「ヒーロー」が認知症に 夜遊びに逃避した日々 ハリー杉山と最愛の父(上)
構成/古谷ゆう子 撮影/伊ケ崎忍
テレビやラジオなど多方面で活躍するハリー杉山さん。ハツラツとした話し方が印象的ですが、耳を澄ますと時折、認知症や福祉に関連する発言が聞こえてきます。マルチリンガル、サッカー好きなどの顔のほかに、どのような一面があるのでしょうか。最愛の父親との関係は? なかまぁる編集長が聞きました。
冨岡史穂(以下、冨岡) ハリーさんのお父様はどのような方でしたか。
ハリー杉山(以下、ハリー) 僕にとって、父は永遠のヒーローですね。家族の大黒柱でありながら、“親友中の親友”でもある。父と子の関係としては、極めて密な関係でした。1964年に初めて来日し、英経済紙「フィナンシャル・タイムズ」から「タイムズ」の東京支局長になり、後に「ニューヨーク・タイムズ」の東京支局長にもなった、ジャーナリストとしては誰もが知るような存在でした。日本外国特派員協会に僕も連れて行ってもらっていて、小学生ながら日本を訪問した要人の記者会見に参加していました。
忙しい仕事ではありましたが家族を顧みずに働くようなことはなく、平日の昼間からサッカーボールを片手に遊んでくれるような父でした。そんなかっこいい背中を見てきたので、「父のように真実を伝えたい」「家族を支えたい」という思いはずっとありましたね。
冨岡 そんな愛するお父様は認知症となり、いまは介護施設で過ごされているそうですね。
ハリー 父はいま83歳で、2016年の春から介護施設にお世話になっています。12年頃から認知症の症状が出始めたのですが、パーキンソン病と診断されることもあれば、レビー小体型認知症と診断する医師もいて、いまだによくわかっていません。外出する時にガスをつけっぱなしにしてしまう、ということが起こり始めたのがちょうどその頃だったと思います。
次第に父は朝か昼かがわからなくなり、自力でトイレに行くこともできなくなっていたのですが、僕は「いったい何が起きているんだ」と理解できなかった。
「人は誰しも老いていく」ということは頭ではわかっていたのですが、自分の父がそのような状態になるということが信じられなかったですし、認めたくなかったんですね。12年から15年頃までは、基本的に父と母と僕の三人で暮らしていたのですが、僕自身、人生で一番自分を見失っていた時期でした。現実逃避をするべく夜遅くまで遊んでいたりしました。
冨岡 以前、YouTubeのチャンネル「Polygonz」で自宅の壁に穴が空くくらい壁を殴っていた、ともおっしゃっていましたね。
ハリー あと一歩で、手に掛けてしまうかもしれない、と思うほど追い込まれていました。たとえば、父はトイレに入ってもロックをしたこと自体を忘れてしまうから、トイレから出られなくなってしまう。僕も「なんでわからないの?」と言葉で追い込んでしまい、どんどんイライラが募っていった。ものすごくフラストレーションが溜まっていました。
ただ、そんな状態になっても「在宅介護で」という選択肢以外考えられなかった。その頃の僕にとって、介護施設に入る=父の息の根を止めること、だったんです。父の「自由」を奪うことであり、見捨てることだと思っていた。できることならそんなことはしたくない、と思っていました。
冨岡 それでもお父様を介護施設にお願いする、という気持ちの転換ができたのはなぜですか。
ハリー 母もしんどそうで、目に見えて老けていきました。人生に対して、なんの欲もなくなっていったように僕には見えて。ケアマネジャーの方とお話をして、実家から徒歩5分くらいのところに素晴らしい施設があることがわかり、お願いすることにしました。その頃、父はすでに「介護施設に行く」ということも理解ができない状態でしたが、そこから僕たち家族の人生は良い方向に変わっていった気がします。
介護施設にお願いできたことで、僕自身が父に対してだけでなく、母に対しても優しくなることができた。自分にも優しくなれて、結果、仕事もうまくいくようになった。それぞれに余裕ができたからこそ、父にも笑顔が戻ってきた。たまに三人で外に出ると純粋に楽しかったです。そうした時間は父にとってもいい刺激になっていたようで、外に出ることで表情が変わっていくのもわかりました。
冨岡 数年間、在宅介護をされていましたが、介護施設でプロのスキルに触れたことで得た新たな気づきはありましたか。
ハリー 体をどのように起こすか、介助の仕方や誤嚥を防ぐ食べさせ方など、必要な「知識」が自然と頭に入るようになりました。まずは視界に入り目線を合わせて安心してもらって、という介護の基本もわかっていませんでしたから。
一方で、介護施設は人手が足りていない、という現実を知ることにもなりました。1人で大勢の利用者さんをみることのプレッシャーは想像以上だと思います。日本はますます高齢化社会になっていくことは明らかなので、在宅介護を経験した者としては、もっと“インフラ”として強化していくことの必要性は強く感じています。
基本的に、社会の認知症に対する意識や教育が足りない、という思いもあります。父に認知症の症状が出始めても、「調子が悪いだけかな」と思っていましたし、もっと自分に知識があれば最初から優しく接することができたかもしれない。父ともっと話しておきたかった、という思いはいまもありますね。
※後編に続きます
- ハリー杉山(はりー・すぎやま)
- タレント。1985年東京都生まれ。ロンドン大学東洋アフリカ研究学院卒。イギリス人の父と日本人の母をもつ。幼少期からイギリスで過ごし、現在では日本語、英語、中国語、フランス語を操るマルチリンガルに。フジテレビ「ノンストップ!」、Eテレ「もっと伝わる!即レス英会話」、J-WAVE「POP OF THE WORLD」、NHK BS1「ランスマ倶楽部」などで活躍中。
- 冨岡史穂(とみおか・しほ)
- なかまぁる編集長。1974年生まれ。99年朝日新聞社入社。宇都宮、長野での記者「修行」を経て、04年から主に基礎科学、医療分野を取材。朝刊連載「患者を生きる」などを担当した。気がつけばヒマラヤ山脈、なぜか炎天の離島と、体力系の取材経験もわりと多い。