Pickleball はじめました
“侍”として米国社会に挑む心意気で2001年に渡米し、バイオテック(製薬)企業で新薬開発に努めてきた木下大成さん(56)。カリフォルニア州のシリコンバレーで妻、息子との生活を過ごしてきましたが、数年前から少しずつ見られていた記憶や理解力の低下が顕著になり、2022年10月、若年性アルツハイマー型認知症と診断されました。認知症とともにある人生を歩み始めた木下さんが、日々の出来事をつづります。今回は、木下さん一家が最近熱を上げているピックルボールについてのお話です。
最近、私たち家族はピックルボールに熱をあげています。ピックルボールはパドルと呼ばれるラケットと軽いプラスチックボールを打ち合うテニスと卓球を掛け合わせたようなスポーツで、米国ではすでに幅広い年齢層で気軽に楽しまれています。家族で運動不足の私たちですが、無理をしなければ腰痛持ちの私でも無理なくプレーできます。
私の体調が変化し休職を始めたばかりの頃、近所の公民館のようなところでグループレッスンに参加したことがありました。しかし昔テニスをかじった経験がある私には、テニスとは少し異なるルールや戦略の違いが頭から速やかに消えてしまうので、ゲームを何度も中断させてしまって早々に辞めてしまった苦い経験がありました。
しかし今回のコーチは決してそのような事を責め立てることはなく、代わりに「今のは惜しかったぞ」と、何度失敗しても忍耐強く鼓舞し続けます。最初は、私のために大げさに褒めているのだと思いましたが、本当の目論見は失敗に伴う負の記憶を速やかにリセットして、もう一度プレーに集中させるという意図があったようです。そしてその意図に気付いた時、私は初めてピックルボールの面白みや、スイングのコツのようなものを掴み始めたような気がして、とても満足していました。
思えば遠い昔、学校の授業が終わるや否や、毎日のように路地裏野球や道端サッカーで暗くなるまで走り回っていた自分がいました。それは社会人になってからも同じで、体調に変化が出始めるまで続けていた草野球で走りまわっていた頃の、体を動かす楽しさを思い出していました。最近では少々調子に乗って、ひょっとしたら地域のリーグ戦にも参加できるかもしれないと意気込んでいます。
私は以前から、どんな時でもできないと思うからできなくなることがあるということと、できると信じたがゆえにできることがあるということをいつも自分自身に言い聞かせてきました。とは言え、今度の挑戦はかなりの強敵であることには間違いありません。ですが、これからも決してひるむことなく、凛として進んでいこうと思います。そしていつの日か、まだ見ぬその先にあるかもしれない見果てぬ勝利を、この病気にかかわるすべての人たちと分かち合いたいと本気で思っています。
そして最後に、皆さまにご報告があります。
私たち家族は、長きに渡った米国カリフォルニアでの生活を引き上げて、東京に舞い戻ってきました。さぞかし浦島太郎のような気がすると思いきや、何回か家族で一時帰国したことがあったからか、むやみにノスタルジックにはなりませんでした。むしろこれからの人生をよりエキサイティングにするには、どうしたらいいか考え始めています。皆さま、今後ともどうぞよろしくお願いします。