わが家のマルチプレイヤー、ヘルパーのサンドラさん

“侍”として米国社会に挑む心意気で2001年に渡米し、バイオテック(製薬)企業で新薬開発に努めてきた木下大成さん(56)。カリフォルニア州のシリコンバレーで妻、息子との生活を過ごしてきましたが、数年前から少しずつ見られていた記憶や理解力の低下が顕著になり、2022年10月、若年性アルツハイマー型認知症と診断されました。認知症とともにある人生を歩み始めた木下さんが、日々の出来事をつづります。今回は、木下さんのヘルパーさんのお話です。
私たちの家には、1年前から日本で言う介護ヘルパーのサンドラさんが週に2〜3回ほど自宅に来て、食事の準備や病院の送迎、買い物や散歩などを手伝ってくれています。料理上手なサンドラさんにとっては、どれもこれも朝飯前らしく、数分の時間が残っていれば、冷蔵庫を覗いてもう一品の付け合わせを加えたりします。献立決めから始まる日々の食事の準備にかかる妻の労苦が減るだけでなく、ビジュアルも味も違うサンドラさんの料理に目を細めて、家族で毎回のように舌鼓を打っています。

米国でコンパニオンと呼ばれるこの方たちは、自立した生活を送ることができるシニアや障害のある人の(医療ケア以外の)日常生活のアシストをする業務を担当しています。私の場合は、英語の当事者講演会の練習に付き合ってもらうこともありました。米国では介護は基本的に全額自己負担になりますので、その分、依頼内容もフレキシブルです。コンパニオン業務に加え、妻が車で息子を学校まで送り迎えに行けない時に代行してくれたり、息子に料理を教えてくれたり、また家族旅行の時には、飼い猫たちの面倒までみてくれる私たち家族を支えるマルチプレイヤーです。
生まれも育ちもサンフランシスコ・ベイエリアで、アイルランドにルーツを持つ陽気なアメリカ人の彼女は私と同年代で、80年代〜90年代は、私同様、ビルボードやキャッシュボックスなどのアメリカンヒットチャートを追いかけていたそうです。最初は、事前にその日ごとの話のタネを一つ二つ準備していましたが、慣れてきた今では、気ままに好きな音楽や映画の他にも国内外の行ってみたい場所など、印象に残っている国内外や旅行先などを思い返して、できる限り自分から話を始めるようにしています。

実は、わたし自身もサンドラさんと出会う前は「今の時点でヘルパーが必要なのかな?」と少し抵抗がありました。しかし、地元のコーヒーショップや、地域イベントの情報通であるサンドラさんが、色々な場所に連れだしてくれるので、今は単純に楽しんでいます。加えて、サンドラさんのような気さくなプロフェッショナルが介在し、家族も知らない人たちに出会ったり新しい経験をし、そこで見聞きした小話を家族に話す機会が増えることで、しばらく失っていた好奇心が戻ってくるようにも感じています。そして、家族の枠の外の人と別の社会を持つことは、私自身を保つためにも大切だと思います。
外部の力を利用することが潤滑油の役割を果たし、家族関係がよりスムーズに動くこともあります。それにより、今まで家族の前で難しい顔をして腕組みしていたような人も、笑顔でハグに変わるかもしれません。まずは私自身が“ひとり臨床試験”をやって、それを検証してみようと思っています。

