「せっかちに葬ろうとするな!」両親との任意後見契約 もめない介護139
編集協力/Power News 編集部
認知症など将来の判断能力低下に備えて、あらかじめ“将来の後見人”を指定し、契約を結んでおく「任意後見制度」(任意後見)。利用するにはまず任意後見人になる人(任意後見受任者)を選び、本人との間で「任意後見契約」を結びます。
つい先日、この任意後見契約を初めて経験しました。家庭裁判所が後見人を決める「法定後見制度」とは異なり、本人が「誰に後見をお願いするか」を決めることができます。任意後見人に特別な資格は必要なく、家族はもちろん、友人知人になってもらうことも制度上は可能です。
わたしは今回、自分の両親とそれぞれ「任意後見契約」を結びました。今後、父親(または母親)が何らかの理由で判断能力が衰え、後見が必要になった場合には家庭裁判所に申し立て、任意後見監督人を選任してもらい、任意後見がスタートします。
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認知症の備えとして注目される「任意後見制度」ですが、いざ親と話をしようと思うと、どう伝えたらいいかわからなかったり、親の拒否感が発動してしまったり……と難しく感じるという話も聞きます。我が家もトントン拍子に話が進んだわけではありません。むしろ当初、うちの父は「終活」という言葉を聞くのもイヤ!と断固拒否。「エンディングノートぐらい書きなさいよ」とせかす母に、「せっかちに葬ろうとするな!」と言い返し、夫婦喧嘩を繰り広げていたのです。
そんな両親とどのように話し合い、任意後見契約にこぎつけたのか。今回はその経緯をご紹介します。
少なからず、誤解も混じっていそうな「後見人」の評判
わたしにとって「後見制度」がグッと身近なものになったのは、義父母の認知症介護が始まった時でした。
「いまのうちに、できるだけ早く後見人になったほうがいいんじゃない?」
「下手に法定後見を申し立てると、その後が面倒だし、お金もかかるからできるだけ使わないほうがいい」
「後見人がいないときっと困るわよ」
「家族がいれば、あわてて後見人を立てる必要なんてない」
さまざまな人がアドバイスをくれるのですが、人によって言うことが違っていて、誰が言うことが正しいのかよくわかりません。戸惑いながら調べていくうちに、どうも「後見人」と一口に言っても、その中身は違いそうだということがわかってきます。
前述の任意後見制度の話をしているのか、家庭裁判所によって成年後見人が選ばれる「法定後見制度」を指しているのかがあいまいなことも結構ありました。「後見人を早めにつけたほうがいい」あるいは「後見人をつけるとかえって面倒」というアドバイスは、それぞれ経験や何らかの知見に基づくものではあったかと思いますが、少なからず制度への誤解も混ざっていたように思います。
メリット、デメリットをよく知った上で選択するのならまだしも、よくわからないままに飛びつくと、“そんなはずじゃなかった”に陥りかねない、危うさがそこにはありました。
法律やお金の専門家が医療や介護の実情に詳しいとは限らない
義父母の場合、もの忘れ外来で成年後見制度の利用を勧められたこともあります。義母のものとられ妄想に悩まされていたことが理由ではないかと思います。
「法定後見は、専門家による不正も横行していると聞くので利用する気はありません。つい最近のテレビで見たばかりです」
そんな義父の“鶴の一声”で成年後見制度の利用は見送りましたが、そもそもの話でいうと、ものとられ妄想があったからといって、必ずしも成年後見制度の利用が必要なわけではありません。
「医療や介護の専門家だからといって、医療費や介護費用に詳しいとは限りませんし、法律やお金の専門家が医療や介護の実情に詳しいとは限りませんからね」
「まったくだね。その通りだ」
これは、診察が終わってからも「なぜ、成年後見制度なのか」と心外そうにしていた義父をフォローするためのやりとりです。言いながら自分でも気づかされる思いでした。言ってしまえば当たり前のことではあるのですが、身内が認知症になってあわてふためいているタイミングだと、忘れてしまいがち。「専門家が言うなら間違いないだろう」と必要以上に判断を委ねたり、そもそも、その分野の専門家というわけでなくとも自信たっぷりに言われるとすがりたくなったり、そんなことを実感した出来事でもありました。
※参考記事はこちら「複雑な成年後見制度 なぜ人によって言うことが違う? もめない介護127」
「家族Zoom会」で見えた親の老い
一方、自分の両親と、やりとりの潮目が変わったきっかけは「コロナ禍」でした。
当時、新型コロナウイルスの感染拡大防止のため、老人介護施設での面会禁止が長期化するなか、タブレット端末などを使ったオンライン面会が少しずつ広がっていました。義母が暮らす有料老人ホームでは、ようやく「オンライン面会を導入予定」という方針が示されたものの、実現のメドはたっていませんでした。
デスクトップパソコンでビデオ通話するときに使用する外付けのウェブカメラやマイクも売り切れ続出で、もともとは2000円程度のものに1万円近い値段がついていたりもしていました。そこで、義母とのオンライン面会は気長に待つとして、まずは自分の親とのビデオ通話環境を整えることにしたのです。
父はビデオ通話にあまり気乗りしないようでしたが、母はがぜん乗り気。ビデオ会議ツール「Zoom」を使っての家族会が初めて実現したのは、2020年5月初旬のことです。ちょうどその日は「母の日」であり、父の誕生日でもありました。
一連のやりとりでは、親の老いを強く感じた瞬間もありました。実家の近くに住む弟の手助けがなければ、本番までこぎつけられなかったような気もします。その一方で「わからないけどやってみよう」という好奇心や、「うまくいかなくても試す」という根気は健在。こちらがやり方を工夫すれば伝わるという手ごたえもありました。
そしてこの日以来、週1回の「家族Zoom会」が定例となったのです。
電話ではすぐに「じゃあね」と切り上げていた父が冗舌に
毎週、ビデオ会議をつなぐのは少々面倒だなと思う気持ちもありました。両親はまだ元気で、サポートが特段必要なわけではありません。でも、サポートが必要ないうちから定期的に様子を知っておくことは、いずれ介護が必要になったときに役に立つ。それは、義父母の認知症介護で痛感していたことでもありました。
家族Zoom会での会話はたいていがとりとめもない雑談です。1時間のうち50分ぐらいは「今週見たテレビ」の話題だし、高齢でしかも、外出が制限されている親の話題はテレビのことぐらいしかないのかとがくぜんとするほどです。
でも、どんなに興味のない話題でも、ニコニコと適当にあいづちを打ち、「ほうほう」と感心していたら、次第に親が話す内容も変わっていきました。電話でやりとりしていたころは、電話口に出てきても「元気だよ。じゃあね」とすぐ話を切り上げていた父(もともとはおしゃべり)が、堰を切ったように冗舌になったのです。
Zoom会が終わる直前、5分前ぐらいになると「じつは最近、夜眠れなくて」「トイレに行こうとして転んでしまった」といったような“老いの告白”が混じるようにもなりました。
どうでもいい会話を重ねながら、「老い」について語り合うのが日常の一コマになっていき、その先に、本音を言えば考えたくない、「もっと老いたとき」の備えとしての任意後見契約の検討……とつながっていったのです。
※参考記事はこちら「要チェック! 高齢な親もZoomデビューするコツ もめない介護60」