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終のすみか…どころか老健、病院、自宅の引っ越し三昧! もめない介護56

ベイエリアのイメージ
コスガ聡一 撮影

新型コロナウイルスの感染対策のため、全国の病院や介護施設では「面会制限」が行われています。そんな折り、義父が“順番待ち”をしていた有料老人ホームから「空きが出そうだ」と連絡がありました。まだ確実に「入居できる」と決まったわけではありませんが、入居に向けた調整が始まります。

80代半ばになるまで、元気にふたりで暮らしていた義父母が夫婦そろって認知症だとわかり、右往左往しながら在宅での介護体制を整えていたころは、「施設入所」は遠い存在でした。「いずれ、そう遠くない将来、必要になる日がやってくる」と頭の片隅では思っていましたが、それは義父か義母、どちらかが亡くなったタイミングをイメージしていたような気がします。

しかし、介護のある暮らしに、義父母もわたしたち家族もようやく慣れてきたころ、初めての施設入所を経験します。このコラムの第47回、第48回で紹介した、義父の緊急入院がきっかけでした。その後も状況は二転三転。当初、想像していたよりも、めまぐるしく状況が変わり、「そう来たか……!」のオンパレード。今回は、「施設入所」の変遷を時系列で振り返ってみたいと思います。

【第1期:緊急避難】

  • 2018年2月 義父が肺炎で緊急入院する。その間、義母は一人暮らしが難しかったことから有料老人ホームへ一時入所。その後、地元の介護老人保健施設(老健)に入所する。
  • 2018年3月 義父の退院。義母が暮らす老健に合流し、リハビリ生活がスタート。
  • 2018年6月 老健でのリハビリ生活を終え、夫婦そろって帰宅。

【第2期:本格入所】

  • 2019年1月 義父の低栄養が抜き差しならない状態となり、緊急ケアカンファレンス開催。一刻も早く施設入所にこぎつけたい、という事態に直面する。
  • 2019年2月 夫婦そろって有料老人ホームに入所(同じフロアだが、部屋は別室)。
  • 2019年9月~2020年3月 義父、入退院を繰り返す。
    ・大量下血があり、緊急入院。5日ほどで退院するが、退院後も発熱を繰り返す。
    ・20代のころにかかった結核が再発したことが判明。即座に隔離入院となる。
    ・隔離入院での治療後、服薬治療のみの段階に至り、施設に戻るが、数日後、誤嚥性肺炎で入院。
    ・入院後も、誤嚥性肺炎を複数回、繰り返し、胃ろうを造設。
  • 2020年3月 義父、リハビリ病院へ転院。24時間看護体制のある有料老人ホームに「空き」ができ次第、移る予定(もともと義母と一緒に入所した有料老人ホームは義父の部屋のみ解約)。

義父の入院に伴い、緊急対応として始まった施設入所

義父母の施設入所にまつわる変遷は、大きく2つの時期に分けられます。第1期は、義父の入院にともない、まさに「緊急対応」としてスタートしました。

これまで通り、介護サービスを利用したとしても、義父の助けがまったくない状態で、義母が自宅での暮らしを続けることは難しい。しかも、なだめ役だった義父がいなくなることで、義母が「デイにはいかない」「弁当は頼まなくていい」など、介護拒否めいたことを言い出すことも予想されました。とにかく義父が入院している間、義母の暮らしを維持するための手段としての施設入所でした。

通常より、利用料が若干割安になる「お試し入所」(7泊8日)の仕組みを使い、有料老人ホームに入所したのと同時に、もともと通所リハビリ(デイケア)で通っていた老健への入所をエントリー。運よく空きが出たため、顔なじみの職員さんがたくさんいて、義母にとっても安心感のある老健に移ることができました。

義父も退院後は、同じ老健に合流。いきなり自宅に戻るよりも、夫婦ふたりでしっかりリハビリをし、健康状態をととのえ、生活を立て直した上で戻るほうが安心だと考えたのです。

「食事がおいしい施設なら構いません」

ひとつ誤算があったのは、老健から自宅に戻ったあとのことです。じつはこのとき、当初は、自宅には戻るけれど、夏の暑い時期(7月~8月ごろ)、冬の寒い時期(12月~翌2月ごろ)は老健に一時入所するという計画でした。義父も「自宅で生活していけるか不安がある」と、このプランに大賛成。

ところが、いざ、夏の入所を目前に控えたタイミングで「あんなところ(施設)には行きません!」と、義父が拒絶。断固とした決意表明を覆せず、泣く泣くキャンセルすることに。

この時点で、わたし自身は半ば、施設入所をあきらめます。もともと、どちらかといえば、ご本人が積極的に望んでくれていたことなのに、それでも忘れてしまう。こちらの説明に耳を傾けてくれたものの、やはり「施設に行かない」という選択は変わらない。それはとりもなおさず、「われわれは自宅で最期を迎える」という決意表明なのだと、考えていたのです。

しかし、実際にはその翌年、2019年の年明けから、第2期にあたる「本格入所」のターンに突入します。食いしん坊だった義父の食が少しずつ細くなり、気づけば低栄養がのっぴきならない状態になっていたのです。医師、看護師、ケアマネジャー、ヘルパーと、かかわってくださってる専門職の方々が一堂に会した、緊急ケアカンファレンスには、義父母にも参加してもらい、今後どうするかを話し合いました。

「療養が必要な状態です」と医師に説明された義父は顔色を変え、「病院は食事がまずいので入院したくない!」と反論。すかさず、「食事がおいしい施設を探そうと思うんですが、どうですか?」と尋ねると、「それなら構いません」と了承してくれました。

まさにジェットコースター級! 何が起こるか分からないのが介護

あくまでも“一時療養のため”という名目で、夫婦そろって有料老人ホームに入所した後、義父はおどろくほど元気を取り戻します。入所直前は1日の大半を介護ベッドの上で過ごすような状態でしたが、施設ではほかの入所者さんとの囲碁勝負に励み、滑舌も見違えるようにしっかりしてきました。

「夏場はここで過ごしますが、秋になったら自宅に戻ろうと思います」
すっかり自信を取り戻した義父に、そう宣言されたときも、「ご本人が望むなら、それもありかも……?」と、一瞬迷うぐらいには、元気いっぱいだったのです。

しかし、秋口にさしかかったあたりから、義父の体調が悪化し、入退院を繰り返すようになります。70年近く前にかかり、治ったと思われていた結核が再発したと聞かされたときは心底驚きました。隔離入院を経て、ようやく退院できたかと思ったら、今度は誤嚥性肺炎での緊急入院。現在、義父はリハビリ病院に入院中ですが、今後は義母がいる施設ではなく、24時間看護体制のある有料老人ホームに移る予定です。

施設に入所した後、健康状態の変化などさまざまな理由で、別の施設に移らざるを得なくなることもある。
そう聞いたことは何度かありました。介護は先が読めず、いつ、どのようなアクシデントに見舞われるかわかりません。膠着状態が続くのかと思いきや、まさかのジェットコースター展開! と、予想はさまざまな形で裏切られ続けています。

“終のすみか”に期待しすぎず、変化し続ける日常を受け止める。「あのとき、もっとこうしておけば……」の後悔に心を奪われないよう努めることも、介護には必要なことなのかもしれません。

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