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今日は晴天、ぼけ日和

私の心に春を呼び込むために 積極的に「なにもしない」という選択も

《介護士でマンガ家の、高橋恵子さんの絵とことば。じんわり、あなたの心を温めます。》

「なにもしない」をしています

ぼぉーーー。

私はいま、積極的に、
「なにもしない」をしています。

動きたくない・考えたくないは、体からの大事なサイン。

ぼぉーーーーっとして、
私は私を回復させているのです。

涙を流すひと

もういや、疲れた、泣いちゃおう。

私はいま、積極的に、泣いています。

「自分を責めちゃだめだよ」と言われるけど、
今日は悔やんだり、涙があふれたりするのも
ぜーんぶ許してあげるんです。

こうして泣けるのは、
泣けるほどに、心が頑張った証しだから。

座り込むひと

立ち上がれない時は、
そのまま、このまま。

私の心の春は、
私のペースでやってくる。

八方塞がりな時こそ、
どうにでもなれ、となにもしない。
笑おうとしない、やさぐれた感情も仕方ないとあきらめる。

それが、行き先が見えない時の、
大切な準備期間と私は思っています。

それでも、私たちは追い詰められるほどに、
「この状態を抜けるために、なにかしなければ」
と頑張ってしまいがちです。

特に、頑張りすぎる人が多い、介護現場界隈。
「一念発起しました。もうお医者さんの指示を聞くのはやめて、ある人のセミナーに通います」
「認知症の改善に、この通販の食材が効くそうなんです」

介護者や当事者として、追い詰められた人たちから、
このような、私としては大いに疑問を感じる話を意気揚々とされたことが幾度もあります。
特にコロナ禍にはいってから、いっそう聞くことが増えた、というのが個人的な印象です。

なにを選ぶにも個人の自由とは思うのですが、
八方塞がりな時ほど、
「これまでのやり方は、間違っていた」と
急に方向転換するようなやり方を選ぶのは、
危険ではないでしょうか。

わらをもすがる思いの時ほど、
いったん、なにもしないようにしてみる。

「きっと、どうにでもなる」

そんなご自身の心のやわらかさこそ、
次の一歩につながるはずです。

《高橋恵子さんの体験をもとにした作品ですが、個人情報への配慮から、登場人物の名前などは変えてあります。》

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