湯気の上がる浴槽横に荷物をすべて持ち込む 僕にとっての自然な理由
《介護福祉士でイラストレーターの、高橋恵子さんの絵とことば。じんわり、あなたの心を温めます。》
認知症がある僕は、
この施設で毎回入浴しているらしい。
さっきそんなふうに職員さんから
丁寧に説明されたけど、
どうしても今日が初めての利用に感じてしまう。
ここは僕にとって、
本当に、安全なところなのかな?
「山田さん、そろそろ脱いで温まりましょう。
いつものように私がお手伝いしますから!」
なかなか服を脱ぎきらない僕に、
職員さんは明るく声をかけてくれる。
けれど、こんなよく知らない場所で、
大切な持ち物を置きっぱなしにするなんて。
とても危ない気がして、
入浴をためらってしまう。
とはいえ、そう正直に伝えるのも、
職員さんに失礼な気がするし…。
それならば、と僕は、
もうもうと湯気が立ち込める浴室に、
脱衣かごを持って入った。
こうすれば入浴中も、
持ち物から目を離さずにいられるから。
あわてて職員さんが、
脱衣かごがぬれないように、台の上に置いてくれた。
はたから見たら、僕のしたことは、
変わった行動に見えるかもしれないけど、
僕にとっては、自然な理由があるんだよ。
脱衣場から湯気もうもうの浴室に、
自分の荷物をすべて持ちこもうとする。
それは一見、認知症がある人の問題行動に見えるかもしれませんが、
その行動の理由を知れば、合点がいくでしょう。
けれど、ご本人の切実なその理由を知ったとしても、
「気持ちはわかるけれども、
荷物がぬれるかもしれないし、
脱いだ服は脱衣場に置くのが自然だから、やめてほしい」
と、なだめようとする心が誰にだってつい働いてしまいがちです。
しかしそれこそが、介護をするときに思いの外、
枷(かせ)になり、私もそのはざまで悩んできました。
「食事は箸でとらなければならない」
「家から外に出るときは、必ず玄関を使うべし」
「衣服はタンスにしまうのが当然」
このように私たちは、普段の生活に
「こうあるべきだ」という様式を、こと細かに作っています。
けれど、認知症のある人との生活のなかでは、
今までの在り方をゆるめるような、
新しい生活様式に触れる機会がたびたび、訪れます。
食事が手づかみになったこともあったし、
窓が玄関になったこともあったし、
こたつが衣服置き場になったこともありました。
介助者が悩むべきは、
どうしたら、ご本人、そして共にいる人にとって、
心地いい生活を作っていけるか。
そのとき、これまでにできたこだわりが邪魔をしないように、
お互いにやわらかな頭で、
ときには新しいやり方を選びたいものです。
《高橋恵子さんの体験をもとにした作品ですが、個人情報への配慮から、登場人物の名前などは変えてあります。》