もめない介護

「胃ろうってどう思う?」延命治療についてド直球に聞いた もめない介護96

コスガ聡一 撮影

「延命治療は希望しない」など終末期の医療について、事前に話し合う「アドバンス・ケア・プランニング」(ACP)。厚生労働省が「人生会議」と愛称をつけ、その普及のために作成したポスターが“炎上”したのは2019年11月のこと。その後、コロナ禍で生活が大きく変わるなか、お互いが元気なうちに「万が一」について話し合っておいたほうがいいという思いは、切実なものになりつつあります。

しかし、いざ親子で突っ込んだ話をしようと思うと、なかなかきっかけがつかめないものです。ましてや親が「介護が必要な状態」になると、気まずい以前に目の前のことに対処するのが精いっぱいで、なかなかそんな話をする余裕がありません。

我が家もまさに、その状態。70代にさしかかったばかりの自分の親には「お墓はどこに入りたいの?」と聞けても、80代半ばを過ぎた義父母にはなんとなく質問するのがはばかられます。入院時はもちろん、義父の入院後にリハビリ目的で入所した介護老人保健施設(老健)でも、介護付き有料老人ホームでも、「延命治療の希望の有無」に関する書類にサインする機会がありました。

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そのたびに「ホントはきちんとご本人と話し合ったほうがいいんだよな……」と思いながら、“何はともあれ、手続き優先”で記入。「あとから内容変更もできますから」と説明され、そのうち話そうと先送りを重ねていました。

“この選択でよかったのか”と悩まないために

まったく話し合わないまま決断を迫られる日が来たらきっと動転するし、“この選択でよかったのか”と悩むことになる。そんな予感はありました。できることなら、事前に話し合っておきたい。でも、どうやって……? 答えが出ないまま時間が過ぎていきましたが、思いがけない形でチャンスが巡ってきました。義父母が親しくしていた伯父(義母の姉の夫)が、亡くなったのです。晩年の伯父は、入院をきっかけに胃ろうをつくり介護施設で暮らしていたと聞いています。

葬儀に出席するかどうかを尋ねた流れで、思い切って切り出してみることにしました。

「ねえねえ、おとうさんとおかあさん、“胃ろう”ってどう思う?」

ド直球の質問にしたのには理由があります。このとき、義父母はともに要介護3。対面でのコミュニケーションはわりとスムーズでしたが、それでも日によって調子のいい・悪いはあり、ゆるやかではあったものの、認知症の進行を感じる瞬間も増えていました。ごちゃごちゃと前フリをするほど、話は通じづらくなる。だったら思い切ってシンプルに、わかりやすく!

「残る者に任せます」

義父母は「胃ろう……?」と、けげんそうにしていましたが、「おなかにね、チューブをつないで、栄養を送るの。伯父さんがね、やってたやつ!」と伝えると、“ああ、あれね”と納得顔に。どこまで分かっているかわかりませんが、続けて説明してみます。

「病気とか、いろんな理由で口から食事をとれなくなったときに使うものなんだけど、人によってはね、“使いたくありません”って断る人もいるの」

義父が「食事ができないのはつまらないからな」とうなずくと、すかさず義母が「つまらないわよねえ」とあいづちを打ちます。

「でも、胃ろうが必要になる場面って、ご本人は意識がないこともあって。だから、おふたりの気持ちを聞いておきたくて……」
「うーん、私は残る者に任せます」
「え?」
「うん。任せます」

初めての“人生会議”を終えて

義父は即答。“残る者”が誰を指しているのかはイマイチはっきりしないけど、とにかく「任せる」のだそう。一方、義母の回答はこうでした。

「“胃ろう”っていうのはよくわからないけど、知らないうちに勝手にやられちゃうのはいやよねえ」
「おふくろ! だから聞いてるんだよ!! 『どうする?』って相談できないときのためにさ」

我慢しきれなくなった夫が口をはさみますが、義母はまるで気にする様子もなく、スルー。

「まあ、それはそうなんだけど、勝手にやられちゃうのは……ねえ? あなたもいやでしょう?」
「そうですね! “勝手に”はやめましょう。了解!」

安請け合いで話を切り上げると、義母はフフフとうれしそうに笑います。“人生会議”と呼ぶにはあまりにもざっくりしたやりとりだけれど、話し合いゼロでのぞむよりはかなり気がラク。一度は話ができたんだから上出来!

胃ろうについて話し合わなくてはいけない日なんて来なければいい。でも、もしも“その日”が来てしまったときのために話し合っておきたい。また、いつか機会があれば、そのほかの延命治療についても義父母の気持ちを聞いてみよう。当時はそんなふうに思っていました。

ついに医師から胃ろう造設の打診が

そして、話し合いのチャンスが再び巡ってくる前に、「胃ろうをつくるかどうか」の決断を迫られる日がやってきました。義母は元気いっぱいで、毎日もりもり食事をしていましたが、義父は少しずつ食欲が落ち、やがて誤嚥性肺炎を繰り返すようになります。そして「これ以上、口から食事をとるのは難しい」と、医師から胃ろう造設の打診がありました。胃ろうをつくるか、それとも肺炎覚悟で食事をとり、食べられなくなったら諦めるか。

「ご家族でよく話し合ってください」
医師からそう告げられたとき、私は何も考えられませんでした。よく話し合うって何を!?

胃ろうをつくると本人が望んでも望まなくても、体に栄養が送られてしまう。意志に反して、生かされてしまう。医療者である自分の両親(父は放射線技師、母は看護師)からそう教わってきた私にとって、胃ろうは「つくらないほうがいいもの」でした。認知症だった祖母も胃ろうはつくらず、最期を迎えています。

でも、いざ目の前に、口から食事をとるのが難しくなった義父がいて「どうします?」と聞かれたとき、「やめておきましょう!」とも割り切れない。いやいや、どうするよこれ! 八方ふさがりになったわたしを救ってくれたのは、夫の「とりあえず、おやじと相談してみようよ」という言葉でした。

義父とどんなことを話し合ったのかは次回、ご紹介します。

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