理想論には限界がある「I'm your son」で始める会話 ハリー杉山と最愛の父(下)
構成/古谷ゆう子 撮影/伊ケ崎忍
“永遠のヒーロー”である父親が認知症になり、はじめは受け入れられなかったというハリー杉山さん。「手に掛けてしまうかもしれない、と思うほど追い込まれていました」という時期から現在に至るまで、どのような心境の変化があったのでしょうか。前回に引き続き、なかまぁる編集長が問いかけます。
※前回の記事はこちら
冨岡史穂(以下、冨岡) コロナ禍になる前は、介護施設でどのようにお父様と過ごしていらっしゃいましたか。
ハリー杉山(以下、ハリー) 週に2、3回は、必ず会いに行っていました。僕がスポーツマッサージを勉強したこともあり、父が車イスで生活するようになってからは、会うたびにクリームを塗って、マッサージをして。 父は「自分がどこにいるのかわからない」ということを、楽しそうに言う日もあれば、悲しそうに語る日もありました。「ホテルに泊まっているのかな?」と言うときもあれば、「認知症になって人生が面白くなった」と言うことも。「この人は自分が認知症になっていることがわかっているんだな」と感じる瞬間もありました。
いまより耳が聴こえていた時は、よく“ぶっちゃけ話”もしていましたよ。「そろそろ結婚しようかな、と思っているのだけれどどう思う?」なんてね。コミュニケーションを取り続けることが大切だと思っていますし、頻繁に会いに行くからこそ、僕が施設のドアを開けた瞬間に「あ、息子が来た」とわかってくれる。それは僕にもちゃんと伝わっていました。
冨岡 コロナ禍になってからは、会えない日々が続いていますか。
ハリー 面会自体に制限がかかり、会えるとしても一回15分。苦しい一年でした。会いに行った時には寝ていて、帰り際にようやく目を覚ます、ということもあります。耳が聴こえなくなっているので、やりとりは基本的にボードを使って筆談しています。いつも「I'm your son(僕はあなたの息子だよ)」と書いて見せることから始めています。
自由に会いに行くことができなくなってからは、不安ばかりが募り、たとえば夜寝る前に「水分が欲しくなったら飲めているだろうか」なんて、考えてしまうこともあります。
自分が楽しい時にこそ、父親を思い出してしまう。もちろん父は全力で仕事を頑張る僕のことを応援してくれていると思うのですが、そうした姿を実際に父に見せることのできないいまの状態は、果たして彼に恩返しができていると言えるだろうか、と考えてしまうこともあります。
冨岡 お父様はユーモアにあふれ、音楽や文学に造詣が深いと伺いました。認知症になってから、お父様“らしさ”を感じる瞬間はどんな時ですか。
ハリー 会うたびに自分(ハリー)が誰と付き合っているのかを気にしていたり、どういう人がいま好きなのかを聞いてきたりするのは父らしいと思いますね。介護施設に入った頃は、利用者の方を見て「あの人はきれいだ」なんて言っていましたし、そうした父の「性格」のようなものも消えていないと。 それから若い頃に好きだった音楽を聴くと、目に見えて表情が変わりますね。大好きだったバンド、Creamの「White Room」を聴くと明らかに反応しているのがわかる。もう少し音が聴こえていた頃は、スマホとヘッドホンを用意して、エリック・クラプトンやローリング・ストーンズなどを聴いてもらいながらマッサージをしていました。
いまは基本的にボードに会話を書いて、それに対しての反応を見る感じですが、以前は英語と日本語に加え、フランス語が出てくるときもありました。若い頃に詰め込んだ知識は抜けていないんですね。母との結婚前の話や大学時代の話など、いままで聞いたことがない話もたくさん出てきました。
冨岡 いま、ハリーさんは認知症や介護といった社会的なテーマをメディアやYouTube番組などを通して積極的に発信されています。日本の芸能界は、そうしたテーマを避ける傾向がありますが、ご自身に抵抗はないですか。
ハリー まったくないですね。自分はなんのために生きているのか、なんのために仕事をしているのか。もちろん、食べていくためにという面もありますが、「何かを変えていく」とことに使命感を感じています。ジャーナリズムには時代の流れを変える力があると思っているので、そうしたところは父から大きな影響を受けているのだと思います。
認知症当事者と一緒に過ごすうえで、これだけは大切だなと思うことがあります。それは、ケアをしている人を愛して大切にすることはもちろん大事なのですが、何よりも「自分自身」を最優先にしなければいけない、ということ。自分自身をケアできない人が他人をケアすることはできない。仕事やプライベートを充実させていくことが、相手を大切にすることに繋がるのだと思います。
在宅介護をしていた日々を振り返ると、「自分のことよりも父を優先にしなければ」と思い込んでしまったことで、フラストレーションを溜めていた。理想論で頑張っていたけれど、ある日プチッと切れてしまったんですね。そのプチッと切れた瞬間に、僕は壁に穴を開けたり、父親にグラスを投げつけたりしてしまっていたのだと思います。なんとかして自分の人生を豊かにしながら、相手の人生を豊かにしていけたらいいですよね。
冨岡 改めて、「なかまぁる」読者にメッセージをお願いします。
ハリー 認知症=人生の終わりとは絶対に思わないでください。僕は認知症を通して、いままで知らなかった父の面を知ることができましたし、同時に自分のことも深く知ることができるようになった。毎日、思いもしないような出来事が起こり、人生における「柔軟性」も身についた。人間としての厚みができたと思っています。 決して、「認知症になってくれて、ありがとう」とは言えないです。ただ、僕自身もいずれ認知症になるかもしれないとは思っているので、そう考えると、これは勉強であり人生における大切な学びなんだ、とも感じています。
認知症を通して、父親との距離がさらに近づいた気がします。いままでは、父親とはいえ相手の人生に土足で踏み込んでいくようなことはできなかったけれど、認知症になると、相手のテリトリーにどんどん入っていかなければいけないこともある。それに、認知症になってからの笑顔は、誰に対しても気を遣わない“本物の笑顔”だと感じています。 認知症であることを、お互いを深く知るための「言い訳」として使って、一緒に豊かな時間を過ごせていけたらいいなと思っています。
- ハリー杉山(はりー・すぎやま)
- タレント。1985年東京都生まれ。ロンドン大学東洋アフリカ研究学院卒。イギリス人の父と日本人の母をもつ。幼少期からイギリスで過ごし、現在では日本語、英語、中国語、フランス語を操るマルチリンガルに。フジテレビ「ノンストップ!」、Eテレ「もっと伝わる!即レス英会話」、J-WAVE「POP OF THE WORLD」、NHK BS1「ランスマ倶楽部」などで活躍中。
- 冨岡史穂(とみおか・しほ)
- なかまぁる編集長。1974年生まれ。99年朝日新聞社入社。宇都宮、長野での記者「修行」を経て、04年から主に基礎科学、医療分野を取材。朝刊連載「患者を生きる」などを担当した。気がつけばヒマラヤ山脈、なぜか炎天の離島と、体力系の取材経験もわりと多い。