見えない病に寄り添うヘルパーチーム 緩やかなサポートがちょうどいい
《介護士でマンガ家の、高橋恵子さんの絵とことば。じんわり、あなたの心を温めます。》
私には統合失調症がある。
家族の強い希望で、訪問介護ヘルパーが来るようになった。
訪問の目的は、私の入浴介助。
スケジュールを作られるのは、ストレスだ。
けれど、
「いらっしゃい、ヘルパーさん」
必死の笑顔を貼りつけて、
今日もあいさつする。
「今日、入浴はいかがですか?」
私が先週と同じ服装をしているのに、気づいたんだろう。
ヘルパーさんは、ちょっと申し訳なさそうに聞いてくる。
せっかく、来てくれたんだ。
その気持ちに応えなければ。
なのにすぐに視界は、ぼんやり揺らいでしまう。
私はいま、うまく笑顔を貼りつけられているだろうか。
「もし、おつらいなら、今日は靴下だけ
はき替えてみましょうか?」
ヘルパーさんは、小さな提案をしながら、
私を辛抱づよく待っている。
私のこころが動くのを、じっと。
——もしかしたら大丈夫かもしれない。
今日なら。この人なら。
そして私は、ゆっくり手を伸ばした。
うつ病や統合失調症、双極性障害。
あなたの近くに精神疾患がある人は、いらっしゃいますか?
「私の周りには、まったくいないな」と思うのであれば、それは早合点かもしれません。
なぜならそれらは、認知症と同じく
「見えない病」であり、他者に隠されがちだからです。
閉じられた家のなかで長年、ぎりぎりの均衡を保ち、暮らしている。
そんなご本人や寄りそう家族が、
きっと予想以上に多くいらっしゃることでしょう。
例えば、精神疾患がある人のなかには、
症状のために外に出られず、寝たきりに近い生活になったり、
服を一枚脱ぐのにも、強烈な疲労感が襲うため、
不衛生になってしまう方もいらっしゃいます。
つまり精神疾患がある人の家に、訪問介護ヘルパーが通う場合、
多くはその乱れがちな生活をできるかぎり改善するために、伺うわけです。
けれど第三者から見たら、崩れたように見えるその暮らしぶりこそ、
ご本人が病と共存しながら作りだした、必死の日常。
「なんとか、今日までこうして生きつないできた」という、
その人なりの、命をつなぐやり方である場合が多いのです。
だからこそ、私が訪問介護ヘルパーとして働いてきたとき、
精神疾患をお持ちの方への訪問では、
「症状を知識として理解した上で、ご本人の様子を慎重に見守ることを第一にする」
という目的が、ヘルパーチームのなかで共有されていました。
振り返れば、
「このぐらいで、いいんだろうか」と思い悩むぐらいの、
緩やかなサポートがちょうどよかったように思います。
精神疾患は本来、どなたにでも起こりうる病。
認知症がある人と同様、それぞれのかけがえがない生き方が、
尊重しあえる社会を望みます。
《高橋恵子さんの体験をもとにした作品ですが、個人情報への配慮から、登場人物の名前などは変えてあります。》