゼロだったのに、歌が始まってある曲になったらスイッチが入った。そして立ち上がった(笑)。
――脇で固まっている松本さんの姿が、目に浮かぶようです。
松本: 「こりゃ大変やなぁ」というのが正直なところでした。だって百戦錬磨で、舞台でドカンドカン笑いを取ってる、あの河本さんが横で冷や汗かいてはって……(笑)。毎回、衝撃的な展開でしたね。
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(編集協力/ Power News 編集部)