まるで幼子のようになった親を前に、私の中でにゅるりと顔を出したもの
《介護福祉士でイラストレーターの、高橋恵子さんの絵とことば。じんわり、あなたの心を温めます。》
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厳格だったあなたがこんな、
幼子のような拗ねかたをするなんて。
あなたの介護がはじまって、
初めてこの表情をみたとき、
私のなかで、
にゅるり、となにかが顔をだした。
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それは私の奥底で息をひそめていた、
過去のあなたへのわだかまり。
あなたの排泄(はいせつ)介助に、
私が突発的に声を荒らげがちになるのは、
そのたびにいつかの傷が、
暴れだしそうになるから。

それでも、
あなたと過ごす最期の日々は、
私自身をゆっくりと変えていく。
いつかの傷は、
昨日より今日、今日より明日、
薄紙がはがれていくように、
やさしく光を集めて。
介護する人とされる人のあいだにある「わだかまり」こそ、
介護をつまずかせる要因になることは、
介護経験者であれば体感として、うなずいていただけるのではないでしょうか。
例えば、介護する人がどんなに
「介助のさいには、本人の意向を中心に」と
正論を聞かされても、
もし、強いわだかまりがあれば、
強い拒否感が湧いて当然です。
それは恥ずべきことではなく、
あくまでも人として自然な反応。
わだかまりがある相手の、
心の奥底からの肉声や、
弱る心身に触れていくとき、
穏やかでいられるほど、人は容易にできていません。
そして、そこにこそ家族介護の難しさがあるのです。
だからむしろ、そんな状況でありながらも、
介護が行われているひたむきな姿にこそ、
目を向けるべき可能性があると思わずにはいられません。
どんなに感情的な澱に、
はばまれたように感じられる介護であっても、
必ずや、昨日より今日、
その家々における、収まりどころが見えてくるものなのですから。
《高橋恵子さんの体験をもとにした作品ですが、個人情報への配慮から、登場人物の名前などは変えてあります。》
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