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編集長インタビュー

「私、女優なの」と認知症の母 娘は監督になった 原田美枝子さん前編

15歳の時から女優として、名だたる映画監督たちの作品に出演してきた原田美枝子さん。実母のひと言がきっかけで、短編ドキュメンタリー映画『女優 原田ヒサ子』の制作、撮影、編集、監督を手がけることになったと言います。撮られる側から撮る側に移り、初めてカメラ越しに見た母の姿に何を感じたのでしょうか。なかまぁる編集長、冨岡史穂が聞きました。

認知症の実母を撮った短編ドキュメンタリー映画『女優 原田ヒサ子』の制作、撮影、編集、監督を手がけた女優の原田美枝子さんと「なかまぁる」冨岡史穂編集長

冨岡史穂(以下、冨岡) 「原田美枝子さんが認知症のお母様と一緒に映画を撮った」と知った時は、美枝子さんが女優でいらっしゃるということもあり、お知り合いの俳優さんたちと劇映画をつくられるのではないか、と想像していました。ですが、作品を拝見したらお母様の“女優”としての一瞬を捉えたドキュメンタリーで、いい意味で驚きました。

原田美枝子(以下、原田) 作品の構成を始めから決めていたわけではないんです。「私ね、15の時から、女優やってるの」という言葉を聞いて以来、母をワンカットでも撮って映画として公開したら、母の頭の中だけでなく本当に“女優”になれるのではないか。そんなふうに発想を膨らませていきました。母に演技をしてもらおう、などとは思っていなくて、じっと座っているだけの母の顔を撮っても素敵ではないか、と。
そして実際に撮ってみたら本当にいい表情をしていて、私自身びっくりしてしまって。「これは本物だ!」と感じたんですね。たとえ数秒の映像であったとしても、そこに魅力のあるものが映っていたらそれは「映画」になる。母の素敵な表情を捉えることができたので、「映画を撮ることができた」と嬉しい気持ちになったことを覚えています。

冨岡 お母様であるヒサ子さんはどのようなお人柄でしたか。

原田 認知症になる前は、私の三人の子供たちが“おばあちゃんのマシンガントーク”と表現していたくらい、おしゃべりが大好きな人でした。電車で隣同士になった方ともすぐにお友達になってしまうほど、本当に明るくて。私自身は、昔はいまより人見知りだったこともあり、「もうお友達になったの?」と驚くことも多かったですね。

原田美枝子さんが、認知症の実母を撮影した『女優 原田ヒサ子』のワンシーン。祖母のヒサ子さんに話しかけているのは、原田美枝子さんの長女でシンガーソングライターの優河さん (c) MiekoHarada
『女優 原田ヒサ子』のワンシーン。祖母のヒサ子さんに話しかけているのは、原田美枝子さんの長女でシンガーソングライターの優河さん (c) MiekoHarada

冨岡 美枝子さんがワンカットでもお母様の姿を撮りたい、と考えたことに対して、三人のお子さんをはじめ協力してくださった方々はどのような反応をされたのでしょうか。

原田 「最近色々なことがわからなくなってしまったね」「なんだか寂しいよね」といった言葉は前々から子どもたちと交わしていました。2018年の秋に、母についての映画を撮ることをふと思いつき、アイデアを伝えたところ、「一緒にやりたい」と言ってくれて。それなら、みんなが揃う時に撮りましょう、ということになりました。プロに頼むのではなく、一眼レフカメラとスマートフォンで撮影してみよう、と。
作品の中には、母がいまお世話になっている介護施設でのシーンもあります。母が突然「映画もなんでもやります」「時代劇はあまりやらない」などと話し始めて。それで、息子の大河が「母さん、いまカメラを回そう」と言ったんです。私は「え、いま?」なんて思いながらも、至近距離から母をスマートフォンで撮影しました。まさか携帯電話で撮った映像が映画になるなんて、思ってもいませんでしたけれど(笑)。

冨岡 なるほど、お母様はそんなふうに突然スイッチが入るんですね。

原田 だからこそドキュメンタリーにするのがいいのかなと思っていました。「今日、何をしていたの?」と母に話題を振ってみても、「芝居をしていたの」「今日は取材」などと答える日もあれば、口を閉ざす日もあって。その一方で、突然スイッチが入ったかのように話しだすこともありました。

冨岡 作品を拝見すると素敵なご家族だな、ということもよく伝わってきました。ヒサ子さんは、映画が完成してから実際にご覧になられたのですか。

「全編の3分の1をスマートフォンで撮りました」と話すのは、認知症の実母を撮った短編ドキュメンタリー映画『女優 原田ヒサ子』の制作、撮影、編集、監督を手がけた女優の原田美枝子さん
「全編の3分の1をスマートフォンで撮りました」

原田 はい、見ました。でも自分が映っていることはわかっても、全体としてどういう意味があるか、何を語ろうとしているのか、まではわからないんですね。残念なことですが、母がそれをわかっていたら、おそらく私はこの作品を撮ってはいない、という気もしています。

冨岡 そこは切ないところですね。

原田 母が「私ね、15の時から、女優やってるの」という言葉を発した時も、おそらく自覚はなかったのだと思います。自然に言葉が出てきた。それに対し、「どういう意味?」と母を問いただすのではなく、「なぜその言葉が浮かんできたのかな」「どんな気持ちだったのかな」ということを、私自身ずっと考えていたんです。

冨岡 作品のなかで、美枝子さんは「母のなかに『女優をやってみたかった』という思いがあったのだな、というのを感じた」と口にされていますが、同時にヒサ子さんは美枝子さんと一緒に生きていたんだ、とも感じました。

原田 私自身、「親はいてくれて当たり前」と思っていましたし、母の気持ち、本心、そして夢がどこにあったのかなんてことは想像すらしたことがなかった。でも「自分を表現したい」という思いをどこかに持っていたのだとしたら、それをすくい上げ表に出してあげることはできるのかな、と。
私は介護をほとんど経験してこなかったので、介護を通して大変な思いをしたことはあまりないんです。でも、自分にできることをしていけばいいのかな、という気持ちはあります。たとえば、震災の時に被災地に炊き出しに行くことはできなかったけれど、震災に関するドキュメンタリーのナレーションの仕事をいただいたら「心を込めて伝える」ことで少しでもお手伝いできたら、それも一つの形なのかなと。母についても同じで、彼女の思いを少しでもすくい上げることが自分にできることなのかな、と思っています。

※ 後編に続きます

原田美枝子(はらだ・みえこ)
東京都出身。1974年映画デビュー。黒澤明監督の「乱」など日本を代表する監督の作品に多数出演。98年映画「愛を乞うひと」での日本アカデミー賞最優秀主演女優賞ほか、受賞歴多数。近年の出演作に、ドラマ「透明なゆりかご」「俺の話は長い」、舞台「誤解」「MOTHERS AND SONS」など。自ら制作・撮影・編集・監督を手掛けた、短編ドキュメンタリー映画「女優 原田ヒサ子」が3/30より渋谷ユーロスペースにて公開予定。
冨岡史穂(とみおか・しほ)
なかまぁる編集長。1974年生まれ。99年朝日新聞社入社。宇都宮、長野での記者「修行」を経て、04年から主に基礎科学、医療分野を取材。朝刊連載「患者を生きる」などを担当した。気がつけばヒマラヤ山脈、なぜか炎天の離島と、体力系の取材経験もわりと多い。

女優の原田美枝子さんが、認知症の実母を撮った短編ドキュメンタリー映画『女優 原田ヒサ子』。制作、撮影、編集、監督を手がけた。

『女優 原田ヒサ子』
制作・撮影・編集・監督:原田美枝子
出演:原田ヒサ子、石橋大河、石橋エマニュエル、優河、石橋静河、Eita、荒木美智子、原田美枝子
2019年/日本/カラー/24分/DCP/5.1ch/16:9/© MiekoHarada
公式サイト: www.haradahisako.com
2020年3月28日(土)より渋谷ユーロスペースにてロードショー

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