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編集長インタビュー

レンズを見た母の佇まいは本当に「女優」だった 原田美枝子さん後編

女優・原田美枝子さん――認知症の母を撮った短編ドキュメンタリー映画『女優 原田ヒサ子』が話題になっています。撮影を通じて、親の、子に対する気持ちのあり方、母ヒサ子さんの人となりがよくわかったそう。引き続き、なかまぁる編集長、冨岡史穂が話を進めます。
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認知症の実母を撮った短編ドキュメンタリー映画『女優 原田ヒサ子』の制作、撮影、編集、監督を手がけた女優の原田美枝子さんと「なかまぁる」冨岡史穂編集長

冨岡史穂(以下、冨岡) 『女優 原田ヒサ子』には、美枝子さんの母であるヒサ子さんを“女優”として映し出しているシーンがあります。お母様はどのように撮影に臨まれていましたか。

原田美枝子(以下、原田) 母には特に説明することなく撮影に臨んでしまったのですが、「何のために撮影をしているのか」はわからなくても、「周囲が自分のために何かをしてくれている」ということはわかっていたように思います。そこが不思議なところですね。映画の終盤で、母と私が海に行くシーンがあるのですが、風が吹き荒れる寒い日にもかかわらず、母はなぜかちゃんと耐えて風に立ち向かっていた。「自分がここで文句を言ってはいけない」ということを、なんとなく感じていたのだと思います。

冨岡 俳優として活躍されている次女の石橋静河さんがカチンコボードを持って目の前に立っている時、ヒサ子さんはどんな様子でしたか。

原田 機材を手にしたカメラマンと目が合うと、母が「よろしくね」と言うのが本当に微笑ましくて。「私のこと、ちゃんと撮ってね」と言っているようで、その佇まいがもう“女優”でしょ(笑)。理屈ではなく、ちゃんとわかっている。そこがチャーミングなところですね。『女優 原田ヒサ子』というタイトルは企画当初から決めていましたが、間違ってはいなかったな、と感じました。

冨岡 ヒサ子さんは「自分も何か表現してみたかった」という気持ちを持ちつつも、その想いを美枝子さんに託すわけではなく、一歩引いたところから実は一緒に生きていた。そのことが作品を観てよくわかりました。

夫婦でヒサ子さんの元を訪ねた、原田美枝子さんの長男でVFXアーティストの石橋大河さん。原田美枝子さんが認知症の実母を撮った短編ドキュメンタリー映画『女優 原田ヒサ子』の録音や作品の予告編も担当している (c) MiekoHarada
夫婦でヒサ子さんの元を訪ねた、原田美枝子さんの長男でVFXアーティストの石橋大河さん。録音や作品の予告編も担当している (c) MiekoHarada

原田 母は「私も女優をやりたかった」なんて、口にしたことはなかった。だからこそ驚きましたし、その思いをなんとかすくい上げたいと思いました。母は10代の頃の戦争体験もよく私に話してくれました。「工場で零戦、造ってたの」と。でも母はそれに対し、恨み辛みを言うようなことは一切なかったんです。

映画を通して母の人生を伝えていけたら、と思いました。そうすれば、母は無名だけれども、昭和を支えてきた、あるいは私たちを支えているたくさんの親たちが生きてきた証を伝えていくことができる。彼らがいたからこそ、いま私たちはここに立つことができている、というところまで繋げられたらいいですね。
「認知症」と一言で括らず一人一人の姿を見ていくと、みな自分の人生をしっかりと生きてきたことがわかる。体だけ見ると“できないこと”ばかりが気になってしまいますが、内面を丁寧に見つめると、“心”に残っていることが見えてくるんです。

冨岡 「認知症は家族に負担をかけてしまう」というイメージが先行すると、どうしても「自分は認知症になりたくない」という気持ちが強くなってしまいます。でも、家族を含めそれぞれができることをやっていけばいいのかもしれませんね。

原田 認知症は「病気」と括れば病気なのかもしれませんが、果たしてそうなのかな?と、今回、母の様子を見て感じました。母に認知症の症状が出始め、クレジットカードの暗唱番号がわからなくなった頃は、自分の体の中で迷子になっているような印象を受けました。「なぜ? どうして?」と心の部分の理解が追いついていないんですね。
脳の血流が悪くなっているとして、たとえば、いつも通っていたお店があり、久しぶりにそこに行ってみようと思っても“血管のルート”が工事をしていたり、狭くなったりしていて、どうしてもそこに辿り着くことができない、そんな感じなのだと思います。心と体の弱っていくスピードが違うことによって起きることなのかな、と感じました。

冨岡 美枝子さんは、映画をつくることでお母様の姿を映し出されましたが、これは様々な立場の人に置き換えて考えることができるとも考えていらっしゃるそうですね。

「母の着物は、母が事あるごとに着ていた一番のお気に入りの色留袖です」と話すのは、認知症の実母を撮った短編ドキュメンタリー映画『女優 原田ヒサ子』の制作、撮影、編集、監督を手がけた女優の原田美枝子さん
「母の着物は、母が事あるごとに着ていた一番のお気に入りの色留袖です」

原田 どんな仕事であっても、子どもが頑張っていることに対し、親は気持ちを一つにして見ているんだと今回よくわかりました。たとえば、子どもの習い事をサポートするために車で送迎をしたり、試合に応援に行ったりする。子どもが受験生なら、叱咤激励し、お弁当をつくり、受かった時は喜び、落ちた時は一緒に悲しむ。
この映画をつくろうと思わなければ、私自身そこまで考えが至らなかったように思います。
母が「私ね、15の時から、女優やってるの」という言葉を口にしなければ、母の顔すらちゃんと見ることもなかったかもしれない。作品のなかでは母の若い頃の写真も使用しましたが、その写真と初めて正面から向き合ったことで、母は純情で、意志が強く、凛と生きてきた人だということがわかった。
私が女優だから、ではなく、誰にとっても置き換えて考えられることなのではないか、と感じています。

前編から読む

原田美枝子(はらだ・みえこ)
東京都出身。1974年映画デビュー。黒澤明監督の「乱」など日本を代表する監督の作品に多数出演。98年映画「愛を乞うひと」での日本アカデミー賞最優秀主演女優賞ほか、受賞歴多数。近年の出演作に、ドラマ「透明なゆりかご」「俺の話は長い」、舞台「誤解」「MOTHERS AND SONS」など。自ら制作・撮影・編集・監督を手掛けた、短編ドキュメンタリー映画「女優 原田ヒサ子」が3/30より渋谷ユーロスペースにて公開予定。
冨岡史穂(とみおか・しほ)
なかまぁる編集長。1974年生まれ。99年朝日新聞社入社。宇都宮、長野での記者「修行」を経て、04年から主に基礎科学、医療分野を取材。朝刊連載「患者を生きる」などを担当した。気がつけばヒマラヤ山脈、なぜか炎天の離島と、体力系の取材経験もわりと多い。

女優の原田美枝子さんが、認知症の実母を撮った短編ドキュメンタリー映画『女優 原田ヒサ子』。制作、撮影、編集、監督を手がけた。

『女優 原田ヒサ子』
制作・撮影・編集・監督:原田美枝子
出演:原田ヒサ子、石橋大河、石橋エマニュエル、優河、石橋静河、Eita、荒木美智子、原田美枝子
2019年/日本/カラー/24分/DCP/5.1ch/16:9/© MiekoHarada
公式サイト: www.haradahisako.com
2020年3月30日(月)より渋谷ユーロスペースにてロードショー

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