認知症の新薬「レカネマブ」の開発者らとエール交換 力強い援軍も
“侍”として米国社会に挑む心意気で2001年に渡米し、バイオテック(製薬)企業で新薬開発に努めてきた木下大成さん(55)。カリフォルニア州のシリコンバレーで妻、息子との生活を過ごしてきましたが、数年前から少しずつ見られていた記憶や理解力の低下が顕著になり、2022年10月、若年性アルツハイマー型認知症と診断されました。認知症とともにある人生を歩み始めた木下さんが、日々の出来事をつづります。今回は、この夏、日本に一時帰国した際に製薬企業の研究者のみなさんと座談会をしたときのお話です。
7月下旬、一時帰国中に、茨城県つくば市にある、製薬企業・エーザイの筑波研究所へ向かいました。つくばエクスプレスで最寄り駅の研究学園までは、東京の秋葉原から特急列車で50分の距離。懐かしい田園風景を見ながらハイスピードで走る様子は、電車好きの私にはたまりませんでした。
今回の訪問は、エーザイが企業理念に基づいて実施しているhhc(ヒューマンヘルスケア)イベントの一環として実現したものです。最近、アルツハイマー病の新薬として「レカネマブ」が注目されていますが、その開発担当者を含めた研究者のみなさんとの座談会に参加させていただくことになったのです。この試みに対して、研究所を訪れることも、当事者としてパブリックの 場所に出て行くことも、久しぶりだったことから、何とも言えない好奇心と 少しの 不安がありました。
- ※認知症の新薬「レカネマブ」については、こちらの記事「国内でも承認 アルツハイマー病の新薬『レカネマブ』を徹底解説」をご参照ください。
研究所に着き、まずは、この機会のセットアップ(設定)にご尽力くださったエーザイの皆さんにご挨拶し、会議室に入ったところ、会場には 30人程度の研究職の皆さんが私たちを待ってくれていました 。あとから伺ったところ、オンラインも含めると約 90人の参加があったそうです。ありがたいことですが、この数字を聞いたら緊張してしまったと思うので、事前に聞かなくて良かったです。
私自身も、かつて がん研究に特化した製薬会社で 働いていました。その時に、 会社の主催で 行われたイベントで、 自社の抗がん剤を 実際に 使っている 患者の 皆さんと 交流したことが ありました。しかし、今の私の 境遇は、研究者の皆さんの反対側で、向かい合うように 座っているという厳然とした事実に、苦笑いするしかありませんでした。
はじめに、わたしの自己紹介のプレゼンテーションをさせてもらいました。もともと プレゼンテーションは 現役時代に 多数こなしていたので あまり緊張していなかったのですが、 かつての 自分のプレゼンテーション のようにはいかず、不完全燃焼でとても悔しく感じました。 その後 は、 エーザイの方々 によるアルツハイマー病に対する治療薬の現状や環境などについてお話を伺い、最後にフリーディスカッションの時間がありました。
出席してくださった研究者の中には、涙を浮かべながら私たちの経験や思いを 聞いてくださっていた方も見られ、皆さんと心が通いあったように感じました。
製薬会社やバイオテック企業は、しばしば 病気に苦しまされている患者とその家族に高価な 薬を 売り付けると 悪者扱いされることが ありますが、 実際にそこで働く人たちは、 心から患者や 家族の 苦しみを 取り除きたいと、まっすぐな信念を持って仕事に励んでいます。 その意味で、 患者である私と、血気盛んで有能な研究者の 皆さんと間近で力強い エールを交わしたことは、 私たち家族にとって大きな節目となりました。とりわけ、ここに至るまでに ひとりで数多くの苦しみを 背負ってきた 妻にとっては、 この援軍の登場は、感慨深かったと思います。
奇(く)しくも、数十年ぶりとなる認知症の有効な治療薬とも言われるレカネマブが今年、承認されました。この病気は放っておけば進行し続けていくとされているので 、日常生活に大きな困難が見られないレベルで生活できる時間を少しでも長引かせられるなら、私自身や家族にとって重要な意味があります。
残念ながら、この病気になったことで、私の寿命が短くなった可能性もあります。しかし、この限られた時間を私が有意義に使い、医療の発展や社会になにかしら役立つことが出来たとしたら、安心して次の世代の人たちにバトンを渡せるように思います。私は、そうしている自分を見たい。今、そう書いているだけで、私の体の中で新しい勇気がほとばしってくるのを感じています。
それでは、まず今日も医者の先生からキツく言われている運動に出かけてきます。行ってきます!
エーザイさんのHPでも紹介いただきました⇒https://www.eisai.co.jp/hhc/activity/079.html