呼吸の音は、命の声
こんにちは、若年性認知症当事者のさとうみきです。
おかけさまで、無事に手術を終えることができました。
この連載で2月18日に掲載された「手術を終えた、わたしへ」では、
そんなメッセージも自分へ送っていましたね。
今では、毎日ちゃんとリハビリもがんばっております。
やはり全身麻酔は一瞬ということではありますが、オペ室では震え、とても怖かったです。
麻酔には負けないで眠らずにがんばる!
そんな強気な自分の分身がいて、共に戦いに挑んでいるような手術でした。
怖さからでしょうか、なんだかおしゃべりになるわたしは、
もうちょっとしゃべりたいというところで、意識が飛んでしまったような感覚を覚えています。
虫に例えたら、殺虫剤を噴射されたG(ゴキブリ)たちはこんな感じに?!
なんて想像しそうになりましたが、やめましょう(笑)
術後はしっかりと目は開けたようなのですが
わたしの中で、記憶にはなく。
意識がはっきりと戻ったのは、深夜の集中治療室でした。
挿管のチューブや点滴につながれていて、声も出せずに、真上の天井しか目に入りませんでしたが、耳から聞こえてくる機械の音などから状況を冷静に判断していました。
眠れればよかったのですが、いちど目が覚めてしまったら、ずっと朝まで眠ることができませんでした。
翌日から、わたしは、伝えたいことを看護師さんの手のひらに指文字でゆっくり丁寧に一文字一文字で伝えました。そして、伝わると、お互いに喜びで笑顔があふれました。
そのとき「あれ? だれかの呼吸の音がさっきより大きく聞こえる」ということに気付きました。
「必死に生きてるんだなぁ、がんばれ!」
そんなことを思いながら、
わたしの耳に入ってくる機械音とともに、聞こえてくる“生命の音”。
さまざまなことが耳の中にすっと入ってきました。
そして、先ほどの方の呼吸の音が苦しそうに変化しました。
「先ほどより呼吸の音が早いなぁ」
「あっ、わたしも同じように過呼吸のような」
その時でした。
他の人だと思っていた、その呼吸のモニターの方は、実は、わたし自身の呼吸の音(声)だったことに気付きました。
それは、わたしが術後、必死に生きようと頑張っている“呼吸の声”だったのです。
そのことに気づいた瞬間、目には涙があふれました。
“生きたい”“生きている”そんな力ある呼吸でした。
一般病棟に戻ることができたときには、
安心感とともに、スタートしたリハビリで、
なかなか、思うように体が動かずに焦っているわたしがいました。
手術したのは首なのに……。
術後経過の傷口もとてもきれいに仕上げていただいたのですが。
どうしてもリハビリではふらついてしまったり、自力でまだ歩くことのきつさを感じたりしています。
退院まであと少しの間で、リハビリでうまく日常生活を送れるまでに回復できるか不安な気持ちで過ごしています。
つい、先を見てしまい、焦ってしまう悪いクセです。
こちらの原稿を編集部に提出し、掲載の頃はきっと退院しているかしら?
入院中もなるべく生活のリズムを保とうと、パソコンを持ち込んで連載書きや他のことをカタカタ。
意識して、リズムを作らないと……。
認知症のわたしにとっては、時間との向き合い方を意識しておくことが重要です。
(と、言いつつ眠気にはなかなか勝てずに、ウトウト……笑)
さぁー!
そろそろ桜が咲き誇りますね。
春は花粉症でツラい方も多いと思いますが、
やはり桜を見る、桜の季節と言うのは、スタートの季節、もしくは別れの季節。
わたしにとっては再スタートの季節になるようにと願っています。
よーいドン!
今年度はどんなカラフルな人生になるかしら……。