階段から下りる そこにも二人で見つけた流儀がある 支え方は千差万別
《介護士でマンガ家の、高橋恵子さんの絵とことば。じんわり、あなたの心を温めます。》
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私には認知症がある。
そのせいで、階段を下りるのが怖い。
規則的に並んだ段差が、
不意に重なって見えるから。
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「ここだ」と置いたはずのつま先が、
何度も宙をさまよう。
恐怖で、ぎゅっ、と手すりをつかむ。
おしゃべりしながら下りるなんて、
私にはできない。
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だからあの人は、
隣で私にプレッシャーをかけないように、
そっと先に行く。
あの人こそ、私の隣にいてくれる人。
「階段が下りにくい」と
認知症当事者の方々から、よく伺います。
なので、今回のエピソードを読んだ方の中には
「じゃあ、認知症がある人が階段を下りる時には、私も先に下で待っていよう」
と思われた方がいるかもしれません。
けれど、
なぜ下りにくいのか。
どうしたら下りやすいのか。
どんなサポートが適切なのか。
それは個人によって千差万別で、オールマイティーな方法はないのです。
聞きながら、話しながら、お互いの間で
「私たちにはこれがいいね」
という独自のやり方を見つけるのが最適かと、私は思います。
なぜなら、一方的に差し出されたサポートは、
悲しいかな、お互いの距離を離してしまう
原因にもなるからです。
どんなに身近な存在であっても。
また、どんなに認知症の知識があったとしても。
『本人のことは、本人にしかわからない』
その基本の心構えを、
お互いに忘れたくありません。
認知症当事者の方と、その隣で歩く方の
「二人の会話」にこそ、
信頼をつくる鍵があるのです。
《高橋恵子さんの体験をもとにした作品ですが、個人情報への配慮から、登場人物の名前などは変えてあります。》
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