困る行動は病気のせい?必要なのは薬より「時」 認知症と生きるには16
執筆/松本一生、イラスト/ふくいのりこ
大阪で「ものわすれクリニック」を営む松本一生さんのコラム「認知症と生きるには」。朝日新聞の医療サイト「アピタル」の人気連載を、なかまぁるでもご紹介します。「先生、どうすれば私は認知症にならずにすみますか」。クリニックを訪れる人からよく聞かれる質問に、松本先生はどう答えているのでしょうか。(前回はこちら)
前回は認知症のBPSDの心理・精神面について皆さんと一緒に考えました。この精神面の症状と並んで認知症介護の課題となるのが行動の障がいです。ひと昔前には、あてどなく歩き回ったり、暴力的な言動をしたりする行動は、「問題行動」と呼ばれていました。しかし、現在では認知症という病気のために出ている症状であることがわかっています。問題行動という表現には、「その人自身が悪い」というイメージがつきまといます。しかし、あくまでも病気からくる症状ととらえて、「行動障がい」と表現するようになりました。
臨床の現場でもよくあることですが、在宅ケアが限界となって施設に入所した直後に、環境の変化などの影響も加わって一時的に行動障がいが表面化することがあります。そんな時に適切なケアを受けることで、最初は混乱していた人が少しずつその場になじみ、やがて安定していけば、外来担当の医師から施設の医師にバトンタッチすることができます。
悪意の人はいないのに…… 林幸一さんの場合
林幸一さん(82歳男性 アルツハイマー型認知症 中等度)は自宅近くのグループホームに入居しました。特別養護老人ホーム(介護老人福祉施設)や老人保健施設とは異なりますが、9人程度のユニットで生活する雰囲気は家庭的です。しっかりとかかわってくれるスタッフがいる場合には、とても穏やかになります。
しかし、林さんの場合、入居して4日目の夕方から混乱が始まりました。BPSDとして、最初は不安とそわそわ感が出ました。その後、夕刻に不穏になった林さんを介護職員がなだめようとしました。
その介護職の彼は、まだ経験が浅く、介護についての勉強をし始めたところでした。本当に残念なことに、その介護職の彼は、林さんをなだめようとして、後ろから両手で体を包み込み、「林さん、大丈夫です。私たちがいるから安心してください」と、まるで押さえつけるような体勢をとってしまいました。林さんはとっさにその手を払いのけて「何をするんだ」と大声をあげて介護職を突き飛ばしました。
介護職の彼は、仰向けに倒れて後頭部を打ち出血しました。その報告を受けた施設長も慌ててしまい、「これは問題行動だ。林さんには薬を使っておとなくなってもらわないと、ここでは対処できない」と言い出しました。
さあ、困りましたね。ここには誰一人として悪意の人はいません。介護職として経験が浅かったため適切な行動はできませんでしたが、それでも好意を持って「大丈夫」と言ってあげたかった介護職の彼。現場の責任者として介護職が傷つくことがないように考えた施設長(ちょっと慌てすぎですが)。そして、結果的にはけがをさせてしまった林さんにも、そうなってしまった理由があります。
林さんになぜ、このようなBPSDが出たのか、もう読者のみなさんはおわかりだと思います。
びっくりした林さんは認知症の影響で、とっさに適切な行動ができませんでした。あの時も恐怖から逃れようとして、気がついたら相手を突き飛ばしてしまったのです、手加減もせずに。
でも、そのような行為は「その時」一度だけでした。その後、数日もたつと林さんは次第に穏やかになりグループホームになじみ始めました。今では介護職の彼と談笑する場面が増えています。
安易な投薬や叱責でない対応を
ここに心理面だけでなく行動面の障がいとしてのBPSDへの対応の難しさがあります。グループホームから報告を受けた私の役割としてはどんなことがあるでしょうか。もちろん、介護職員に再び被害が及ばないようにすることも大切です。おとなしくなってもらうために向精神薬を安易に処方しますか。とんでもありません。そんなことをすれば薬による抑制、人権侵害だと私は思います。
では、介護職を叱りますか。「しっかりと介護しなさい」と。
これもしません。誰でも仕事に就いた時には未熟なもの。経験を積みながら介護職として成長していくには、教育の時間が必要です。この経験を生かして彼がより良い介護を学ぶことが大切なのです。林さんも家族も、介護職として彼が成長することが、林さんの生活の希望であると信じてくれるはずです。
このような中等度の混乱はいつまでも続くものではありません。私の手元のカルテをひもとくと、認知症の介護がはじまって3年目ぐらいがBPSDのピークとなり、その後は混乱の回数が減ってくることが多いです。介護をしている家族や施設の職員の皆さんには、「今、この時」を乗り越えれば、やがて状態が安定する時期が来ることをお伝えするようにしています。
行動障がいは3年過ぎると回数が減る傾向に
診療所にこれまで来院した4000名弱の認知症の人のカルテから無作為に選んだ5名の経過を見たのが下に示す図です。縦線には月平均のBPSDの数、横線には認知症の介護を始めてからの年数を記しています。必ずしも同一の経過ではありませんが、おおよその経過を見ると3年あたりが最もBPSDが激しく、それ以降は回数が減ってくる傾向があります。たとえばもっとも手前の人は介護が3年を迎えるころには月平均で38回のBPSDがありましたが、5年を迎えるころには月に5回程度のBPSDに減ってきたことがわかります。
この経過は必ずしも脳が変化(萎縮)するためにBPSDが減ってくるのではありません。本人が安定してくると、BPSDが減り、混乱は少なくなります。ですから、先に見える光を見失わないようにすることが大切です。今、本人のBPSDに苦しんでいる介護者のみなさん、明かりが見える日は必ずあります。その時は必ず来ると信じてください。
※このコラムは2017年11月23日にアピタルに初出掲載されました。