認知症の母の微妙な気配の変化 でも、かけがえのない存在は変わらない
《介護士でマンガ家の、高橋恵子さんの絵とことば。じんわり、あなたの心を温めます。》
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いつの日からだろう。
母の顔から、母らしさが抜け落ちた。
「認知症が進んだから」と医師は言う。
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寂しい、苦しい、悲しい。
一体、母からなにが失われたのか、
私は言い当てられない。
だってそれは、
母を思う時に浮かんでいた
気配みたいなもの。
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それでも母はそこにいる。
私がいるかぎり、
決して失われない、いとしい気配。
認知症が進み、
それまでの雰囲気が変わる方がいらっしゃいます。
表情や声のトーン、ちょっとしたしぐさ。
そういった微妙な変化は、
直接の生活の不便には、
つながらないかもしれません。
が、傍らにいる方にとっては、
今までのその人が失われたかのような
言いようのない寂寥(せきりょう)感が伴います。
やるせない現実ではありますが、
その変化に気づけるのは
共に生きてきたからこそ。
その人だけがまとっていたものを、
覚えていてくれる人がいるのは
どんなにかけがえがないことでしょうか。
当事者、
そして傍らにいる方にしかわからない、
繊細な部分です。
せめて第三者であれば、
「お母さん、少し変わった?」などと
不用意に声をかけないようにしたいものです。
《高橋恵子さんの体験をもとにした作品ですが、個人情報への配慮から、登場人物の名前などは変えてあります。》
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