認知症とともにあるウェブメディア

今日は晴天、ぼけ日和

人の手を借りなければ暮らせない私だからこそ 大切なひとりの幸せ時間

《介護福祉士でイラストレーターの、高橋恵子さんの絵とことば。じんわり、あなたの心を温めます。》

池を見るひと

私は20年近く毎日、
近所の公園まで歩いている。

池で光る、魚の背を見ては、
おだやかな幸せをかみしめる。

こうしていると、
身を粉にして働いた日々が、夢のようだ。

そしてどうやら私の認知症は、
だいぶ進んでいるらしい。

水面に映るひと

今の私は、日常生活のほとんどに、
人の手を借りなければならない。

それなのに、家族は、
私がひとりで歩くのをとめない。

GPSを持たせているからって、気が気じゃないはずだ。
本当は、そうとうの決意をしたんだろう。

空に手をあわせるひと
 

でも私には、認知症になる前と変わらない、
ひとりになれるこの時間が、
どうしても必要だった。

誰からもひとりになって、
私は空に手をあわせる。

ここまでやってきた道を振り返りながら、

認知症という、しめくくりの時に。

今回は、私の恩人の日常を題材に制作しました。

とはいえ、どなたにも
「認知症が進行しても、積極的にひとりで外を歩きましょう!」と
すすめるものではありません。
ご本人とご家族の、それぞれの事情もあります。


私は日々、認知症が進行した人たちと歩いているのですが、

その方々が「ひとりで歩く」となると途端に不安が顔をだして、
あれやこれや危険を先取りして見つけてしまいます。

なぜなら認知症が進行された方がひとり歩きをするためには、
その土地の環境が左右することも大きいからです。

そしてそれを、どの人にも具体的に実現するためには?と考えたとき、
それぞれに整えなければならないものが山ほど見えて、
やはり無理かもしれないと、ふりだしに戻ってしまうのです。


それでも、認知症があるご本人には、

時間もからだも自由にできる、
ひとりきりの時間こそ必要ではないかと、

恩人のやわらかな様子を思うたびに、感じています。


まずは、

自分が認知症になった時にどうしたいか、
ひとりきりの自由な時間さえなくして、幸せといえるのか。

自分自身の内側と対話して、個々のまなざしから、
「無理かもしれない」という思いからの変容の手がかりを
探していく必要がある気がしてなりません。

 

 

《高橋恵子さんの体験をもとにした作品ですが、個人情報への配慮から、登場人物の名前などは変えてあります。》

前回の作品を見る

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