「ただいま」の直後に崩れ落ちるわけ 認知症ゆえの脳の疲れやすさ
《介護福祉士でマンガ家の、高橋恵子さんの絵とことば。じんわり、あなたの心を温めます。》
認知症がある僕。
帰宅した途端いつも、どっと倦怠(けんたい)感に襲われる。
あちこちに気を張っていた全身が、
OFFモードになったみたい。
頭がくらり、膝から崩れ落ちた。
『キーーーン!!』
倒れこんで、目をつむった途端に
頭の中で反響する、高い金属音。
僕の場合は、いつもこう。
まるで、脳からのサイレンだ。
へとへとに体は疲れ切っているのに、頭が眠ってくれない。
——気がつくと、僕はベッドの中にいた。
またいつもどおり動くには、数日かかるだろう。
それでも焦らず、じっと回復を待つ。
見かけより繊細で、人一倍がんばり屋の、
僕の、頭と体。
認知症がある人が「疲れた」と口にしたとき、
一般の人の疲労と、同じにしてはいけないんだという体験を、
今まで目の当たりにしてきました。
普段から、認知症がある人たちは、周囲に気を遣って、
「疲れた」と言いだしづらいもの。
さらに外にいればご自身をふるい立たせて、気丈にしている方もいらっしゃるわけです。
例えば、自宅に入った途端、スイッチが切られたかのごとく表情さえ抜け落ちた、ある認知症当事者さん。
数日動けなくなった時、
「家族が見たら、心配するから起きる」と、よく話されていました。
つまり、ご本人にとっては寝込むほどつらい脳疲労でも、
「なんでそこまで疲れてしまうのか、どこか他に悪い所があるのでは?」などと、
家族であっても理解されづらい状況があったわけです。
多くの当事者さんがよく口にされる、脳疲労。
それは一般の私たちの想像を、はるかに超えている場合が多いようです。
もし、認知症がある人が「疲れたな」と口にされた際は、
「ちょっと休憩します?」ではなく、
「いったん横になります?」ぐらいの気遣いをしても大げさではないと、私は思っています。
《高橋恵子さんの体験をもとにした作品ですが、個人情報への配慮から、登場人物の名前などは変えてあります。》