認知症とともにあるウェブメディア

今日は晴天、ぼけ日和

少し動作が止まっても「できなくなった」は早とちり 残る能力を引き出すには

《介護福祉士でイラストレーターの、高橋恵子さんの絵とことば。じんわり、あなたの心を温めます。》

ひげをそる息子

僕と親父(おやじ)は毎朝一緒に、洗面台の前にならぶ。

認知症がある親父は、電気シェーバーを渡しても、
ひげを剃(そ)ろうとしない。

でも僕が隣で剃り始めると、
つられたように一緒に剃り始めるのだ。

けれど最近は僕が剃り始めても、ぼんやりとしていることが増えた。
電気シェーバーの電源を、入れたり切ったりしているだけ。

親父はもう、電気シェーバーも使えなくなっちゃったのかな?

父親のひげをそり手伝う息子

親父が、電気シェーバーの電源を入れたのを見計らって、
僕は親父の手に自分の手を添えた。

そしてそのままそっと、
親父のひげの伸びた肌に、小さくうなる刃を誘導した。

すると親父はいつものように、ひげをひとりで剃り始めた。

できなくなったと決めつけなくて、よかった!

並んでひげをそる親子

これからも親父はできないことが、
少しずつ増えていゆくだろう。

でも、できるだけゆっくり、
親父の時計が進みますように。

僕によく似た顔が、
鏡のなかで笑うのを見ながら、そう願った。

「認知症がだいぶ進んで、家族の顔も見分けがつかなくなった母なのに、
 台所の包丁さばきは、いまだに見事なの!」

そんな話をどなたでも聞いたことがあるのではないでしょうか?

つまり、認知症が進んでも体が覚えた動きや能力は、
比較的、残っているものなのです。

だから例えば、電気シェーバーを持って立ちつくす認知症がある人を前にした時、

「この人は、ひとりでひげも剃れなくなってしまったのか」と決めつけて、

ひげ剃りのすべてを手伝ってしまうのは、明らかに早とちりです。

電気シェーバーのスイッチが見えづらい、
なんの道具か判断がつかない、など、

本人が困っている理由を介護する人と共有できて、解決できればいいのですが、

実際にはわからない時も多いもの。

そんな時は、ご本人の動作の一部を介助して、
次の動作へ促してあげる方法が有益です。

介護者が、動作の起点やあいだをちょっとサポートすれば、

衣服の脱ぎ着や入浴時に体を洗う時にも、止まってしまった動きを、
自分から自然に再開できることはよくあることです。


「ご本人のできることを、介護者が奪わない」

それは、私が訪問介護ヘルパーをしている時に耳にたこができるほど、
先輩ヘルパーに言われてきた、鉄則です。

それもそのはず、体に残るほど培われてきた動作や能力は、
その人のかけがえのない歴史であり、財産です。

最後まで、大切にしていきたいものです。

 

《高橋恵子さんの体験をもとにした作品ですが、個人情報への配慮から、登場人物の名前などは変えてあります。》

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