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認知症と生きるには

驚愕から始まる 介護家族のこころの変化6段階 認知症と生きるには22

大阪で「ものわすれクリニック」を営む松本一生さんのコラム「認知症と生きるには」(朝日新聞の医療サイト「アピタル」に掲載中)を、なかまぁるでもご紹介します。今回は、認知症とともに生きる本人と常に向き合っている介護家族の「こころの変化」に焦点をあて、松本先生が介護のあり方を考えます。(前回はこちら

社会で活躍できる年ごろに介護者になると、様々な困難に直面することがあります。子どもはまだ養育の途中、社長として社員に対する責任もある……。人は誰もが社会的存在ですから、自分だけでは生きられません。まして、家族の介護をすることになったらなおさらです。自分の「こころ」に注意しながら「認知症の家族を介護するとはどういうことか」を知ることが大切です。介護家族に起きるこころの段階の変化を見ていくことにしましょう。

誰にとっても大切な家族が認知症になることは、ショックであり、できればそうならないことを願うのは当然です。しかし、年を経るごとにそれぞれの家族がおかれた状況は刻々と変わっていきます。

驚愕の段階

はじめて認知症の専門医療機関を受診して、診断や告知を受けるとき、家族を待っているのは「驚愕(がく)」です。たとえ、受診に至るまでに「かかりつけ医」から、それとなく言われ、家族も「もしかしたら…」とうすうす感じていたとしても、やはり専門の医療機関での診断結果を伝えられると、家族は「驚愕」に直面する時期があります。しかし、この段階はあっという間に次の段階に移っていきます。

否認の段階

家族が認知症になったことを無意識のうちに否定するため、「否認」の段階と呼ばれます。父親が確定診断を受けたにもかかわらず、認知症外来から一緒に帰ってきた息子は、父親が診断されたアルツハイマー型認知症の病名を忘れてしまいます。自宅に戻り、妻から「お父さんの病名は?」と聞かれても「いや、医者は年相応の物忘れだと言っていた」と答えたとしましょう。

この息子さんはわかっていないダメな息子なのではありません。「できるならないことにしたい事実」を否認するために、病名を無意識に忘れさせてしまう、こころの防衛反応なのです。

そうした息子さんの「こころ」を地域の人たちも理解できれば、否認の段階にいる介護家族に対し「お父さんは認知症みたいです。町内会のみんなはわかっているのにあなたたちだけがわかっていないようです」などと無理に納得させようとはしないでしょう。「事実」を受け入れるタイミングを見図ることも地域のあたたかな「まなざし」です。

怒りの段階

中核症状のために最近の記憶を忘れ、何度も同じことを聞いてくる場合や、身近なところで日々介護してくれる家族に対して、「物とられ妄想」などの行動心理症状(BPSD)は出やすくなると、これまで本人に合わせていた家族も我慢の限界を迎えてしまうかもしれません。そんなとき、たとえ家族であっても不適切な行為をしてしまうのはいけません。しかし、家族であるからといって言動に耐え続けながら介護していると、「怒り」の段階に入っていきます。この段階で、その怒りを誰かに分け取りしてもらうことができ、怒りを払拭できれば、次の段階での介護が安定するのですが、誰にも自らのつらさを分け取ってもらえない状態が続くと、その結果、介護が破たんする場合もあります。

抑うつの段階

怒りを介護者が一身に受けてしまうと、ある時期に抑圧されたその怒りが介護者を襲うことがあります。介護負担が重なって、気が付くと介護者自身が「うつ」になる場合があり、これに注意しておかなければ知らず知らずのうちに追いつめられた介護者が、思ってもみなかった行為に及ぶ場合があります。

私がこれまで支援してきた介護者の中には、はじめは善意をもって熱心に介護していたにもかかわらず、介護に追いつめられて思ってもみなかった行為に及ぶ人もいました。それを「善意の加害者」と呼び、サポートしようと努めてきました。

適応の段階

先に書いたように、誰かが介護家族の気持ちを受け止めて、怒りやその結果としての抑うつにならずにすめば、その後、介護者のこころは「適応」の段階を迎えます。しかし要注意なのは、一度、介護者が適応すれば二度と混乱することはない、と考えてはいけないことです。適応していた介護者でも、新たな困難に出会った場合には、元の「怒り」や「抑うつ」の段階に戻る可能性があります。介護家族は「怒り」「抑うつ」と「適応」の間を何度も行き来しながら介護をしているのです。

再起の段階

最終的に本人を見送ったあと、傷ついた介護家族のこころが再び前に向かって起き上がる時期を「再起」の段階と言います。これについては別の機会に詳しく書こうと思います。

誰かのひと言が介護者の「許し」になる

78歳の父親を介護する49歳の娘、田中葉子さん(仮名)は在宅介護を始めて20年になります。父と二人暮らしをしていた彼女は、母親が若くして亡くなって以来、一家を支えてきました。2歳年下の弟には広い世間を見せてやりたくて、追い出すように東京に行かせました。今では弟は幸せな家庭を持っています。

ある日、父親の様子が変わりました。これまでも低気圧が近づいてくると混乱する傾向があった父ですが、今回は昼夜逆転の状態になってしまい、何日か田中さんも眠れない日が続きました。彼女は介護のために時間を有効に使えるように、これまで常勤になる機会があってもそれを断り、父の介護を優先してきた人です。今回のように不眠傾向が続くと、今のアルバイト先も良い顔をしてくれません。「マズいな」と思いながらも、何とか調整しようとしていたある夜、父親が混乱して彼女に向かってつかみかかってきました。

一瞬のことでよく覚えていませんが、彼女がふと気づくと、父親をはねつけていて、仰向けになった父は部屋の敷居で頭を打ち付け出血してしまいました。

幸いなことに傷は大事に至らずにすみましたが、彼女のこころには大きな後悔の念が残りました。

これほどまでの犠牲を払って介護した結果なのに、どうしてこんなことになったのでしょうか。困難な時にも、弟の家族に介護の迷惑をかけたくはないと思いました。でも、誰かが「許す」と言ってくれない限り、この介護をやめられませんでした。医療者でも介護職でも誰でもいいのです。彼女がこれまで介護してきたことを評価する「誰か」のこころのこもったひと言が、「許し」になり、彼女を支えることにつながるのです。

自分がしてしまったことを悔いているあなたの反省とともに、あなたに将来に向かう光が見えますように…。

彼女が父親の介護を終え、自らの人生を切り開いてから今年の春で5年になります。介護者は、認知症介護では、もう一つの当事者です。田中さん、私はあなたの努力と家族への気持ちを忘れることはありません。

※このコラムは2018年2月22日にアピタルに初出掲載されました。

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