やりたいことがないといけないの? こころの動きを「待つ」大切さ
《介護士でマンガ家の、高橋恵子さんの絵とことば。じんわり、あなたの心を温めます。》
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認知症になり、
周囲からそんな問いかけを
されることが増えた。
けれど、
即答できる人などいるのだろうか。
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答えられずにいると、
あらゆる人が
たくさんの選択肢をくれた。
皆、私のことを思ってくれている。
どれかに答えなければ、と思うのに、
心が動かない。
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「やりたいことは、なんですか?」
ひとりになり、
ふとあの時の答えが、思い浮かぶ。
大丈夫。
ゆっくりゆっくり、心は動く。
「自宅にいる時間が増えたのに、やりたいことがわからない」
認知症当事者さんから、そう聞いた私は
絵を描くことやハイキングを、
一方的に提案したことがあります。
その押し付けがましさを、今は猛省しています。
「なにが好きですか?」
「やってみたいことはありますか?」
「気になる趣味はありますか?」
時々、そう問いかけ、付き合いを続ける中で
返答を数カ月でも1年でも、待てばよかったのです。
わからないことや困りごとがある時、私たちは急ぎます。
けれどその答えが相手の心にある場合は、
「わからない」を一緒に漂う姿勢こそ
必要ではないでしょうか。
ちなみに、その当事者さんが
1年後に見つけた、やりたいことは
「友人と話したい」というものでした。
《高橋恵子さんの体験をもとにした作品ですが、個人情報への配慮から、登場人物の名前などは変えてあります。》
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