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今日は晴天、ぼけ日和

お手本みたいな介護はできないけれど 父と過ごしてきたのは僕だから

《介護福祉士でイラストレーターの、高橋恵子さんの絵とことば。じんわり、あなたの心を温めます。》

タンスにしまわれた汚れたタオル

またか——。

タンスの奥から出てきたのは、
食べこぼしでベトベトになったタオルやティッシュ。
最近、認知症が進んだ父は、
自分で汚したものをタンスに隠すようになった。

「気にしなくていいよ」って、何度も言ってるのに。

父の行動は何も変わらない。

涙を流す息子

「認知症がある人の問題となる行動は、家族や環境に原因がある。」
最近読んだ記事に、そう書いてあった。

父の行動が変わらないのは、僕のせいなのだろうか?
僕は困った顔が隠しきれてないのかな?

僕が父を悲しい気持ちにさせているのかな?

おにぎりをほおばる父を笑顔で見守る息子

それでも——。

お手本みたいな介護はできなくても、
父といちばん一緒に過ごしてきたのは、この僕だ。

「うまく食べられないと、しんどいよね」

そう言って一緒に困ってみたら、
父の瞳に安堵(あんど)のなみだが光った。

これでいい。
僕の介護は、これで満点だ。

認知症がある人の介護をしていると、工夫しても本人の状況が改善されないことがあります。

そんなとき、介護している家族が「自分に問題があるのでは?」と、
胸を痛めてしまうことも少なくありません。

その思いが強すぎると、他人に相談するのが怖くなってしまうことも。

たしかに、認知症の人の過ごしやすさは、周りの人や環境の影響を大きく受けます。
しかし、家族がすべてを背負い込むのは無理があります。

どんなに努力しても、改善されない状態がある——。

そうしたときは、むしろ、「改善しなくてもいい」とお互いが受け入れることが、
本人と家族にとって幸せな選択肢になることもあるのではないでしょうか。

大事なのは、「誰にも責任はないんだよ。どうにか、うまくいけばいいね」という視点を持つこと。

そして、認知症があるご本人に無理をさせすぎないこと。

そんな気持ちを持ったうえで、
第三者の目線を取り入れながら、肩の力を抜くことが、
終わりが見えない介護には必要だと思います。

せめて気持ちだけは、長距離走ではなく、長~いさんぽ。
そんな軽やかさで大切な人との時間を過ごしたいものです。

《高橋恵子さんの体験をもとにした作品ですが、個人情報への配慮から、登場人物の名前などは変えてあります。》

前回の作品を見る

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